本日の一日一話、天風人語のテーマは「生命の生存パート2」だ。
只今、太宰治とその妻との人間ドラマ「ヴィヨンの妻 桜桃とタンポポ」の映画が公開中である。
太宰治は、「人間失格」「桜桃」「斜陽」の代表作でよく知られている昭和初期を代表する作家の一人でもある。
3度目の心中自殺で玉川上水で亡くなったことでも有名な方だ。
「人間失格」は生きる気力を失うに至った男の手記の形で、彼の人生をオーバーラップさせた自身の陰惨な自画像を描いている。
小説をお読みの方なら、すでに御存知のことでしょうよ。
昭和20年、終戦敗戦を向かえた頃は、まだ、東京一面一帯、焼け野原だった。
昭和23年、焼け跡から生き残った方々によって、生きることへの展望が見えはじめた。
また、復興のきざしが見えてきた頃でもあった。
奇しくも「展望」というタイトルの読み物に連載されていたのは皮肉なことだね。
自身は人生展望が見えなくなってしまったんだ。
40代にもみたない若さであったはずだ。
太宰治の代表作の一つである「走れメロス」は親友を身代わりとして、処刑前の三日間の猶予を与えられた主人公メロスが困難にあいながらも、走り続け、見事約束の本懐を遂げる。
人間の本性である本心良心から来るところの「友愛」の在り方である。
今、話題の「友愛」の精神を、「走れメロス」は表現している。
傑作である。
太宰治ファンにとっては異論もあるであろうが、未だに彼の御霊は成仏していない。
いやされやすらいではいないということですよ。
まもなく、浮かび上がってくるでありましょうがね?
何故かってかい?
犠牲者を出した道連れ心中だけが原因ではないんですよ。
文士として、多くの読者に人間失格者を理由に自殺を正当化し擁護し言い訳を大衆にうながした。
また無気力化する刺激を与えた小説を書いたことだ。
つまり、ネガティブな影響力が大きいということです。
またさらに出版物として、後世の人に持てはやされて、残っていくことが更にうかばれることをさまたげて、よりいっそう苦しむことになってしまった。
しかし、ここで、賢明な諸君であるから、自らの反面教師として、かえって見習うことです。
天意天風流に言えば、誰もかれもが、万物の霊長たる人間の一人として生まれてきた尊い存在である。
故に、自分勝手に私は人間失格者であると決定しなければ、失格者はいないんだ。
どうでもよい余計な妄想でもんもんと考えているより、心機一転、人間合格者になるべく、今生きている現実にまず感謝をおしよ!!
「人間として生まれさせて頂きましてありがとうございます」
その上で、人間合格者になるべく、それを目指して、努力精進しつつ、生き抜いていくことが、尊い使命ではないですかい?
「つまらない人間はだんじていないのである。
が、但し、つまらないことを考えている者はいる。」
明日は「生命の生存パート3」です。
次回このテーマは〆とする。
では今日一日、真我とともにあらんことを・・・
天意天風
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