2010年2月4日木曜日

論語と算盤と天風哲学と電卓~論語創作ものがたり 番外編―論語と鬼

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく)~論語創作ものがたり 番外編―論語と鬼」だ。

諸君、本日は立春であります。
日に日に日が伸び、春の訪れは陽気とともに暖かく心地よく感じられる。
昨日の節分は2月1日よりの3回目、鬼(おに)について話をしてきた。
諸君、論語の中にも鬼が出てくるのを御存知であろうか?
知っている人は知っているであろうが、知らない人のためにせっかくの機会であるから話をしよう。

樊遲(はんち)、知(ち)を問う。
子曰く、「民(たみ)の義(ぎ)を務(つと)め、鬼神を敬してこれを遠ざく。 知と謂(い)うべし。」
仁(じん)を問う。
曰く、「仁者(じんしゃ)は難(むずかし)きを先にして獲(う)ることを後にす。 仁と謂うべし。」

樊遲が「知」とは何かと孔子にたずねた。
「われわれは、ややもすれば万物の霊長たる人間を超えた存在に頼る気持ちをおこしがちだ。 しかし、まず万物の霊長たる人間としてやらねばならぬことは何なのかと考えること、それが本来の『知』だ。」
樊遲はさらに、「仁」についてたずねた。
「万物の霊長たる人間として正しいことは、たとえ労多くして功少なしと知っていても、あえて挑戦し実践する態度、それが仁なのだ。」
孔子先生が二千五百年前よりその当時から鬼神と述べている通り、それ以前から中国にも鬼という存在があったんだね。
また、こんな論語の論語たる有名な成句もある。
子曰く、「その鬼(き)にあらずしてこれを祭るは諂(へつら)うなり、義を見てせざるは、勇なきなり。」
祭る理由のない神々(神霊)を祭るのは、万物の霊長たる人間本来の天より与えられた主体性の尊厳の放棄である。
勇気をもって万物の霊長たる人として行うべきを断固として行うべきなのだ。

また鬼は論語以外にも出てくるんだ。
「断じて行えば、鬼神もこれを避(さ)く」史記李斯伝(しきりしでん)に出てくる有名な一節である。
この意味は強く決心して、そして断行すれば、立ちふさがって通せんぼしている鬼神も道を避け、意志どおりになることを言っている。
万物の霊長たる人間の意志の力のすごさをよく表している言葉ですな。
真理から論断してもまったくこの通りですな。

本日はこれまで。
今日一日、真我とともにあらんことを

天意天風

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