本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく)~論語創作ものがたり パート9」だ。
諸君、諸君の中で、「論語」に興味のない方々は、話はおもしろくないですな!
ついていけてないかもしれないが、「論語」というお題目を、決まり切った一視点のみで見るのではなく、上下、左右あらゆる角度視点から取り上げてみると、人の価値観は千差万別(せんさばんべつ)であることがわかる。
そして、自己を写す浄玻璃(じょうはり)の鏡として、自身が、時を超えて、現代の「論語人間ドラマ」を、今時のトレンディードラマの主人公を演じていると決めて、役柄になりきってみると意外と自分の今まで見えなかった、自分の別の一面に気づくかもしれない。
こんな自分もあったんだと、老若男女かかわりなく、個人の素直な感情として新鮮な感慨とともに新しい自分を発見されるだろう。
「不思議新しき自己発見!」
どうでしょう? 楽しみだね!
諸君も御存知のことかもしれないが、孔子先生には次の四つの欠点が無かったと言われている。
①自我の主観だけで憶測すること。
②自分の考えを正当化して無理に押し通すこと。
③一つの判断のみに固執して、融通がきかぬこと。
④自分の立場や都合しか考えぬこと。
これは論語の中の子罕(しかん)偏にある。
「子、四を絶つ。 意なく、必なく、固なく、我なし。」である。
これが、孔子先生の人間としての長所であるんですよ。
これ総合して、何と言うかと言うと、孔子先生、理屈っぽいと受け取る方もいるであろうが、私こと天風と同じく、案外、素直な心の人だということですよ。
この素直さがとても大切だと私は正直に思いますよ。
この素直さの大切さってね。
自己の天命の天分の自分を知る端緒(たんしょ)になるからですよ。
端緒って言うのは、糸口。
つまりきっかけになるんですよ。
ここらへんがわかると、ほんとのこと、正しい霊道が拓かれて、正しい霊感が自ずと受け取れるんですがね・・・
明日は、「論語創作ものがたり」の続きです。
今日一日、真我とともにあらんことを
天意天風
浄玻璃(じょうはり)の鏡
―(仏)地獄の閻魔王庁にあって、亡者の生前のすべてのおこないを残りなく映し出すという鏡。
0 件のコメント:
コメントを投稿