2010年3月20日土曜日

論語と算盤と天風哲学と電卓~論語創作ものがたり パート56

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく)~論語創作ものがたり パート56
」だ。

諸君、顔回(がんかい)との約束の時間であるPM7:00を過ぎて、子貢(しこう)、いまだ孔子先生と書院の間におります。

子貢すっかり約束の時間を忘れているかのようであります。

子貢曰く、「先生、二つほど御教授をお願いできますか?」

子曰く、「子貢よ、旅の疲れもあると言うのに、元気だね!」

子貢曰く、「はい、おかげさまで、すこぶる元気であります!」

子曰く、「そうか、それはよかった。 ありがたいことだな! まぁ~子貢が良ければせっかくの機会だ、遠慮はいらない。 なんなりと言ってごらんなさい。」

子貢問うて曰く、「一言にもって終身これを行なうべきものありや。」

子曰く、「それ恕(じょ)か。 おのれの欲せざるところは、人に施すなかれ。

子貢問うて曰く、「先生、この一言なら、人生哲学とするに十分に足りうる、また、生涯を信条とする一貫した言葉はありますか?」

子答えて曰く、「私であるならまず第一は恕(じょ)だ。 人を自分の如く思いやることだ。 情味をもって人に接すること。つまり他人の心をもって自分の心とすることだ。 人からされたくないことは、自分からも人にしないことだ。」

子貢曰く、「御教授、ありがとうございます。 至らぬ私ですが、心に刻んで精一杯努力いたします。」

の物語の続きは明日また・・・。
今日一日、真我とともにあらんことを


天意天風

2010年3月19日金曜日

論語と算盤と天風哲学と電卓~論語創作ものがたり パート55

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく)~論語創作ものがたり パート55」だ。

子貢(しこう)、仁をなさんことを問う。 子曰く、「工そのことをよくせんと欲せば、必ずまずその器を利にす。 この邦(くに)に居るや、その大夫の賢者に事(つか)え、その仁者を友とす。」とある。

「子貢(しこう)よ、うでの良い大工はいい仕事をするために、大工道具の手入れに余念がない。  決して使いっぱなしにして、粗末にはしないものだ。  まずノミやカンナを砥ぎ、いつでも自らの手のごとく使えるようにすることだ。  腕の良い大工と手入れの良い大工道具の例えのごとく人間の身と言い、心と称するものは、真我の命が現象の世界に活きゆくための一切方便を行なわんがための命の要具なんだよ。  ただこれを巧みに調整行使して、ひたすらその性能の完全なる発現を促進するぞと決心することだ。  そして、どこに行ってもこれはと思う良師に学び、仁徳のある志士を友人に選びなさい。」


子貢曰く、「はい、至らぬ私ですが、精一杯努力いたします。」

諸君、ところは変わって、居酒屋「ざ・論民」であります。


顔回(がんかい)曰く、「これ、亭主、連れももうすぐ来る。 二階で待たせてもらいたい!」

「はぁ、二階は、履物(はきもの)を脱いでもらいますが!」

「それはかまわぬ、他の客と顔を合わせぬ部屋はないのか?」

「へえ、パーテーションで間仕切りした小部屋がありますが、そこでよろしいでしょうか?」

「ああ、そこにしてくれ!」

「へぇ~い、かしこかしこまりました。 では、お二階へどうぞ!」

「お気に入りのナンバーの下駄箱に入れて下足ふだをお持ち下さい。」

顔回、「“こ”の一番」の下駄箱に入れ、下足ふだを取り、そそくさと二階のパーテーションで間仕切られた小部屋に入った。
掘りごたつ式になったテーブル座敷に座り、ため息ひとつ大きくついた。

その後は身じろぎもせず、なにやら物思いにふけっているかのようだ。
そしてブツブツと一人ごとをはいた。


「僕も先輩のおごりなら喜んで一杯飲みたいし、おいしいもの食べたいんだ。 何故、子路先輩は、僕だけ宴会に呼んでくれなかったんだろうか?」

この物語の続きは明日また・・・。
今日一日、真我とともにあらんことを


天意天風

2010年3月18日木曜日

論語と算盤と天風哲学と電卓~論語創作ものがたり パート54

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく)~論語創作ものがたり パート54」だ。

諸君、一昨日よりの孔子先生、書院の間での先生と子路(しろ)と子貢(しこう)との会話のやりとりと昨日の顔回(がんかい)のいる居酒屋「ざ・論民」で店の亭主と会話のやりとりがありましたな。
多少の時間差はあれど同時進行で進んでおりますよ。

子曰く、「子路よ、学びたい者の妨げをしてはいけないよ!」

子路曰く、「先生、何のことですか? おっしゃっていることがわかりません。」

子曰く、「子路よ、神北(かんぺき)を授業に出させなさい。 子路が講義を受けない日は、神北も受けていない! 神北に講義を積極的(せきぎょくてき)に受けるように私からのことづけだと子路から必ず伝えてくれ! いいな!」

子路曰く、「はい、申し訳ありません。 私も真面目に講義に出させて頂きます!」

子曰く、「わかればいい! さあ、もうよいから帰りなさい! 明日の講義はサボるな!」

「はい、先生、お先に失礼します。」

子路、師の前に背筋を伸ばして凛として立ち、静かに一歩さがる。
そして、ふかぶかと一礼してくるっと向きを変えた。
子貢を一瞥(いちべつ)してニヤッと笑って出て行った。

子曰く、「子貢、待たせたな!」

子貢曰く、「いいえ、先生、子路先輩、また何かしでかしたんですか?」

「いやいやそうではないが、門弟になりたての神北と学び舎(まなびや)には来ているようだが、授業を二人してサボタージュするので注意をしていたところだ。」

「ああ、そうでしたか。 先輩も困ったものですね!」

子曰く、「それはさておき、子貢も疲れたであろう。 今日は早く帰って休むがよかろう!」

子貢曰く、「ありがとうございます。 先生一つお聞きしたいことがありますが?」

子曰く、「何だね?」

子貢曰く、「先生、先ほどの志士仁人(ししじんじん)になるための『仁』を身につけるための心構えを是非教えて下さい!」

この物語の続きは明日また・・・。
今日一日、真我とともにあらんことを

天意天風

2010年3月17日水曜日

論語と算盤と天風哲学と電卓~論語創作ものがたり パート53

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく)~論語創作ものがたり パート53」だ。


諸君、所は変わって、ここは居酒屋「ざ・論民」PM6:50であります。
待ち合わせの時間10分前に現われたのは、孔子門下生でエース顔回(がんかい)であります。

「いらっしゃいませ。 何名様ですか?」

「今は、私一人だ!」

「後から来られる方は何名様ですか?」

「後から来るのも一人だ! 悪いのか?」

「悪くございませんよ! ということはお客様は都合二名様ですね!」

「そうだ、二名だ! 人が二(に)と書いて、仁(じん)と読む! 私は仁者を志(こころざす)す者だ。 何故、人が一(いち)ではいかんのか? 君はわかるか?」

「お客様、そんなことはどうでもよろしいんですよ! 孔家の門人様ですね! 孔家の皆さんは、理屈っぽいですからね! 私は君子じゃありませんよ。 この店の亭主です! 経営者でオーナーですよ!」

「ああ、そうか、亭主もくどいな! 孔家門人はみな理屈っぽいのか?」

「そうですよ!」

「そうか、それは知らんかった。 私は初めてそのことを知ったぞ!」

「お客様、そんな大げさなもんじゃないでっしゃろう! ああ、そう言えば、一人だけ理屈っぽくない方がおりますね!」

「そうか、そうじゃないものが一人だけおるのか?」

「はい! 孔家の方で門人集めて大宴会された方がおりましてね! お勘定は全部その方が払ってくれたんですよ! 口は悪いですが、払いはきれい! 実に気前のいい方ですよ!」

「さて、亭主よ! その御人はどなたかな?」

「はあ、孔門一の弟子と自負されておられる子路(しろ)さんですよ!」

「何に! 亭主、子路だと言うのか? 何かの間違いではないのか?」

「はい、実に払いのいい方ですよ!」

「それは聞いておらん! 子路先輩が、ここで宴会をしたのか?」

「へぇ~さようで。 うちとこのお馴染みさんで御贔屓にしてくれておます!」

「そうか、亭主! いろいろ聞いてあいすまんな!」

この物語の続きは明日また・・・。
今日一日、真我とともにあらんことを

天意天風

2010年3月16日火曜日

論語と算盤と天風哲学と電卓~論語創作ものがたり パート52

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく)~論語創作ものがたり パート52」だ。


諸君、「子曰く、志士仁人は生を求めてもって仁を害することなし。 身を殺してもって仁を成すことあり。」
これは本真(ほんま)の志士仁人(ししじんじん)は、「仁」を見棄ててまで生きようとはしない。
それどころか、「仁」を守るためには、あえて一命を投げ出すことも辞さないと述べているんだね。
一命を投げ出しても守りたい「仁」とは何だろうか?
孔子先生は、「仁」とは「人を愛することだ」とも答えている。
仁愛だね。

「愛する者を守るためなら一命を投げ出すことも辞さない。」という覚悟を持ちなさいということを言っておられるのだろう。
決して命を粗末にしろと言っているのではないですよ!
この志士仁人が孔子の門下生の目指す共通の目的であり、理想でもあるんだ。
つまり、志士仁人の人物になる、志士仁人の人格者になることが孔子塾で学ぶ第一意義であるんだ。

子曰く、「子貢(しこう)よ、入りたまえ!」

「失礼します!」

「子貢、改めて、お帰り! お役目ご苦労であった。」

「はい、ありがとうございます! これはこれは子路(しろ)先輩、お久しぶりでございます!」

「ああ、おまえまだ生きてたのか? しばらく顔を見かけなかったから、くたばっちまったかと思ったのによ! 残念だな!」

「子路先輩、相変わらず無愛想(ぶあいそう)なおっしゃり方ですね! 先輩もお変わりなく生きておられて安心しましたよ!」

子曰く、「おいおい! 孔家志士仁人たらんものがいがみ合いか?」

貢曰く、「先生、申し訳ありません。 以前子路先輩には、ずいぶんと可愛いがってもらいましたもので、ついジョークを言ってしまいました。 先輩、すいませんでした。」

子路曰く、「相変わらず口がへらねえやつだな! その口が災いを招くんだぜ。 先輩の忠告だ。 よく覚えておけよ!」

子曰く、「子路、そのへんでやめなさい!」

この物語の続きは明日また・・・。
今日一日、真我とともにあらんことを


天意天風

2010年3月15日月曜日

論語と算盤と天風哲学と電卓~論語創作ものがたり パート51

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく)~論語創作ものがたり パート51」だ。

子曰く、仁に当たりては、師にも譲らず

諸君、ここは孔子先生の書院の間であります。
孔子先生は子路(しろ)を呼び出し、何やら注意をあたえ、気づきをうながしているようです。
子曰く、「なあ、子路よ、おまえが門弟の中で最も古参で、先進の最年長であろうと、他のことはともかく、『仁』に関しては、先輩だろうが、私こと孔子先生だろうが、お釈迦様、キリスト様、天風先生だろうが、誰だろうが同志である。 遠慮はいらない。 また、遠慮があってはならない。 またこれを妨げてはいけない! わかるよな! 同志で同士の子路よ!」

子路、黙って先生の話を聞いていた。
そこへ来たのが子貢(しこう)である。
トントントン トントントン
「先生、子貢であります。 用向きが終わり、只今ここに帰参いたしました。」

「おお、子貢か、ご苦労であった。 今子路と話をしている。 もうすぐ終わる。 ちょっと、そこで待っていてくれたまえ!」

「はい、かしこまりました。」



子路問いて曰く、「いかなれば、これを士と謂(い)うべき。」

子曰く、「切切偲偲(せつせつしし)、恰恰如(いいじょ)たる、士と謂(い)うべし。 朋友とは切切偲偲、兄弟には恰恰たり。」


子路曰く、「先生が、私を同志で同士と言ってくれましたが、どういう人物が同志で同士の『士』でありますか? ぜひ先生の見解をお尋ねしたい!」

「子路よ、それはもっともな問いかけだ。 私は同志で同士の『士』とはこうとらえている。 真心のある、遠慮のない批判が出来る一方で、人に柔和に接することができる、これならば同志の志だ。 さらに友人に対しても真心のある遠慮ない批判を出し、親兄弟親族には柔和に接するならば同志で同士の『士』と言える! つまり志士のことだ!」


子路曰く、「ああ、はいそうでありますか。」

この物語の続きは明日また・・・。
今日一日、真我とともにあらんことを

天意天風

2010年3月14日日曜日

論語と算盤と天風哲学と電卓~論語創作ものがたり パート50

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく)~論語創作ものがたり パート50」だ。

諸君、孔子先生は、良心いつわらぬこと(忠)と、他人への思いやり(恕じょ)とが人倫の根本であると述べておりますがね、私こと天風は、人倫の根本は、本心良心に基づく、忠と恕を兼ねた真心であると考えている。
この本心良心の真心で感じいった素直な心であるならば、自分にとっての最良の良師に出合うことができうる。
師もまた良弟子に出合う!
私はそう信念している。

生前それを聞いて、私は、「ハーッ、これだ、これだ」と思った。
私がちょうど、十三歳のときであった。
当時、贅沢(ぜいたく)三昧に暮らしていた私は、この物語が書いてある本を読んで、「これでは、いけないぞ!」と思った。
「今の境涯で、私がそのまま、いいわいいわで暮らしていることは、本当に罰当りだ。」と思った。
そうして、家をでる決心をしたのは、十五歳のときで、私は、「糞(クソ)! 男一匹、独立独歩だ。 親のお陰で、こんな暮らしをしていたって何になるか。 よし、飛び出してしまえ!」と思った。
それでも、今の時代と違って、いきなり飛び出すわけにはいかないので、「よし! 乱暴狼藉(ろうぜき)してやろう。 そして親に愛想をつかせてやれ!」と思い、もう手に余る乱暴をしてやった。
よく、織田信長のおおうつけの少年時代さながらであったなと思う。
そうして、手がつけられなくなったものだから、父祐興(すけおき)が、母テウの兄である、当時、農商務省の次官をしていた前田正名に相談したら、「友人の頭山満(とおやまみつる)のもとにやれ。」と言われた。
それがきっかけで、私は、頭山満先生のところへ、やられたのである。
そして、親のところを離れて、物好きと言えばそれまでだが、中年まで、満蒙で、自ら苦労に苦労を重ねた。
その苦労を喜びとして活きるような気持が出来てたことも、後年、病に冒された後に、自分自身をそのまま捨てない気になったことも、若いときにちょっと読んだ書物から受けたインスピレーションだと思う。


この物語の続きは明日また・・・。
今日一日、真我とともにあらんことを

天意天風

2010年3月13日土曜日

論語と算盤と天風哲学と電卓~論語創作ものがたり パート49

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく)~論語創作ものがたり パート49」だ。

諸君、江戸前期の陽明学者、熊沢蕃山(くまざわばんざん 1619―1691)は、若年でありながら江戸初期の儒者、中江藤樹(なかえとうじゅ 1608-0648)という良師を見つけたんだね。
これは学びたい、向上したいという蕃山の強い欲求が引き合わせたんだね。

そうした暫く月日が過ぎたある日、門弟が気づいて藤樹に話すと、
「そうか。 それでは庭へ入れてやれ。 下郎の身だから座敷へ上げることは出来ないけれども、庭ならよいから入れてやりなさい。 そして、廊下のところで聞かせなさい。」と言って、講義を聞かせた。
そして講義が終わった後で中江藤樹が、「そんなに私の話が聞きたいか?」と聞くと、
「ハイ、雨の日も、風の日も、こうして先生のお話を聞くのが私の何よりの務めだと思って参っております。」
「そうか。 お前の所は一体どこかね?」
「二つ山越した向こうでございます。」
「そうか。 すると歩いて来ると四時間ぐらいはかかるねぇ」
「ハイ、四時間はかかります。」
「どうだ、聞くところによると、年をとったおっ母(か)さんとお前だけだということだけども、うちの馬小屋が空いているので、馬小屋に来て住んではどうか? おふくろさんも、ここで、時折の話を聞くということなれば、四時間も山を越えて来なくてもいいではないか。」
このとき、蕃山は何と答えたか。
涙を流しながら、「身に余るありがたいことです。 けれども、私は山二つ越えてここへ来るからこそ、辛抱甲斐があると思っております。 お宅にご厄介になっては、たいした疲れも感じないで、いながらにしてお話を聞くなんてことは、もったいないことでございます。 やっぱり今まで通り、働いた揚句に、二つの山越えてここへまいり、お話を承る。 これがもう一番、私の気持ちの中に、励みが出ますので、どうぞそうさせて下さい。」と言ったという。

この物語の続きは明日また・・・。
今日一日、真我とともにあらんことを

天意天風

2010年3月12日金曜日

論語と算盤と天風哲学と電卓~論語創作ものがたり パート48

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく)~論語創作ものがたり パート48」だ。

諸君、熊沢蕃山(くまざわばんざん)、二宮尊徳の両偉人も「論語」は若い時より幾度となく熟読し、坊主が経文をくり返し、読経し勤行することによって、いつしかそらんじるまでになるがごとくになっていたんでしょう。
二宮さんも、まきを担いで読んだ一冊の本の中に「論語」もあったであろうと推測できますな。
私こと天風が少年の頃に、あの熊沢蕃山と言う人の作った歌を見たときに、「ああ人間これでなければいけないなぁ」と思った。

『憂きことのなおこの上につもれかし 限りある身のちからためさん』

「憂きことの」だから、憂いだね。
悪い状態になることを予想し、心配することだね。
ああなりはしないか、こうもなりゃしないか、例えば、風邪がずいぶんと長びいていっこうに治らないがひょっとしてガンじゃないかしらん等々色々の憂き思いのことだよ。
つまり、心配の不安の心の意識状態だね!
また悲しい、さびしい憂愁の心境だな!
「憂きことよ、なおこの上に、つもれつもれ。 俺は決してまけないぞ」という気持ちだ。
この人の有名な詩の中で、私の心を打ったエピソードを話そう。
蕃山は、山の上の一寒村に貧しい暮しをしていたが百姓の家に生まれた人なのだ。
もっとも血筋は大変よかったらしいんだが、落ちぶれて、結局は、山家住いの身になったんだが、やっぱり血筋がいいだけに、学問を志して、自分の畠に出来た野菜を担いでは村々、町々に売って歩くかたわら勉学にいそしんだ。
山二つ越したところに、中江藤樹(なかえとうじゅ)という、儒者で我が国陽明学派の祖、その当時の優れた学者の一人がいた。
その当時は、身分のいやしい者は、武士の講義する席上に入ることは許されないから、蕃山は講義の始まる時間に来て垣根の外で、うずくまりながら、垣根越しに中江藤樹の講義を聞いていた。

この物語の続きは明日また・・・。
今日一日、真我とともにあらんことを


天意天風

2010年3月11日木曜日

論語と算盤と天風哲学と電卓~論語創作ものがたり パート47

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく)~論語創作ものがたり パート47」だ。

諸君、以前に「良師は以ってすべからく宝と為すべし、良友は以ってすべからく鑑(かがみ)と為すべし。」と述べたことがあるね。
戦前に、修身によく出てくる話に有名な熊沢蕃山(くまざわばんざん)翁の伝記がある。
修身とは、自分の心と行いを修め正すことの意味だが、第二次大戦前の小中学校の教科目の一つで教育勅語をよりどころとして国民道徳教育の実践指導を目的としたものであったんだ。
昔は小中学校の校庭の隅っこや校舎の横に二宮尊徳翁の像が必ずと言っていいぐらいあったんだ。
まきを担いで本を読んでいる少年の像を諸君も見たことはないですかい?
熊沢蕃山、二宮尊徳は修身に出てくる日本の偉人なんだね。
熊沢蕃山翁の話は、渋沢栄一氏の「論語と算盤」、私こと中村天風の「運命を拓く」にも記載しているんですね。
渋沢栄一氏の「論語と算盤」は、昭和2年に出版されたんですよ。

「現今でも、高等教育を受けた青年の中には、昔の青年に比較して毫(ごう)も遜色(そんしょく)のない者がいくらもある。 昔は少数でも宜(よ)いから、偉いものをだすという天才教育であったが、今は多数の者を平均して啓発するという、常識的教育となっているのである。 昔の青年は良師を選ぶということに非常に苦心したもので、有名な熊沢蕃山ごときは、中江藤樹(なかえとうじゅ)の許へ行って、その門人たらんことを請い願ったが許されず、三日間その軒端を去らなかったので、藤樹もその熱誠に感じて、遂に門人にしたというほどである。 その他、新井白石の木下順庵における、林道春の藤原 惺窩(せいか)におけるごときは、皆その良師を択んで学を修め、徳をみがいたのである。」と渋沢栄一氏は「論語と算盤」の中で述べている。

この物語の続きは明日また・・・。
今日一日、真我とともにあらんことを

天意天風

2010年3月10日水曜日

論語と算盤と天風哲学と電卓~論語創作ものがたり パート46

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく)~論語創作ものがたり パート46」だ。

諸君、一昨日の続きだね。
顔回(がんかい―回かい)が近くに来ると、蜘蛛の子(くものこ)を散らしたようにその場から立ち去って行く塾生が増えていった。
中には、先輩の顔回の顔を見て睨み返して去っていく門人もあった。
さすがの穏やかな顔回も、身に覚えのない陰湿な態度に憤りと疑念を抱いていたが、孔子先生には、そんな様子は一切見せなかった。

そんな最中、帰宅の途中で、後ろから呼び止める声がする。
孔子先生の御用で留守にしていた子貢(しこう)であった。

子貢曰く、「回さん、ご苦労さまです! お帰りですか?・・・  回さんどうしたんですか? 元気がないじゃないですか? 体の具合でも悪いんですか?」

回曰く、「子貢君、君は私と口をきいてもいいのかい?」

「はぁ~? 何をバカなことを言っているんですか? 同門の子貢ですよ! 回さんとてもお疲れのようですね! 私の留守中に何かあったんですか?」

「私にもよくわからないんだ!」

「わからないって、どういうことですか?」

「突然、子路(しろ)先輩や神北(かんぺき)君が口をきかなくなったんだ。 私が挨拶や声をかけると、すぐその場を立ち去るんだ。 君の留守中から他の門下生も同じ態度をとるようになったんだ。 先生のいらっしゃるところではさすがにそれはないが、先生が立ち去るとすぐに私を無視しだすんだよ。 気にとめないようにしているんだがね! さすがにまいっているんだ。」

「そうですか。 回さん、何か心当たりはありますか?」

「私は普段通りで、思い当たるところがないんだよ。」

「回さん、これから私は孔子先生のところにご報告にあがるところです。 もし、お急ぎでなければ、留守中に私の当番を回さんに代わっていただきました。 お礼に一献(いっこん)差し上げたいが、いかがでしょうか?」

「子貢君、これについては先生には話さないでくれたまえ。」

「承知しました。 回さん、久しぶりに飲みながら、お互い忌憚(きたん)のない話をしませんか?」

「子貢君、ありがとう! では、君のご厚意に甘えて、そうさせて頂くことにするよ。」

「それでは、回さん、居酒屋『ざ・論民』をご存知ですね! そこの2階でPM7:00に待ち合わせしませんか? もし私が遅れるようでしたら、先に飲んでいてかまいませんから! 勘定は私に任せて下さい! 時間に間に合うように急いで行きますから、待っていて下さいな!」

「いや、子貢君、君が来るまで待たせてもらうよ!」

「回さん、あいかわらず律儀ですね。 では、後ほど・・・」

この物語の続きは明日また・・・。
今日一日、真我とともにあらんことを

天意天風

2010年3月9日火曜日

論語と算盤と天風哲学と電卓~論語創作ものがたり パート45

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく)~論語創作ものがたり パート45」だ。


諸君、「論語」の中の言葉は、その時代に応じていろいろな方々がそれを引用してきたんだね!
もちろん私もそうでありました。
かつての私のファンクラブの一人で有名人でもある松下幸之助氏もご自身の著書の中で引用の引用をしているね。
そこんとこおもしろいのでクローズアップして紹介しよう。

「生成発展が自然の理法」の中での一コマなんですな。
これは幕末のはなしでありますが、維新の志士の一人である坂本竜馬は大河ドラマ「龍馬伝」で今でも大活躍中の人物ですね。
その竜馬は、よく西郷隆盛と話し合ったものでした。
私の恩師である頭山満翁の敬愛する「敬天愛人」の西郷さんですね。
ところが、この坂本竜馬の意見は会うたびに朝令暮改(ちょうれいぼかい)でコロコロ変わっている。
そのために、話をしていても、西郷隆盛が彼から受ける感じが毎回違うんだ。
そこである日、西郷さんが「あなたはおととい会ったときと、今日の話とはまた違うではないか。 そんなことではあなたの言葉は信用できない。 天下の士として信じられる者には、不動の信念がなければならない」と言って非難したんですよ。
もちろん、薩摩のなまりの言葉で話したんですな!

その時、坂本竜馬は
「いや、決してそうじゃないよ、西郷どん。 孔子は『君子は時に従う』と言っているじゃないか。 刻々と時は移り、社会情勢は日に日に変わっているじゃないですか。 だから今日の是が明日の非になるのは当然じゃないですか。 今日よしとされることが、明日には、ダメになる。 この、時に従うこと、これが君子たるもののとる道じゃないですかい。」と言い切った。
さらに語を継いで、「西郷さん、あなたは、一度こうだと考えると終始一貫、それを守り続けようとする。 だがそれでは、将来、必ずあなたは時代に遅れて取り残されますよ。」と答えたとのこと。

西郷さんほどの人物を、そう軽々しく批判することは、控えなければならないが、生成発展という原理(プリンシプル)から考えてみると、坂本竜馬にいささかの賛成の意を持ちたいと思うと松下氏も言っておられる。
私もその意に賛成である。

この物語の続きは明日また・・・。
今日一日、真我とともにあらんことを

天意天風

2010年3月8日月曜日

論語と算盤と天風哲学と電卓~論語創作ものがたり パート44

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく)~論語創作ものがたり パート44」だ。


諸君、孔子門人で顔回(がんかい―回 かい)の友人の曽子(そし)が、顔回の人となりを称して、「どんなに才能があっても、それにおぼれず、学問を日々怠らず、また自分以下の者にも意見を求める。 どんなに知識が豊かでもそれに頼らず、他人の見聞に徴(ちょう)してみる。 衆知を集め、能力を誇示せず、学識をひけらかさず、争いをしかけられても相手になろうとしなかった。 私の亡くなった友人顔回は、こうした生き方のできる素晴らしい人物でした。」と述べているんだね。

顔回いつも通り正門をくぐると門の裏で隠れるように話し合っている先輩の子路と神北(かんぺき)の姿があった。

回曰く、「子路(しろ)先輩、おはようございます。 今日一日よろしくお願いいたします。」

子路、一瞥(いちべつ)するも回と目を合わさず、避けるように無視する。
無論、無口!

「神北君、おはよう! 今日一日よろしくお願いいたします。」

ちょっと、バツが悪い表情をした神北であったが、子路の方を向いてこちらを見ようともせず無言であった。

「子路先輩、神北君どうしたんですか? 何かあったんですか?」

子路曰く、「神北いくぞ。 ついてこい!」

子路と神北は、回の投げかけた言葉を避けるように無視して、そそくさと門の外に出て行ってしまった。

「どうしたんだろう? いつもと様子が違うが、何かあったんだろうか? まー、いい。 気にしているヒマはない。 急いで教室に行って、先生の今日一日一話の講義の準備をしなきゃ!」 回、教室に入る。

今日の講義のために、次々と、塾生が入室する。

回曰く、「諸君、おはよう!」
無言!

回曰く、「諸君、おはよう!」
無言!

回曰く、「諸君、おはよう!」
無言!

回、心の中で「いつもニコニコして挨拶を交わすのが、塾生同士の常であったのだが、だれも私の目を見ようともしない! むしろ無視するかのようだ。 何か様子が変だ! ま~気にすまい! 先生ももうすぐ来られることだ。 気分をとり直して明るくいこう!」とつぶやく。

孔子先生、中庭をはさんだ向こうから渡り廊下を歩いてこられるのが見えた。

回、教室の前で先生を出迎えて曰く、「先生、おはようございます。 今日一日、ご指導、よろしくお願いいたします!」

「お~お、回よ、おはよう。 今日一日、サポートを頼むぞ。」

「はい、もうすでに準備は整っております。 塾生も子路先輩と神北君以外は、全員そろっております。」

「おお、そうか。 また子路はサボリかい?」

「私には、わかりかねます。」

「神北は金魚のフンかい?」

「私には、わかりかねます。」

「わかった! 子路に注意しておこう。」

この物語の続きは明日また・・・。
今日一日、真我とともにあらんことを
天意天風

2010年3月7日日曜日

論語と算盤と天風哲学と電卓〜論語創作ものがたり パート43

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく)〜論語創作ものがたり パート43」だ。

私の解釈は別としても、こんなことが「論語」の中に載っているんですよ。

回は実の息子以上の存在であって、孔子先生の後継ぎで、頭が良くて、勉強大好きで、なおかつ思いやりがあって、優しく気立てがいい。
とくりゃ、そりゃ身贔屓(みびいき)もしたくなるのが人情だね。
えこひいきもする。
回の悪口言われりゃ、すぐかばいたくなる。
回をいじめるやつは、同門の弟子でも許さない!
以上のことで子路の嫉妬もうなずける一面もあるね!
火のないところに煙は立ちませんよ。
何故って?
それは、顔回に関しては、父子の接し方であって、他の門人との接し方態度とはあきらかに異なっていたんだろうね。

諸君、そんなこんなで、子路のち密な計画は、思惑通りにはこんだ。
孔子先生、顔回、子貢の三人だけには、耳に入らなかったんだ。
顔回いつも通りに、早朝より働いて、一椀の雑炊をすすり、白湯を飲み、書籍を布に巻いて、腹帯としてしっかりと腰に巻いて、身支度を整えた。
とにかく、学問が三度の飯より好きな顔回君なんだな!
孔子塾門前に来ると弟子は必ず教えを謙虚に乞う姿勢を一礼(おじぎ)をすることによってその意を表すのがならわしであった。
顔回は、師に対する姿勢が際立っていたんだ。
日本の神様ではないから、二礼二拍手一礼をしたかは定かではないが、「一礼(おじぎ)をするとともに、本日も師について学べることを心より感謝します。」という口上を述べて門をくぐっていたとか?
そして、後輩であろうと、近所のおばさんであろうと、子供たちであろうと、自ら率先してあいさつすることにしていた。
礼儀正しい好青年何だね、回君はね!
こんな青年は、やはり人から好かれるんですよ。

子曰く、「なあ、回よ、教養を広めると同時に、これを礼によって集約する実践態度、これこそ君子
としての義務に忠実なものと言えるだろう。」との教えを素直に聞いて、実践している回君なんだ。
これが人から好かれるコツでもあるんだ。
だから好かれようと思わなくても勝手に好かれちまうんだね!


この物語の続きは明日また・・・。
今日一日、真我とともにあらんことを

天意天風

2010年3月6日土曜日

論語と算盤と天風哲学と電卓〜論語創作ものがたり パート42

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく)~論語創作ものがたり パート42」だ。

クローズアップ「人間孔子に迫る。」
では、私なりの解釈をしよう!




「顔回(がんかい)が死んでしまった。 実の息子以上の顔回が死んじゃった。 天意を汲んで『仁』を志してきたあの顔回が死んでしまった。 何故天は私から回を奪うのか? 天は私を見放したのだ。」

「常々『知者は惑わず、仁者は憂えず、勇者は懼(おそ)れない。』と言っておられる孔子先生が人前で見栄も外聞もなく身を震わせ声を上げて激しく大泣きをされている。あの偉大な孔子先生があれほど慟哭されるとは、驚きだ。 先生は本当に仁者なのであろうか?」

そのつぶやきを耳にした孔子は、
「この私がまぶたをはらし、目を真っ赤にして、犬のように大口を開けて鼻水やよだれをダラダラたらしながら、大声を出して泣き叫んでいるというのか? そうかい、この私がかい? だが、慟哭もしようぞ。 お前ら、凡俗凡庸の一般門人が死んじまうのとは訳が違うわ! わが子同然のあの回が死んだのだぞ。」

ま〜、付き添っていた門人は、それを聞いてムカッとしただろうが、それでも深い悲しみの先生にかける言葉もなくて、オロオロして困っていたんだろうね。
ああ、かわいい回が死んじゃったよ!
門人仲間は先生第一のお気に入りの回のために一門をあげて、盛大な葬儀を営もうとしたんだよ。

「孔子一門結集して、孔子先生を励ますためにもたくさんの方々に来て頂いて、顔回を偲んで、盛大に門人葬を執り行いますがよろしいでしょうか?」

「真心がこもっていれば質素でいいんだ。」と言って一門葬を止めた。
だが、回の友人たちは盛大な葬儀を営んだ。

「回は私を本当の父親のように慕ってくれた。 それなのに、私は、回をわが息子として送ってやれなかった。 気心しれた者たちと親族と私だけで質素にしめやかに送りたかったんだ。 それなのに、止めたのも聞かずに、アホ弟子は、派手な葬儀などしおってからに・・・ いとしい息子の回よ! これは私の望むところではないのだ。 私のせいではない。 すべてはアホ連中が勝手にやったことだ。 許してくれ!」

諸君、孔子先生も手前勝手な一面もあるんだな!
何故かってかい?

「子曰く、君子は周(しゅう)して比(ひ)せず。 小人は比して周せず。」
君子は、対人関係が友好的であるが、身贔屓(みびいき)はしない。
小人は、その逆である。
身贔屓はするが、真に友好的ではない。

この物語の続きは明日また・・・。
今日一日、真我とともにあらんことを

天意天風

2010年3月5日金曜日

論語と算盤と天風哲学と電卓~論語創作ものがたり パート41

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく)~論語創作ものがたり パート41」だ。

諸君、「論語」を愛読されている方々であれば、顔回(がんかい―回)を特別に可愛がっていたことはすでにご存じでありましょう。
回(かい)に対する身贔屓(みびいき)がすぎるので子路(しろ)が孔子先生にくってかかったり、やきもちをやいたのもわかるね!
「論語」の中に出てくる以下の記述がそれを物語っているんだ。


顔淵(がんえん―顔回)死す。 子曰く、「ああ、天われを喪(ほろ)ぼせり。 天われを喪(ほろ)ぼせり。」 

顔淵死す。 子、これを哭(こく)して慟(どう)す。 従者曰く、「子慟せり。」 曰く、「慟するあるか。 かの人のために慟するにあらずして、誰(た)がためにせん。」

顔淵死す。 門人厚くこれを葬(ほうむ)らんと欲す。 子曰く、「不可なり。」 門人厚くこれを葬る。 子曰く、「回やわれを視ること、なお父のごとくなり。 われを視ること、なお子のごとくするを得ざるなり。 われにあらざるなり、かの二三子(にさんし)なり。」


諸君、顔回が若くして亡くなった時の孔子先生の落胆の様子が描かれているんだね。
明日は、私なりの解釈をしてみよう。

この物語の続きは明日また・・・。
今日一日、真我とともにあらんことを


天意天風

2010年3月4日木曜日

論語と算盤と天風哲学と電卓~論語創作ものがたり パート40

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく)~論語創作ものがたり パート40」だ。

諸君、昨日話した孔子先生の愚痴&ぼやきはこれなんだが、
「子曰く、三年学びて穀(こく)に至らざるは、得易(やす)からず」
他にも愚痴やぼやきが「論語」の中にけっこう載っているんだよ。
ご存知のことと思うが?
「孔子先生だって人間だもの」
そんな人間くさい一面をもつ人柄が描かれているのも「論語」の魅力のひとつなんだろうがね。
学者、見識のある方々によって解釈は様々であるが、私は、いつの時代も実理実利を重んじることは抜きにできないね。
実際の利益や実益のために孔子塾で学んでいると解釈をすれば、「三年も学問をするともう士官のことを気にする。 わが門下生もそんな連中ばかりだ。」と嘆いて愚痴&ぼやきを言っていたんだろうな!
この解釈の方が無理がないと思うんだが、諸君の見解はいかがな?
ま~、生前、私も似たようなことをやっていた、やらしていただいたのでわかるような気もするがね!
「親の心子知らず」という成句があるね!
「師の心、弟子知らず!」
そんなもんだね!
門人となった神北は人当たりがよく、処世術を心得た、弁舌も立ち、調子もいいやつだから、またたく間に門人連中に、子路の思惑通りに話が伝わっちまったんだな。
「好事(こうじ)門を出(い)でず、悪事千里を走る」というが、いつの世も人が集まればゴシップは世の常、それも悪い評判はすぐに世間に知れわたるものだということですな!
とにかく、子路の計画通りにことがはこんで行ったんだね!

この物語の続きは明日また・・・。
今日一日、真我とともにあらんことを
天意天風

2010年3月3日水曜日

論語と算盤と天風哲学と電卓~論語創作ものがたり パート39

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく)~論語創作ものがたり パート39」だ。


諸君、処世術という言葉があるよね!
この世の中で生きてゆく、暮しを立ててゆくための世渡りの術(すべ)。
つまり、今時で言う、「世渡り上手になるための学問のススメ!」みたいなものだな。
成功者による成功哲学もそのジャンルにはいるね!
「どうやったら巨万の富を築けるのか?」なんて書店に行けばたくさん並んでいるだろう!!
一般ピープルはそこまでの野心、野望、大志は無いにしても、今時の御時勢、正社員として就職ができれば十分とか、派遣でも働ければOK!とかね!
とにかく生活していければ文句はないとかね!
そんなことより、宝くじ3億円の半分でも当たる方法を知りたいとかね!
いろんな処世術本が出ているね!!
「これを読めばあなたは変わる。 一夜にして、成功者になれる!」なんてね!
それが、今時と言ったのは、孔子先生の孔子塾の第一義は、「君子たるもの」、または「『仁』の道に至る」ための学問であり、日々実践するための実践哲学を教えるものであるのだが、孔子塾で有能な人材を育て、世に排出していくことでもあった。
しかし、就職のためだけに門人となるという輩(やから)、そういう弟子も多くいたということが「論語」の中に孔子先生のポロっと口から出てしまった愚痴&ぼやきが載っているんですよ。
なにも子路だけが愚痴っぽかったわけではないですよ!
人間思い通りにいく時は、愚痴は出ませんよ!
その反対であれば、愚痴の一つや二つや三つ出ませんかい?
諸君はどうですかな?
身に覚えがありませんかな?

この物語の続きは明日また・・・。
今日一日、真我とともにあらんことを


天意天風

2010年3月2日火曜日

論語と算盤と天風哲学と電卓~論語創作ものがたり パート38

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく)~論語創作ものがたり パート38」だ。

諸君、論語の中に孔子先生と顔回と子路のこんなやり取りがある。

孔子先生が顔回に向かってこう言った。
「いったん登用されれば全力で発揮するが、認められぬときはじっと静観している。 こういう境地に安住できるのは、私とおまえぐらいのものだろうな。」

これを聞いていた子路は面白くなくって、黙っていられなかった。
孔子先生にくってかかるんだ。
「それならもし先生が大国の総司令官になられた場合は、どんな人物を頼りにしますか?」

「子路よ、素手で虎に立ち向かったり、歩いて黄河を渡るたぐいの無茶でおろかな命知らずはごめんだね。 むしろ臆病なほど注意深く、成功率の高い用意周到な綿密な計画を立てる人間の方が頼りになるよ。」と皮肉られたんだ。
子路、そう言われていたものだから、今回は、子路なりに考えて計画的に行動しているんだろうね?

「先輩、上手いこと言いますよね! それって、嘘も方便て言うんですか?」

「ばか言ってんじゃねえ! 大義名分て言うんだ! よく覚えておけ!」

「はい、先輩の言われる通りに上手くやりますよ! 任せておいて下さいな!」

「ドジるんじゃねえぞ! くれぐれも、先生と回と子貢には、気づかれぬようにやるんだぞ!! いいな!」

「合点しょうちのすけ! では早速取りかかります。」

「たのんだぞ!!」

この物語の続きは明日また・・・。
今日一日、真我とともにあらんことを

天意天風

2010年3月1日月曜日

論語と算盤と天風哲学と電卓~論語創作ものがたり パート37

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく)~論語創作ものがたり パート37」だ。
諸君、神北、調子のいい、目立ちたがりやだが、憎めないところもある。
しかし、何者だろうね?

子路(しろ)曰く、「神北(かんぺき)、おい、調子にのるんじゃないぞ!」

子路、すかさず神北の首根っこをつかまえてはがいじめにする。

神北こたえて曰く、「先輩、苦しいですよ! ゲホ! ゲホ! 息できませんよ!  ゲホ! ゲホ! ゲホ! はぁ~、殺されるかと思いましたよ! 先輩、とにかく落ちついて下さいよ! 先輩の約束は忘れていませんよ!」

「嘘を言うな!」

「本当ですよ!」

「必ず先輩の言う通りにしますから!」

「じゃ早速、俺の言う通りに始めてもらうぞ!」

「あいあいさ~! すぐ子路先輩の計画を行いますです!」

「おまえ調子のいいやつだなぁ! いいか、神北よ、居酒屋『ざ・論民』で俺との約束は覚えているよな! 忘れたとは言わさねえぞ! おまえは忘れてもこの背中の桜吹雪が忘れちゃいねえぜ!」

「先輩、いつから遠山の金さんになったんですか? 大丈夫ですよ、忘れちゃいません。 はい、はっきり覚えてますよ!」

「そうか! じゃここで言ってみろ!」

「はい! まず門人連中に、それとなく話しかけて、『顔回と口をきいてはならない! 完璧に無視するように! 子路大先輩の御命令だ。』と伝えるんですよね!」

「ばかやろう! 違うだろう、それではただの弱い者いじめじゃねえか。 いいか神北! 子貢が能力は俺のほうが上なのに、先生は顔回ばかり可愛がる。 子貢が不平不満を言ってきたので、心やさしい子路先輩が、グッチー(愚痴)を聞いて、相談にのってやったんだ。 弟子同士、不平不満や嫉妬がつのれば、孔子一門の結束が乱れる。 また、世間にうわさが流れれば、先生と門人の恥ともなる。 これでは君子たるものを目指す門人の一人として、はたまた『仁』の道を極めんと志すものとして、道義がたたぬから、ここで大先輩の子路様が男気を出されて、これを正そうということだ。」

この物語の続きは明日また・・・。
今日一日、真我とともにあらんことを

天意天風