2010年10月8日金曜日

論語と算盤と天風哲学と電卓~論語創作ものがたり パート258

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく)〜論語創作ものがたり パート258』だ。

諸君、昨日の引き続きであります。  

子貢曰く、「どうして先生には、霊魂の固有性能を見分けることが出来るのですか?」

子曰く、「私は道を探究する過程で気付いたのだが、霊魂には心がある。 自我の心以外の心である。 その心を霊性心と呼んでいる。」

子貢曰く、「先生、霊性心をもう少しわかりやすく御説明して頂けませんか?」

子曰く、「せっかくの折だから、掻(か)い摘(つま)んで話をすることにしよう。 霊性心は、われわれ人類の精神のみに特有された極めて優秀性を有する最高級のものである。 普通人には容易に発現し得ないと言われる、かの霊感とか霊智とかいうような特殊なものは、いずれもこの心から発露するものなので、いわゆる神秘的な偉大な思索や、崇高な思想というようなものは、一切この心を本源としえ形成されるものなのである。 私見だが遺憾ながら、この心の働きや力に対しては、あまりにも知らなさ過ぎるくらい無理解な人が多いと言える。」

子貢曰く、「私は、先生から霊性心について初めて聞きました。 私もあまりにも知らなさ過ぎる無理解な一人です。 今後ともご指導の程宜しくお願い致します。」

子曰く、「弟子の中でもすでに心の準備ができているもの以外は話はしない。 何を語っているのか理解するまでになかなか至らない・・・ それでは誤解を招くだけだ。 この頃の子貢は私の話の真意をくみ、奥深いところが理解出来るようになってきたからな。」

子貢曰く、「先生、私は心の準備ができていると受け取ってよろしいのでしょうか?」

この続きは明日また・・・。 
今日一日、真我とともにあらんことを

天意天風

2010年10月7日木曜日

論語と算盤と天風哲学と電卓~論語創作ものがたり パート257

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく)〜論語創作ものがたり パート257』だ。

諸君、昨日の引き続きであります。  

子曰く、「子貢(しこう)よ、お前は何が言いたいのだ?」

子貢曰く、「それは、私と回(かい)さんのことです。」

子曰く、「回と子貢とな?」

子貢曰く、「はい、ダイヤモンドの原石は回さんで、私は瑚璉(これん)ということです。 先生のおっしゃりようですと、初めから素材が違うと言われんばかりです。」

子曰く、「『性(せい)、相(あい)近し、習(ならい)、相遠し。』 つまり、天性は誰でも似かよっている。 教養や習慣の違いで差がつくのだよ。」

子貢曰く、「私には、言っておられることがよくわかりませんが?」

子曰く、「ダイヤモンドの原石は、そのままではダイヤモンドにならない。 子貢、君は自己を陶冶し、今では最高の器として立派に役に立っているではないか。」

子貢曰く、「そう言われますが、回さんのようにダイヤモンドにはなれません。」

子曰く、「子貢よ、君は回に嫉妬しているのかい?」

子貢曰く、「回さんの才能に嫉妬しています。」

子曰く、「回の才能は回のものだ。 子貢よ、あえてダイヤモンドになる必要はないのだよ。 君の本来の自己である霊魂の中に秘めている固有性能というものがあるんだよ。 もちろん回にもある。」

子貢曰く、「そんなものがあるんですか? はじめて聞きます。」

子曰く、「はじめて聞いてもあるものはあるんだ。 霊魂の固有性能というんだが、これは親子であっても、二子の兄弟姉妹であっても、同じ心の人間はいない通り、心は皆異なる。 これは納得できるだろう。」

子貢曰く、「はい。」

子曰く、「霊魂の固有性能も皆異なるんだ。 別の言い方をすれば、子貢の『我が本性の固有する霊性』とも言うんだ。 これが君の素質なんだよ。」

この続きは明日また・・・。 
今日一日、真我とともにあらんことを

天意天風

2010年10月6日水曜日

論語と算盤と天風哲学と電卓~論語創作ものがたり パート256

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく)〜論語創作ものがたり パート256』だ。

諸君、昨日の引き続きであります。  

子曰く、「もちろんだ。 磨かれるべく素材があってこその研磨である。 ダイヤモンドの原石は一見するとただ炭と同じく黒いだけである。 やはりよくよく磨いてこそ光にあてるとあのような輝きを放つのであるから、私も子貢も弟子たちもここでこうして学んで正しく考えることで輝きを増すために研磨しているのだ。」

子貢(しこう)曰く、「素材がダイヤモンドの原石ならいざ知らず、ただの石ころだとしたら磨きがいがないではありませんか。」

子曰く、「子貢よ、知ることは聡明(そうめい)を増すことである。 しかし、正しく考えることは一層心を研(と)ぐことになる。 さらに行ずることによって、自らを正しく救うことになる。 玉みがかざれば光なし。 と同時に、道端にあるただの石ころであるとしても、石もみがけば玉となることあり。 また玉にならないまでも、みがかぬ玉よりははるかに良くなることは必定である。」

子貢曰く、「以前、先生に私をご批評願いますとお願いしたら、先生は『お前は器(うつわ)だ』と申されました。 私は『器(うつわ)と申しますと?』と尋ねますと、先生は『瑚璉(これん)だよ。 瑚璉は器としては最高のものだ。』と言われました。 ダイヤモンドの原石の石ころと瑚璉との違いをどのように見分けておられるのですか?」

この続きは明日また・・・。 
今日一日、真我とともにあらんことを

天意天風

2010年10月5日火曜日

論語と算盤と天風哲学と電卓~論語創作ものがたり パート255

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく)〜論語創作ものがたり パート255』だ。

諸君、昨日の引き続きであります。  

子貢(しこう)曰く、「はい、先生のおことばですが、私はお聞きするだけで実感がともないません。」

子曰く、「さもあらん! 今は聞いて知っておくだけでもよい。」

子貢曰く、「先生は齢(よわい)五十にして天命を知ったと聞いておりますが、先生の天命とはいかに?」

子曰く、「『道に志し、徳に拠(よ)り、仁に拠(よ)り、芸(げい)に遊ぶ。』 つまり、道を目標とし、徳を身につけ、仁を実践し、教養を広める。 これが私の生き方である。 またライフワークである。 この生き方による生き様を弟子たちや後世に生まれてくる弟子たちに伝え残すことである。」

子貢曰く、「それが先生の天命なんですか?」

子曰く、「そうだ。 何人ももれおつことの無い天命の大使命は、万物の霊長たる人間として宇宙原則に即応して、この世の中の進化と向上とを現実化することに努力するべく現象界に生まれてきたのである。 子貢よ、君もその一人なんだよ!」

子貢曰く、「私もそうなんですか? しかし、私は先生のような非凡な才能は持ち合わせておりません。」

子曰く、「『われは生まれながらにしてこれを知る者にあらず、古(いにしえ)を好み、敏(びん)にしてもってこれを求むる者なり。』 つまり、私だって先天的に才能があった訳じゃないんだ。 子貢よ、『習慣は第二の天性』と言うだろう。 先人の業績をしたって、それを倦(う)まず弛(たゆ)まずその『第二の天性』でただ研究研鑽(けんさん)しただけなのだ。」

子貢曰く、「それにしても、『第二の天性』で磨くと言っても、本来持ち合わせている素材や素質があろうと思うのですが、いかがでしょうか?」

この続きは明日また・・・。 
今日一日、真我とともにあらんことを
天意天風

2010年10月4日月曜日

論語と算盤と天風哲学と電卓~論語創作ものがたり パート254

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく)〜論語創作ものがたり パート254』だ。

諸君、昨日の引き続きであります。  

子貢(しこう)曰く、「先生の内在の神との対話ですね!」

子曰く、「そうだね! 真我と自我との対話と言ってよいだろう。」

子貢曰く、「それで魂からの返答は何と?」

子曰く、「真我からの返答は、『あそこには道の教えを必要としている若者たちがあなたの帰りを今か今かと待っている。 あふれる向上意欲をもてあましているあなたの弟子となる若者たちが待っている! 魯にすぐ帰れ。』と私に語りかけてくれたんだ。」

子貢曰く、「そうでしたか。」

子曰く、「子貢よ、私は私の心の中で真我と対話し、その対話を通じて真我の中にこの世の全てのものを正しく理解し得る偉大なる『光り』なるものが宿り居ることを厳かに感じている。 この『光り』こそは、唯一(ただひと)つの絶対たる宇宙根本主体(天)が我が霊魂の中に与え給いし慈悲の一雫(ひとしずく)である。 またこの『光り』こそは、我が命と宇宙根本主体とを確実に結びつくるくろがねの鎖である。 と同時に更に真理の扉を開く秘密の符牒を知る金鍵(きんけん)なんだ。」

子貢曰く、「先生が言われる『魂の中の“光り”は、真理の扉を開く秘密の符牒を知る金鍵(きんけん) 』とはどういうことなんですか?」

子曰く、「子貢よ、この『光り』が我が心の中に燦然として輝くと、尊しや宇宙根本主体は、世の人の言う『神の啓示』なるものを与えてくれる。 そして無限の力を以って、迷いに眩(くら)む私の心の眼(まなこ)を正しく開かせてくれるんだ。」

この続きは明日また・・・。 
今日一日、真我とともにあらんことを

天意天風

2010年10月3日日曜日

論語と算盤と天風哲学と電卓~論語創作ものがたり パート253

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく)〜論語創作ものがたり パート253』だ。

諸君、昨日の引き続きであります。  

子貢(しこう)曰く、「先生、霊門の扉が開かれるとどうなるんですか?」

子曰く、「子貢よ、君も承知の通り、私は、『朝(あした)に道を聞(き)かば、夕(ゆうべ)に死すとも可なり。』と言ってきている。 只今も変わってはいない。 霊門の扉が開かれると、わが意識の心耳に妙(た)えなる魂の囁(ささや)きを聴くことができうるんだよ。」

子貢曰く、「本当に『魂の囁き』を聴くことができるんですか?」

子曰く、「できる!」

子貢曰く、「先生は常に聴いておられるんですか?」

子曰く、「齢(よわい)六十を過ぎてより、我が魂の囁きに心耳は素直に順(した)がって聴いている。」

子貢曰く、「魂はどのようなことを囁いているんですか?」

子曰く、「道を指し示してくれるんだ。」

子貢曰く、「道を指し示してくれるんですか?」

子曰く、「そうだ。」

子貢曰く、「例えばどんなことですか?」

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諸君、論語「公冶長篇」にこのように述べられている。

子、陳に在りて曰く、「帰らんか、帰らんか。 わが党の小子、狂簡にして斐然(ひぜん)として章を成す。 これを裁するゆえんを知らず。」

「さあ、一刻も早く故郷へ戻ろう。 あそこには若者たちが私を待っている。 あふれる意欲を持てあましている若者たちが。 色あざやかな布地は織ったが、仕立て方がわからぬ若者たちが。」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

子曰く、「子貢よ、私が陳の国に在ったときに、私の魂の囁きは、『一刻も早く生まれ故郷の魯の国へ帰りなさい!』と示唆されたんだ。 『聴き間違えはならぬ!』と思い、心静かにして『故障へ帰れとはどういうことですか?』とあらためて魂に問うたのだ。」

この続きは明日また・・・。 
今日一日、真我とともにあらんことを

天意天風

2010年10月2日土曜日

論語と算盤と天風哲学と電卓~論語創作ものがたり パート252

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく)〜論語創作ものがたり パート252』だ。

諸君、「論語創作ものがたり」のひきつづきであります。  

子曰く、「子貢(しこう)よ、私は四十まではいよいよ学んで、いよいよ苦しみ、いよいよ極めて、いよいよ迷った。 それまでの私は、徒(いたずら)に肉身または心を人の本体なりと思い惑っていた。 人の本体は肉身にあらず、また心にもあらず。 人の本体は絶対にして不変または不朽不滅なる霊魂なんだ。 身といい、心と称するものは、真我の命が現象の世界に活きてゆくための一切方便を行わんがための命への要具なんだと気付いた。 それに気がついてより迷わなくなった。 およそ人間の心の奥には、幽玄(ゆうげん)微妙はたまたおしはかることが出来ない一大心界がある。 しかもこの心界は、宇宙創造の力と通じ、常に自己を援(たす)け、自己を危害を加えようとするものからかばい守ってくれる務めを行っているんだ。 子貢よ、しかし人々の多くはこの崇高なる心界が、わが命の中に在るのだが、それに気付かず、徒(いたず)らに心の一部に存在する低劣なる心意にのみあたら貴重なる人生を委(ゆだ)ぬるがために、心ならずも価値なき苦しみと悶(もだ)えとを招くんだよ。 心といい肉身というも、それは所詮(しょせん)はわが本体たる霊魂の要具に過ぎない、徒に益なき煩悩(ぼんのう)に執着して、低劣なる心を夢にも躍らしてはならない。 子貢よ、私は、私の裡(うち)なる魂に問い続けた。 また真理・道理にかなう人の道を訪ね続けた。 日々常に心鏡止水(しんきょうしすい)わが本性の固有する霊性開顕(れいせいかいけん)に努力精進した。 倦(う)まず弛(たゆ)まず私の裡の霊門の扉を叩き続けた。 叩けよ、さらば開かれん! 五十を過ぎたころ、堅く閉ざされていた霊門の扉が、裡より静かに開かれてきたんだ。」

この続きは明日また・・・。 
今日一日、真我とともにあらんことを
天意天風

2010年10月1日金曜日

論語と算盤と天風哲学と電卓~論語創作ものがたり パート251

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく)〜論語創作ものがたり パート251』だ。

諸君、昨日のひきつづきであります。  

『それから、心性意識という意識は、常に発達的だということを忘れちゃ駄目よ。これを忘れちまうと、きょう自分の理性で考えたことが永久に正しいように思い違いしちまうんです。よく議論して平気でこんなこと言ってる人があるんだ。
 「おまえ、そんなこと言うけどな、物の道理を考えてみろ、物の道理を。俺はどうしても、おまえの言うことは違うと思うんだ。縦から考えても、横から考えても、俺の言ってるのが本当だと思うんだ」
 といってる言葉が永久に本当と思ったら違うよ。理性は発達するんだ。きょういいと思っても、あした悪いことになることがあるかもしれない。
 考えてごらん。その昔、人の命をとることはけっして悪いことじゃなかった。元亀(げんき)・天正(てんしょう)より以前の時代は、今のように完全な法治国家じゃなかった。自分を守るものは自分だもの。だから、せっぱつまった場合に人をたたっ斬(き)ったって、けっして罪になりゃしないもの。とくに武士と称する一階級のものは、武士以外の人間だったら人間扱いしないからね。町人なんていうのは無礼打ちでかまわないということになってた。
 もう一段前になると、台湾の生蕃(せいばん)と同じように、自分の殺した人間の数の多いのを自慢にするというような状態だった。それが、その時分の人間の生命を守る一つの手段であると同時に、人生の誇りだった。
 ところが段々だんだん時代が進化するにつれて、人を殺すことは非常な罪悪だということになってるだろう。
 ただし、人を殺せば罪悪だと言いながら、今でも戦争ではドンドン人を殺してるわね。これもまあ、二十年、三十年たったら人を殺さないで、戦争は議論するだけでおしまいにする時代がくるでしょう。そうなりゃあ、しめたもんだけどもね。
 またさらに、二千年のその昔、支那の孔子が生きてる時分には、男、女が七歳以上は一緒にいちゃいけないということになってたんだ―「男女七歳にして席を同じゅうせず」。つまり、その時分の支那人は七歳で色気がでたらしいんだな。今の人間みたいに、生まれるとすぐ色気があるなんてことはなかったらしい。今の人間をもしも孔子に見せたら大変だと思うよ。こらまあ、「これ、人間どもか! あれあれ、あそこに男と女、男と女」ということになるだろう。今じゃあ男と女とこうやって一緒に並んで話を聞いてて、何も罪だと思わないわね。
 昭和二十年まで日本の女は、亭主をもってほかの男と情を通じると姦通罪って罪があった。ありましたな。けど、今は姦通罪がないんだから、いやだったら別れなさい、何も辛抱して一緒にいる必要はありません、というのが法律だもの。段々だんだん変わってきちゃうんだもの。
 今より五千年もたつと、一年ごとに隣のかかあと交代しようなんてことになりやしないかと思うけど、まあとにかく、いろんな時代がくるよ。
 だから、理性というものは、たったいま考えて、これが完全に正当だと思っても、あしたは正当でなくなるかもしれないことを考えなきゃいけない。これは非常に重要な自覚なんだぜ。ところが、心性意識が発達的なものであるということを知らずに生きてる人が多い。これは本当に真剣に考えなきゃいけないよ。いわんやまして、心性意識が非常に発達的なものであるということがわかればだ、霊性意識から霊感を引きだす非常に大きなこれは手がかりになるんだもん。心性意識の働き方一つで霊感がでてくるんだぜ。だから、心性意識がどういうものだということを正しくわからなきゃ、何にもならないんだ。
 理性というものは、心性意識の発達にともなって、やっぱり相対比例で発達してるってことを忘れちゃ駄目よ。だから、軽率に、俺はこういうふうに考えて、これがどこまでもいいと思うんだ、というふうに言い張ることは、よほど考えなきゃいけない。
 理性本位で生きちゃいけないんですよ。だいいち、理性本位で生きるとね、生きるその人間ひとりが非常な苦労をするんですよ。それがわからないんだ、多くの人には。私なんかが、もうそら、形容ができない苦労をしたのは、自分の理屈で自分が苦労したからだ。
 もちろん、理性を排斥してんじゃないんだよ。発達した理性が進化向上を現実化していくんだから、そして文化というような恩沢(おんたく)を受けるような境涯もできてんだから。理性というものは尊重しなきゃいけないけれども、尊重しろということと、それ一点ばりで生きろということとは違うんだもん。わかる? 尊いから尊重はしなさい。けど、それ一点ばりで生きろと言うんじゃないもの。
 人生はねえ、何をいったい本位として生きなきゃいけないかと言うと、霊性を本位として生きなきゃいけない。霊性は発達性のものじゃないから、けっして間違った考え方はだしませんよ。理性のほうは知識とともに発達していくから、その知識が増えりゃ増えるほど、きのう考えたことがきょういけなくなり、きょう考えたことがあした間違ってるってことがわかるようになってくる。』

諸君、「霊感は人間の命の本体である霊魂という気体の中にあるんだ!」ということを多少なりとも理解されたと思う。
では、明日は「論語創作ものがたり」に話を戻すことにしよう。

この続きは明日また・・・。
今日一日、真我とともにあらんことを

天意天風

2010年9月30日木曜日

論語と算盤と天風哲学と電卓~論語創作ものがたり パート250

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく)〜論語創作ものがたり パート250』だ。

諸君、昨日のひきつづきであります。  

『第一の肉性意識なるものは、人間ばかりじゃないんだぜ。肉体のあるものには、鳥、獣から、昆虫、爬虫、もっと厳格に言ったら、顕微鏡で見なきゃわからないアミ―バのような微細なものにもあるんだ。
 が、第二の心性意識と第三の霊性意識とは人間だけしかないんだ。万物の霊長たる我れら人間だけに付与された心で、ほかのものにはないの。うちの犬や猫は人間よりも利ロですよというようなことをよく言う人があるわね。そいつはまあ、かわいいペットだから、形容してそう言うんだろうけども、いくら利口でもだよ、犬、猫にはこの第二の心性意識も第三の霊性意識もむろんない。
 だから、庭で飼われている犬が、座敷でかわいがられてる猫を見てハンストをおこしたなんていうのはないでしょう。理性心意識がないもん。
 人間になると、もうすぐ不平を言うわね。同じ兄弟でも、弟がかわいがられるとか、兄貴だけがかわいがられるとか、妹だけがかわいがられて、姉が粗略にされてるなんて、すぐ不平おこすだろう。これは理性心意識があるからなんだ。
 人間以外の動物は肉性意識のみで生きてるんだから、自己というものをただ単に肉体だけのものとしか考えていないのであります。ほかのこと考えられないんだもん。いかなる事柄に直面しても、その事柄に関する事情だとか理由とかというような複雑なことはぜんぜん考えられないんです。考えようとしても、考える心がないんだから、考えられないわな。心性意識が働かなかったら、考えられないんですよ。
 たとえば、ここに一匹の犬が、吹きすさむ嵐の夜、木にゆわかれてつながれたとするんだ。するとその犬は必ずや、キャンキャン吠えたり、暴れたりしますよ。けれども、吠えたり暴れたりするのは、その場から何とかして逃れて、現在の自分の肉体の感じてる不愉快から、もっと安楽なところに行きたいと思うだけで、吠えたり騒いだりしてるだけたんだ。肉性意識がそういうことをさせてるだけなんだ。つまり、肉体に感じる不愉快な感じや、または苦痛の感覚だけを意識して、それから逃れたいだけなんだ。それ以上に階級の高い心性意識などはもともとないんだから、その心にでようはずがないもん。
 だから、ギャンギャン吠えながらも、こんな雨風の激しい嵐の晩に、一体どういう理由で俺はここにつながれたのかなあ、なんてことは言いませんよ。考えられないもん。
 ところが、人間だったらどうなるんだよ。あんた方をいきなり座敷から引きずりだして、嵐の晩に、高手小手にいましめて、庭の木にゆわえつけたとしたら、あなた方はねえ、どんな偉い人にやられたからって、礼は言わないだろう。そうらもう理屈を言いますよ。何で私、ゆわかれてここにいなきゃなんねえんだ。病になったらどうするんだ、一体全体。あれからこれへといろんなことを言うでしょうが。そらもう犬、猫がゆわかれた場合とは格段の相違がでてくるのは、けっきょく要するに、犬や猫は肉性意識が命の全体であるのに比較して、人間のほうはそれより階級の高い心性意識や霊性意識があるがためなんだ。
 動物にだってやっぱり愉快な感覚や不愉快な感覚はありますよ。犬なんか愉快な感覚になって、尾をふってるじゃないか。また、痛い感覚や辛い感覚もあります。それから、物の味わいのうまいとか、まずいとかもありますよ、人間同様。しかし、彼らはただ単に肉体感覚だけで知覚したものを意識してるだけなんだからね。推理的に考える作用は心にないんだから、そこが人間と動物の違うところなんだ。』


この続きは明日また・・・。
今日一日、真我とともにあらんことを

天意天風

2010年9月29日水曜日

論語と算盤と天風哲学と電卓~論語創作ものがたり パート249

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく)〜論語創作ものがたり パート249』だ。

諸君、昨日のひきつづきであります。  

『「一生かかって山の中で、こうして難行苦行しなければ掘りだせないのですか」と言ったらね、
 「うーん、掘りだす方法を知ってしまえば、わけないんだ。けれども、そのわけない方法をみつけることがなかなかできないから、こうやって一生懸命に難行苦行してるんだ」
 この言葉はやがて、きょうの話を聞くと、ああ、そうだなあ、ということがすぐわかる。
私もその初め、何か非常にこれは難しいものであるかのごとくに考えちゃったよ、知らないから。
 けど、ようく考えてみると、人間が人間になるんだから、難しいはずはありませんわね。 人間が猿になるとか、改めて馬になる、こいつは難しいよ。できっこないもん。生まれたときは、諸君はみんな正真正銘の人間だったんだぜ。猿の子でも豚の子でもなかったんだ。
 ただ、物心ついてから、もちろん知らずにやっちゃったことだけれども、にせものになっちゃったのよ。にせものになっちまうと、自分の心の奥底に生まれながら与えられた自覚正念、霊感というものをぜんぜん気がつかないんだから、どうしてもあるとは思いやしませんよ。あると思わないんだから、一生使うことなしに終わっちまうんだ。
 そして、やれ健康がどうの、運命がどうのと、ただもう、ああもなりたい、こうもなりたいという欲望は炎と燃やしていても、これもいつも口癖に言ってるが、日向で自分の影法師をとっつかまえようと思って、駆けりや駆けだすほど、その影法師も逃げだしてしまうような状態の人生を繰り返し繰り返し生きて、そしてどうにもならないで、五十か六十歳でキューツと死んじまう。つまんない人生ですわね、これ。
 支那の昔のことわざに、「悟れば一瞬にして喜びきたり、迷いは永劫に不幸きたる」というのがあるが、全くそのとおりです。
 だから、耳で聞くと同時に、これを本当に自分のものにしなきゃ駄目ですよ。ただおもしろおかしく聞いてるだけじゃあ、何のくその役にもたたないんだから。

 それでは、第一番に知っておきたいことは何だというと、「意識」ということであります。
 意識というのは、わかりやすく言うと、心の活動する状態に対する形容詞なんだ。わかりました? だから、心が活動しなかったら意識はでてこない。心が活動すると同時にでてきた現象を意識という。
 思ったり、考えたりしたら、もうそれが意識なんだよ。心の活動は思考によって現実化するんだから。心は思ったり、考えたりする以外に働かないのよ。心は駆けださないのよ。思ったり、考えたりするのが心の役目なんだもの。思いだした、考えだしたということになると、すぐそれが意識という状態になる。
 そして、一つのように見えてる意識が、その活動の上から仔細に区別すると三つになる。
三つとは何だというと、「肉性意識」と「心性意識」と「霊性意識」という三つのもの。
 それで、肉性意識のなかには「本能心」と「動物心」と「植物心」があるんだよ。心性意識のなかには「理性心」というのがあるわけだ。それから、霊性意識のなかには「霊性心」というものがある。
 第一の肉性意識というのは、肉体生命を生かすために必要な働きを行う心なんです。第二の心性意識というのは、精神生命のなかに存在する理性心から発生する意識なんです。第三の霊性意識というのは、人間の命の本体である霊魂という気体のなかにあるんだ。
 そして、その気体のなかにある霊性意識のなかに霊感、いわゆる第六感があるんですよ。
どうです? あなた方が生まれながら与えられてある霊感、第六感は霊性意識のなかにあるんだ。
 生きてる以上はみんなこの霊魂があるんだぜ。霊魂と言うから、何とかく仏教じみちまうけれども、生きてる命のもとをなしている気体があるんですよ。ただ、見えないもんだから、感じないもんだから、ないと思ってるかもしれないけど、あるから生きてんだぜ。この気がぬけちまうと死ぬんだよ。
 だから、ひどい打撃なんか受けて「気が絶える」とよく言うだろ、「気絶」すると。気絶しても、甦ってくりゃあ気が返ってくるけれども、返ってこなかったときには結局、死んじまうんです。気がぬけっちまうもの。 』

この続きは明日また・・・。
今日一日、真我とともにあらんことを

天意天風

2010年9月28日火曜日

論語と算盤と天風哲学と電卓~論語創作ものがたり パート248

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく)〜論語創作ものがたり パート248』だ。

諸君、俗説であるから真偽のほどは確かではないが、9月28日は孔子先生の誕生日と言われている。
人は皆、天の命令により使命を預かって万物の霊長たる人間として生まれてくる日を定めてきた。
諸君も運命には二種類あることはすでに承知していると思う。
それは天命と宿命である。
天命は絶対で、宿命は相対的である。
どうにも仕様のない運命を天命といい、人間の力で打ち開くことできるものを宿命という。
女が女に生まれ、男が男に生まれたのは天命である。
現代に生まれたのも天命であり、どうすることもできない。
ところが今の人は、打ち開くことのできる運命にぶつかったときでも、それを天命という。
自分の努力が足らないことは棚に上げ、どうにも仕様がないという。

話は変わるが、孔子先生が「もう一人の自分から来る霊感がそう伝えてくれるんだよ。」と話していたね!
そもそも「霊感」とは何であろうか?
そこらへんの話をしてみよう。

肉体を本位に働いてる心から、あるいは理屈を本位に働いている心から妄想念というのは働き出すんだ。
妄想念は煩悶によって引き起こされる自分を苦しめるものだね!
霊性意識の中から働かないんだ。
霊性意識とは、やさしい言葉で言うと「本心・良心」のことだね。
だから、妄想念が除き去られれば、霊性意識が招かずして発現してくる。
霊性意識が発現すりゃ、そこに「自覚正念」というものが出てくるんだ。
いわゆる「霊感」というんですが、学問的に言うと、「自覚正念」。
同じことなのよ、「霊感」も「自覚正念」も。

「霊感」について「盛大な人生」で私は生前このように話している。
その一部を掲載しよう。

『この自覚正念、つまり霊感は人間の心の奥底に存在しているきわめて微妙な力なんだ。
 しかも、学問があろうがなかろうが、経験があろうがなかろうが、女であろうが男だろうが、オギャーと生まれたら、みんなもってるの、この不可思議きわまるありかたいものを。
 ただ、もってるにはもってるけども、もってることを知らないやつは、一生ぜんぜん使わない。
 私もね、アメリカ、ヨーロッパと世界の三分の二も歩いて、そしてあげくの果て、インドの山の中でカリアッパ先生から初めてこの話を聞いたんですよ。
 この話というのは、つまり、
 「おまえの心の奥底には、自覚正念というものがあるのを知ってるか?」
 「そんなものはありませんよ」と言ったら、
 「自分があるということを知らなければ、ないと否定してしまうのは乱暴な断定じゃないか。私たちが生まれおちてから死ぬまで、人生というものの真理と取っ組んで、こうして山の中で毎日、日にちを暮らしているのも、結局その力を掘りだしたいからなんだ」
 そのとき、私はこういう質問をした。 』

この続きは明日また・・・。
今日一日、真我とともにあらんことを

天意天風

2010年9月27日月曜日

論語と算盤と天風哲学と電卓~論語創作ものがたり パート247

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく)〜論語創作ものがたり パート247』だ。

諸君、昨日のひきつづきであります。

子曰く、「私が朝づみしたフレッシュハーブのオリジナルブレンドティーだ。 気持ちが落ち着くから、まーゆっくりと口にふくめて飲むとよい・・・ それから話をしよう。」

子貢、出されたハーブティーを口にふくめてゴクッと飲み込んだ。

子貢(しこう)曰く、「スーッとしたペパーミントとほのかなレモンの香りのレモングラスと甘い芳香のスペアーミントが醸し出す三つのハーブの清涼感が何とも言えませんね! 肩の力が抜けてリラックスしてきました。」

子曰く、「そうかい。 では、一息入って落ち着いたところで、子貢に調べてもらいたいことがある。」

子貢曰く、「調べてもらいたいこと・・・ はい、なんでしょうか?」

子曰く、「この度、子路(しろ)の推薦で入門した神北(かんぺき)のことだ。」

子貢曰く、「先生、神北君に問題があるというのですか?」

子曰く、「いや、まだそうは言っていない。 だから子貢に調べてもらいたい。」

子貢曰く、「あー、はい。」

子曰く、「神北は立ち振る舞い、並びに言葉づかいがどこかの国の君主かその臣下(しんか)か、また側近に仕えている者か、仕えていた者のどちらかだ。 実のところはわからないが、私のもう一人の自分から来る霊感がそう伝えてくれるんだよ。」

子貢曰く、「先生はいつから霊能者になられたのですか?」

子曰く、「そこらへんを話せば長くなる・・・」

この続きは明日また・・・。
今日一日、真我とともにあらんことを

天意天風

2010年9月26日日曜日

論語と算盤と天風哲学と電卓~論語創作ものがたり パート246

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく)〜論語創作ものがたり パート246』だ。

諸君、いよいよ舞台は孔子塾であるが、子貢(しこう)が孔子先生の御用でしばらく留守していたんだったね!
その用向きは何であったのだろうか?
さかのぼって、子貢が孔子先生から用事を言いつかる場面から始めることにする。

ここは、「書院の間」、孔子先生の書斎兼リビングであるである。
先生お気に入りの栴檀(せんだん)の香気がそこはかとなく漂っている。

子貢「書院の間」に入る「控えの間」で曰く、「子貢です。 お呼びでしょうか?」

子曰く、「おお、子貢か。 忙しいところ呼びだてして済まんな! さあ、こちらへ入って来ておくれ・・・」

子貢、一礼して「書院の間」へ向かう・・・

子貢、椅子に腰かけている先生に一礼して曰く、「御用件はなんでありますか?」

子曰く、「さあさあ、ここへ座りたまえ。 私は背が高く、体も大きい、もちろん顔もでかい・・・  それはともかく、座ったほうが目を見てお互いに話がしやすいからね!」

子貢、孔子先生の対面の椅子に座って曰く、「先生、私への用向きは何でありましょうか?」

子曰く、「まあまあ、そう急(せ)くな! 茶でも入れよう・・・ 一服して落ち着きなさい。」

子貢曰く、「先生、典礼役の仕事が午後から入っております。 若いものに指示を出さなきゃなりませんので、長居ができないのであります。」

子曰く、「そうは暇(いとま)はとらせはしないから、まあその間だけは、イライラせず心静かに!」

子貢曰く、「はい、このところ仕事が立て込んでいたもので申し訳ありません。」

この続きは明日また・・・。
今日一日、真我とともにあらんことを

天意天風

2010年9月25日土曜日

論語と算盤と天風哲学と電卓~論語創作ものがたり パート245

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく)〜論語創作ものがたり パート245』だ。

諸君、昨日のひきつづきであります。

『論民』の亭主とバイザー京華(きょうか)が店先まで出て来て、頭を幾度となく下げ、にこやかに手を振って四人の姿が闇の中に消えるまで見送ってくれた。
その後、「『論民』に近いうちにまた飲みに来ようや」との子路の掛け声のもと、孔子塾生寮門前で四人は分かれ、帰宅の途についた。

諸君、四人は居酒屋『論民』にずいぶんと長く居たね!
話は変わるが、サラリーマンたちの飲み屋での会話は、おおむね人事の不平不満、給料の安さ、人間関係のトラブルによる悪口等が相場であろう。
お互いにバカ話をして陽気に笑っているうちはいいが、それが段々グチとなり、やれ胃の調子が悪い、肝臓や内臓の調子が悪い、血圧が高いと言いながら飲むのは体と心に悪いのはどなたが聞いても納得できるはずだぜ。
それは消極的な陰気な飲み方である。
陰気な酒は、消極的な会話となり、それでは逆にストレスが溜まる一方だ。
割り勘で金を払って、余分な他者のストレスまで割り勘では、それこそ割に合わないぞ!
諸君、酒癖の悪い奴とは飲むな! 
ろくなことはない。 
酒は楽しく陽気に飲め!
つまりポジティブに飲むが心得である。
心一つの置きどころである。

明日からは舞台は居酒屋『論民』から孔子塾に移る。

この続きは明日また・・・。
今日一日、真我とともにあらんことを

天意天風

2010年9月24日金曜日

論語と算盤と天風哲学と電卓~論語創作ものがたり パート244

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく)〜論語創作ものがたり パート244』だ。

諸君、昨日のひきつづきであります。

『論民』スタッフしのもりきしん曰く、「はい、もう一度みなさん、いい顔つくりましょうねぇ・・・肛門締めて・・・ 肩の力抜いて、肩を落として下さい。 よろしいですか・・・ おなかに力を充満させて・・・ ・・・おならしてはいけませんよ・・・ はい撮りますよ・・・ 『クンバハカ!』・・・ (カシャッ!) はい、もう一枚撮りますよ・・・ はい、『クンバハカ!』・・・ (カシャッ!) はい、みなさんご苦労さまでした。」

子貢(しこう)曰く、「先輩、回さん、神北(かんぺき)君、お疲れさまでした。」

顔回(がんかい)曰く、「写真はいつできるんですか? すぐにでも見たいですよ。」

子路曰(しろ)く、「回よ、無理言っちゃいかん! それぞれ会計を済ませて帰るぞ!」

神北(かんぺき)曰く、「回さん! 明日の午後にはプリントしておいてくださるそうですから、夕方にとりに行って来ますよ。 お渡しできるのは明後日に教室で顔を合わせた時ですかね。」

子貢曰く、「回さんが早く見たくて待ち遠しいようだ。 実は、私もだがね。 お手数かけるが宜しく頼みます。」

神北曰く、「はい、4枚プリントをお願いしておきました。 皆様に記念として1枚ずつ頂けるそうです。 それと店内の『千客万来』の額の横に『生ビールピッチャー一気飲みWinner』として写真を飾っておくそうですので、予めご了承下さいとのことです。」

子路曰く、「まあ、飲食半額券もゲットしたことだし、またこなきゃなるめぇから、写真飾るぐらいいいだろう! こんどは四人で飲みに来ようや!」

子貢曰く、「そうですね。 先輩、回さん、孔子先生もうすぐバースデイですよね! 先生を誘って誕生会をしませんか?」

ガラガラガラ(『論民』の玄関のドアの音)。
四人は居酒屋『論民』を後にする。

店内より『論民』スタッフそろって曰く、「ありがとうございました。 またのご来店をお待ちしております!」

この続きは明日また・・・。
今日一日、真我とともにあらんことを

天意天風

2010年9月23日木曜日

論語と算盤と天風哲学と電卓~論語創作ものがたり パート243

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく)〜論語創作ものがたり パート243』だ。

諸君、昨日のひきつづきであります。

1Fの『千客万来』の額がかかった客の待ちスペースにすでにデジタル一眼レフカメラが三脚と共にセッティングされていた。
FC『論民』亭主曰く、「本日は御来店誠にありがとうございました。 記念撮影の準備が出来ております。 さあさあ、みなさんこちらへどうぞ!」

バイザー京華(きょうか)曰く、「どうも! ありがとうございました。 回(かい)様、今日の主役ですから中央にお座り下さい! その隣はで大先輩の子路(しろ)様どうぞ!」

子路曰く、「故(ゆえ)あって、後ろの立ち席がいい。」

バイザー京華曰く、「そうですか。 子路様のお好きにどうぞ。 では、回様の隣は私が同席させて頂きます。 回様の隣を神北(かんぺき)様。 私の隣を子貢(しこう)様でお願いします。 その隣がオーナー亭主が座ります。 お店のスタッフが後ろに入らせて頂きますので予(あらかじ)めご了承ください! ではお席について下さいな。」

顔回(がんかい)曰く、「なんかドキドキしますね! 写真にさゆりちゃんと親父グモが写っていたらいいですね!」

子貢曰く、「回さん、あれは先輩の作り話ですよ! 本気にしないで下さいよ。」

神北曰く、「私は信じますよ! 何かがきっと写ってきますよ。」

顔回(がんかい)曰く、「何が写っているか楽しみですね!」

『論民』スタッフが声をかけて曰く、「皆様! お席に着かれましたか? 記念写真を撮らせていただきます『論民』スタッフの『しのもりきしん』です。 どうぞよろしく。 では、いい顔つくりましょう。  はい、深呼吸して下さい! 肛門を締めて下さい! 同時に肩の力を抜いて、へそ下の丹田に力を充満させて下さい! よろしいですか?」

この続きは明日また・・・。
今日一日、真我とともにあらんことを


天意天風

2010年9月22日水曜日

論語と算盤と天風哲学と電卓~論語創作ものがたり パート242

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく)〜論語創作ものがたり パート242』だ。

諸君、昨日のひきつづきであります。

子貢(しこう) 曰く、「回(かい)さん! 我々門弟は先生の人徳や考え方、生き方、または学問に関する造詣の深さに感嘆し、心から尊敬し、頭(こうべ)を垂(た)れ謙虚にそれに倣(なら)おうとしています。 先生をお慕いする気持ちは私とても同じですよ。 『良師は以(も)ってすべからく宝となすべし。 良友は以ってすべからく鑑(かがみ)と為すべし』ですよね。 不肖子貢は、自己を完全に啓発し、自己を真実に向上させて人の世のために真に役立つという仁者・真人となろうためには、ひたすらこうした心がけで何でも善いことを貪欲に模倣することに努めようと決めています。」

顔回(がんかい)曰く、「子貢君、君なりに頑張って下さい! 回は後輩として『“こ”の一番』の札を子路先輩にお返しします。 下足を取り出して『“い”の一番』の札の下足と入れ替えますので、その札をあずけて下さい。 すぐ入れ替えてまいります。」

子路(しろ)曰く、「回や、『“こ”の一番』はお前に譲ることにするぜ。」

顔回曰く、「私はそうそうここに来ることはありませんからいりません。」

子貢曰く、「バカバカしいやり取りはいいかげんにして、さっさと記念撮影して帰りましょう。」

子路『“こ”の一番』の札を見つめながらつぶやいて曰く、「回に『“こ”の一番』を『譲る』と言うのに『いらん』と言いやがる。 こだわっていたのがアホらしくなったぜ‼ さっさと帰って寝るとするか。」

四人は履き物をはいて、みな1Fへと下りて行った。

この続きは明日また・・・。
今日一日、真我とともにあらんことを


天意天風

2010年9月21日火曜日

論語と算盤と天風哲学と電卓~論語創作ものがたり パート241

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく)〜論語創作ものがたり パート241』だ。

諸君、昨日のひきつづきであります。

子貢(しこう) 曰く、「先輩は先生に『恋』をしているんですよ! それも長年苦楽を共にしてきた先生の大きな背中を見ながら、先生に憧れ、いつしか片思いの恋に落ちたんですよ。」

子路(しろ)曰く、「俺が片思いの恋に落ちただとぉ! 子貢よ、お前の天職は司会典礼役じゃない。」

子貢曰く、「先輩、自分の心の中を見られるようで嫌なんでしょう! それで私の天職は何だと言うんですか?」

子路曰く、「お前、心理学者ぶりやがって、人の心の中見たような気になっているが、お前は心理学者なんかじゃない! お前の天性は・・・」

子貢曰く、「私の天性は・・・ ズバリ何ですか?」

子路曰く、「本当の恋を知らない恋愛小説家だ! これがお前の職業にピッタリだ。」

子貢曰く、「私は恋愛小説家ですか。」

神北(かんぺき)曰く、「いいなぁ~。 恋愛小説書いて飯が食えるなら、最高ですね! ハーレクイン・ロマンス『論語に出てくるあの子路の嫉妬と恋』というタイトルで子貢さん一つ書いてみてくださいよ! すでにネタはあがってますから・・・」

子路曰く、「おい、神北! 図に乗るんじゃないぞ! 『仏の子路様』でも我慢ならねぇことだってあるんだ。」

子貢曰く、「まあまあ・・・ 先輩、目くじら立てないで下さいよ。 つい先ほどまで、変わらぬ友情を誓いあったばかりじゃないですか。」

顔回曰く、「突然ですが、子路先輩、皆さん、私は今はっきりわかったんです。 私も孔子先生に『恋』していることに気がついたんです。 と言っても、私は心から先生を尊敬している恩師の愛なんです。」

この続きは明日また・・・。
今日一日、真我とともにあらんことを

天意天風

2010年9月20日月曜日

論語と算盤と天風哲学と電卓~論語創作ものがたり パート240

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく)〜論語創作ものがたり パート240』だ。

諸君、昨日のひきつづきであります。

子貢(しこう) 曰く、「先生が『回よ! 回よ! 回さんよ!』とばかりに回さんばかり可愛がるから、年甲斐もなく回さんにモーレツに嫉妬していたんですよね! 先生に気に入られようと一生懸命するんですが、何故かやることなすこと先生に注意を受けるものだから面白くない。 先生も言わなきゃいいのに、言葉じりの最後に『回を見習え! 回を見習え!』といわれるものだから、よけい腹が立つ。 『腹が立つが言われてみればもっともだ。』と思えることなので、よけいに癪(しゃく)に障り、感情のもって行き場がないものだから、恋敵の回さんに向けての姿を見ると『癪』の種になっちゃった。 まさに嫉妬の炎が焔々(えんえん)と燃え上ってきて、その炎の勢いが強すぎて、もうどうにも理性心では押さえきれない。 この度の騒動は、先輩の嫉妬が原因で端を発したことですが、これは相手の立場で考えれば今回のことも先輩に限ったことではありませんよ。 意外に回さんだって嫉妬の炎が焔々と燃え上り、ことは起こさなくても心の中で解決できずに苦しみ、悩み続けたかもしれませんよ!」

顔回(がんかい)曰く、「その通りです。 先輩を責めることはできません。 この度の私に対しての先輩や神北君や門人の無視する態度は私の心の感情が傷つき、その傷がもとで煩悶(はんもん)していました。 帰宅途中で子貢君に出合わなければ、まだ私は傷が癒えずに更なる煩悶をつくり、悶(もだ)え苦しんでいたでしょう。」

この続きは明日また・・・。
今日一日、真我とともにあらんことを

天意天風

2010年9月19日日曜日

論語と算盤と天風哲学と電卓~論語創作ものがたり パート239

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく)〜論語創作ものがたり パート239』だ。

諸君、昨日のひきつづきであります。

子路(しろ) 曰く、「こだわるわけ・・・ おおありよ~! 『“こ”の一番』のこだわりは・・・『こ・い』なんだ。」

顔回(がんかい)曰く、「池の『こい』ですか? こいのぼりの『こい』ですか?」

子路曰く、「ちゃうちゃう、その『こい』じゃない! この『こい』は釣らずに育てるものだ。 それでまた、不思議なものなんだ。 会っている時はなんともないが、『さよなら』すると涙がこぼれちゃうんだよ。 そんな切ない『こい』なんだ。 この気持ち、わかるか? 回君!」

顔回曰く、「それって、初恋や恋愛の『恋』ですか?」

子路曰く、「そうだ。 俺は周りの奴から『無鉄砲な子路』とか『勇敢な子路』とか、そんなイメージが定着して期待されているもんだから、常に勇気!勇気!勇気!一辺倒で振舞ってきたんだ。」

顔回曰く、「先輩それと『“こ”の一番』とどういう関係があるんですか?」

子路曰く、「俺の本音は、『勇気凛凛』より、いつも『恋』をしていたいんだ。」

子貢(しこう)曰く、「先輩、悪酔いしたんですか?」

子路曰く、「バカ言うな! 俺は正気だ! おい、回! お前は本気で恋愛したこといっぺんでもあるか?」

顔回曰く、「そう単刀直入に言われますと・・・ 恋と言えるかわかりませんが、無いとも言えません。」

子路曰く、「へえ~、女に興味の無い学問ばかりしているお前が本当の恋愛をしたことがあるのか?」

神北曰く、「先輩、ここに飲みに来るたびに『孔子先生大好き!』、『孔子先生命(いのち)』と下駄箱の前で言っているじゃないですか。 『こ』は孔子先生のことだと・・・ 先生を大切に思う気持ちは孔門弟子ナンバーワンであると自負している先輩の気概が『“こ”の一番』の下足札のこだわりなんですよね!」

子路顔を赤くして曰く、無言。

この続きは明日また・・・。
今日一日、真我とともにあらんことを

天意天風