2010年2月5日金曜日

論語と算盤と天風哲学と電卓~論語創作ものがたり パート13

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく)~論語創作ものがたり パート13」だ。

諸君、どうやら子路(しろ)は軽率なところもあるが、なかなか政治的な人事のかけひきに優れていたところがあったようだね。

子路、居酒屋「ざ・論民(ろんたみ)」で曰く、
「実はなあ、孔子先生の門人の中でも一番二番を争うえらく頭のいい俺の後輩二人がいるんだがな。 俺様より格下で有名人じゃないがな! おまえも名前ぐらい聞いたことがあるだろう、孔子様の高弟として有名な二人なんだ。」

「へぇ~、そりゃそりゃすごい方々ですねぇ。」

「ま~そうなんだがなぁ。 この一人の子貢(しこう)というのが頭は切れて話もうまいやつだが、女の腐ったような男でな、愚痴が多いやつなんだ。 まあ先輩思いのいいところもあるんだがな。」

「ほぉ~それで?」

「孔子先生がもう一人の俺の後輩の顔回(がんかい)ばかり可愛がるもんだから子貢がひねくれちゃって顔回に嫉妬しているんだよ。 まぁ、男の焼きもちってやつだな。」 

「ほぉ~それで?」

「子貢のやつが、『子路大先輩、折り入ってご相談があるんです。』と訊ねてきたんだよ。 その相談ってのが『先生は顔回先輩ばかり可愛がってこれみよがしに身贔屓するんですよ。 確かに一つ年上の先輩ではありますが、先生の身贔屓は他の門人から見ても露骨すぎると思うんですが、門人にも顔回先輩と同じ境遇の貧乏暮らしの者がいるのに・・・。 回先輩は、三度の食事は盛りきり飯に汁一杯。 住居はっていうと路地裏のあばら家。 並みの人間なら音(ね)を上げそうな超貧乏暮らしのくせに、心情は心は錦、微動だもしない。 〈まったくもって偉い男だ。 回は偉い。 回は偉い。〉 すでに昔のことであるにも関わらず先生は口癖のように私に言うんですよ。 これは明らかに、回への身贔屓、えこひいきですよ。 同門の門人塾生でありながら、不平等ですよ。 君子たるもののとる態度でありましょうか?』と子貢が俺にぐちる!ぐちる! 本音は先生に回より上だと認められたい子貢の嫉妬なんだがね。 他ならぬ尊敬する子路大先輩に『相談にのってくれ』とお願いに来た訳なんだ。」

「ほぉ~それで、子路大先生は、何とお答えなすったんですか?」

この物語の続きは明日また・・・。
今日一日、真我とともにあらんことを


天意天風

2010年2月4日木曜日

論語と算盤と天風哲学と電卓~論語創作ものがたり 番外編―論語と鬼

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく)~論語創作ものがたり 番外編―論語と鬼」だ。

諸君、本日は立春であります。
日に日に日が伸び、春の訪れは陽気とともに暖かく心地よく感じられる。
昨日の節分は2月1日よりの3回目、鬼(おに)について話をしてきた。
諸君、論語の中にも鬼が出てくるのを御存知であろうか?
知っている人は知っているであろうが、知らない人のためにせっかくの機会であるから話をしよう。

樊遲(はんち)、知(ち)を問う。
子曰く、「民(たみ)の義(ぎ)を務(つと)め、鬼神を敬してこれを遠ざく。 知と謂(い)うべし。」
仁(じん)を問う。
曰く、「仁者(じんしゃ)は難(むずかし)きを先にして獲(う)ることを後にす。 仁と謂うべし。」

樊遲が「知」とは何かと孔子にたずねた。
「われわれは、ややもすれば万物の霊長たる人間を超えた存在に頼る気持ちをおこしがちだ。 しかし、まず万物の霊長たる人間としてやらねばならぬことは何なのかと考えること、それが本来の『知』だ。」
樊遲はさらに、「仁」についてたずねた。
「万物の霊長たる人間として正しいことは、たとえ労多くして功少なしと知っていても、あえて挑戦し実践する態度、それが仁なのだ。」
孔子先生が二千五百年前よりその当時から鬼神と述べている通り、それ以前から中国にも鬼という存在があったんだね。
また、こんな論語の論語たる有名な成句もある。
子曰く、「その鬼(き)にあらずしてこれを祭るは諂(へつら)うなり、義を見てせざるは、勇なきなり。」
祭る理由のない神々(神霊)を祭るのは、万物の霊長たる人間本来の天より与えられた主体性の尊厳の放棄である。
勇気をもって万物の霊長たる人として行うべきを断固として行うべきなのだ。

また鬼は論語以外にも出てくるんだ。
「断じて行えば、鬼神もこれを避(さ)く」史記李斯伝(しきりしでん)に出てくる有名な一節である。
この意味は強く決心して、そして断行すれば、立ちふさがって通せんぼしている鬼神も道を避け、意志どおりになることを言っている。
万物の霊長たる人間の意志の力のすごさをよく表している言葉ですな。
真理から論断してもまったくこの通りですな。

本日はこれまで。
今日一日、真我とともにあらんことを

天意天風

2010年2月3日水曜日

鬼さんの誤解をとく、鬼の目にも涙のいい訳 パート3

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「鬼さんの誤解をとく、鬼の目にも涙のいい訳 パート3」だ。

諸君、本日は立春の前日イブにあたる節分であります。
鬼さんの誤解を解く「鬼さんの誤解をとく、鬼の目にも涙のいい訳」ラストですね。
鬼神と言って荒々しい神は人の目に見えず超人的な力を持つ存在のことであるそうな。
日本古来より人間と鬼とは深く関係しているんですよ。
鬼に関する言葉が多いのもその証です。
幽界四次元とその系統系列に鬼霊界があり、数珠つなぎで、その上層に鬼神神霊界なるものが存在しているんですよ。
そして鬼を眷属(けんぞく)として束ねて司っているんだ。
特に仏教的な影響を受けた日本は古来の神道と融合して、日本各地に鬼の伝説や鬼の地名、鬼の祭りとして残っている。
江戸時代には特に大名などの大家では棟の先端に取り付ける一対の鬼瓦(おにがわら)を専属の鬼師に作らせていたんだよ。
見たことあるかな?
鬼の厳(いか)めしい形相がいかにも怖くも感じ、はたまた、建物全体から見れば鬼瓦があることでどっしりとした重厚感も感じるね。

例えば、そんな大家に雇われている専属の住み込みの鬼の一家があるとする。
今時で言う、「セコムしてますか」の警備保障会社と契約をしているようなものだ。
それが目に見えない鬼警備保障会社なんだがね。
特にその会社は鬼門と裏鬼門を警護する仕事なんだ。
おもな仕事はっていうと、悪霊、怨霊のたぐいから百鬼夜行といって妖怪、魑魅魍魎(ちみもうりょう)、幽霊と夜中に徘徊してくる者たちを鬼門や裏鬼門から勝手な侵入を防いだり、阻止して護ることが職務であり任務であるんだ。
侵入を防ぐために鬼瓦を高い所に据えてあるのは、どこから見ても分かりやすく、「すでにこの大家には専属の鬼の番人が常駐してますよ」ということを鬼等の関係各位に事前に知らしめるための目印(めじるし)であるんだ。
つまり、「セコム鬼看板」みたいなもんですな。
諸君、鬼に金棒という成句は、ご存知でしょうよ。
ただでさえ強い鬼に、金棒を持たせると、強い者がさらに恐ろしく強くなるという意味だね。
日本の警察官も警備員も腰に警棒を携帯しているね。
あれのもっと強力な金棒を持って、門に立っていられたら、正直恐いよな!
だが、反対にこんな強く怖い鬼さんが警備員として立ちはだかって護ってくれたら安心というものだね。
別の鬼さんが鬼門から侵入しようとしても、互いに鬼同士であるから
「ここは俺が雇われている大家だから、ここに侵入するのはやめてくれ!」と言えるよね。

「ここはプロの鬼警備保障のオニセコムに加入しているから、鬼警察と〈つうかあ〉何だぜ。 すぐにおまえ、捕まっちまうぜ。 オニセコムのステッカーの貼ってない家に行ってくれや。」

「そうか、赤鬼、お前はそこの会社に就職していたのか? よかったな!」

「そうだよ、よかったよ。 家族を養っていかにゃならんからな。 おまえはどうしてるんだよ?」

「俺か? この不景気で、ハローワークに行っても就職がないんだよ! アルバイトもないんだよ。 できたら俺もおまえの会社に入れてれないかな? 俺んちの鬼嫁がうるさいんだよ。 『あんた、生活どうするの? うちは鬼子が3人いるんだから、さっさと仕事見つけてきなさいよ!』 恐ろしく怖い嫁、もらっちまったぜ。」

「そうかい。 あんたもいろいろと大変なんだな。 ここで会ったよしみだ。 俺の直の上司の青鬼の中村さんに聞いてみるよ。 中村さん、仕事のオニで厳しい人だが、涙もろい慈悲の心のある鬼部長さんなんだよ。 携帯電話と住所だけ書いていってくれや。 必ず連絡するから。」

「恩にきるぜ。 よろしく頼むな。」

鬼と鬼の関係でも、人と人の関係でも同じでね、お互いにわかっていたら無用な争い事は避けたいものですよ。
まぁ~鬼様も諸君同様に鬼としての役目と役割とその職務を全うして働いているんですよ。
人間と同様に鬼一族の全員が悪いことをするということではないことを言っておきたい。
善良な鬼様も大勢いらっしゃいますよ。
せっかくの丑から寅への節分のこの機会でありますから、鬼の誤解を解くとともに、節分のこの日に知っておいて下さいな!


では、この回はこれまでに。
今日一日、真我とともにあらんことを

天意天風

2010年2月2日火曜日

鬼さんの誤解をとく、鬼の目にも涙のいい訳 パート2

諸君元気ですかい、天意天風であります。
諸君、関東はめずらしく大雪だったね。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「鬼さんの誤解をとく、鬼の目にも涙のいい訳 パート2」だ。

鬼とは醜悪(しゅうあく)な形相と恐るべき怪力をもち、人畜に害をもたらす、想像上の妖怪とされている。
牛の角を生やし、寅の皮のふんどしをつけた姿で表されている。
今時なら,ふんどしじゃわからない人がいるだろうから、寅の皮のパンツだね!
陰陽道(おんみょうどう)で丑寅(うしとら)(北東)の隅を「鬼門」と言って、鬼の集まる所と考えられたためということになっている。
昨年が丑(うし)年で、今年は寅年であるから、艮(うしとら)で鬼が大いに活躍する年となるということですかな?
こんな年回りは、恵方巻きを食べるより、鬼になりきってトラがらのパンツをはいたほうがさまになるんじゃないかな?
方位除けトラ柄トランクス、ユニクロで販売したら、買う人けっこういたりしてな。
まぁ~、これも冗談ですがね!
子供の頃、「鬼ごっこ」という遊びをしたことないですかい?
また子供のことを「餓鬼」とも、「くそ餓鬼」とも言って悪態をつきませんかい?
その親分を「餓鬼大将」ともいうよな!
鬼は子供の頃より、日常的に登場する、本当は親しみある愛すべき存在と思うがね!

秋田県男鹿半島などで、小正月に来訪神を迎える行事は知っているかな?
正月の十五日に数人の青年が大きな鬼の面をかぶり、蓑(みの)をつけ、木製の刃物、御幣(ごへい)、桶などを持って家々を訪れて祝福の言葉を述べ、酒食の饗応を受ける年中行事であり、風習だね。
子供にとっては、恐ろしく迷惑な行事であろうが、この鬼の面をかぶった「生剥(なまは)げ」は、家々を守る土着の神霊に他ならないだろうよ。
感謝こそすれ、「生剥げ」の目に豆をぶつけることはしないはずだよ!
風習が変わると鬼に対するとらえ方がずいぶんと変わるね!
鬼(おに)が云(い)うと書いて「魂(たましい)」と読むね!
ここでも鬼が出てくるんだね!
また親に似ぬ子は鬼子(おにご)というそうな!
諸君は親に似ていますかな?
この話の続きは明日また・・・。
今日一日、真我とともにあらんことを

天意天風

2010年2月1日月曜日

鬼さんの誤解をとく、鬼の目にも涙のいい訳 パート1

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「鬼さんの誤解をとく、鬼の目にも涙のいい訳 パート1」だ。

「月日は百代の過客にして、行きかふ年も又旅人也」

諸君、早いもので今日から2月です。
本日の1日から3日の節分まで、「論語創作ものがたり」は、ちょっとお休みします。
小休止です。
時節柄、テーマは「鬼さんの誤解をとく、鬼の目にも涙のいい訳」と題して、人間の自分勝手な誤解において風習化された、豆ぶつけられっぱなしの悪者役、嫌われ者役の鬼様の一部誤解をとくことにする。

節分には柊(ひいらぎ)の小枝に鰯の頭を刺して戸口にさし、炒った豆を悪疫退散、招福の行事を行う風習が昔からあったんだね。
そのことからも、「鰯(いわし)の頭(あたま)も信心から」と申しますな。
「鰯の頭のように取るに足らないものでも、信ずる気持があれば尊いものに見える。」という意味でしょうか。
まあ、昔はその時期、寒さのせいもあって、風邪やインフルエンザなどの感冒にかかりやすく、また広がりやすかったんでありましょう。

鰯じゃなくて、サンマや鯖の頭じゃだめなのかねぇ。
鰯より頭の大きいカツオやマグロならもっと効果がありそうだがね!
ま~これは、冗談です。
どちらにしても戸口に刺したんじゃ魚臭くって、人間様の方が退散してしまうんじゃないかな?

最近、巷では、太巻き寿司一本をまるごと今年の良い方位に向けて、一気食いすると今年一年恵みを得られるという「恵方巻き」なる太巻き寿司をスーパーでもコンビニでも宣伝しているとか・・・
商売とはいえ、いろいろとあの手この手と考えますなぁ・・・
数年前までは関東にそんな習慣はありませんでしたね。

ところで、鬼様は、いつから人間に嫌われるようになったんでしょうかね?
鬼様は人間に豆ぶつけられるようなどんな憎まれることをしたんでしょうかね?
「鬼」イコール「ワル」。
「鬼」イコール「退治するもの」。
そうすると、渡る世間は鬼ばかりだそうな!
諸君も、渡る世間の鬼の仲間かもしれませんぞ!
渡る世間の鬼は、誰が退治するのかねぇ?
桃太郎か、桃太郎侍でしょうかね?

この話の続きは明日また・・・。
今日一日、真我とともにあらんことを

天意天風

2010年1月31日日曜日

論語と算盤と天風哲学と電卓~論語創作ものがたり パート12

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく)~論語創作ものがたり パート12」だ。

居酒屋「ざ・論民(ろんたみ)」で子路(しろ)曰く

「おい!おい! おまえ、だれだったっけ? 見たことのない顔だな? 孔子先生の弟子はたいがい俺のとこにも挨拶にくるから顔は見知っておぼえてるんだがなぁ~。 どうもお前の顔、見覚えがないな。 おまえいつから、先生の弟子になったんだい?」

「へへへへへ、おそれいります。 実は今日からです!」

「何ぃ! 今日からか、そうか、先生から聞いていないが今日からか、そうか! ほやほやの新入りだな!」

「へ~、そうなんです。 それもちょっと前の夕方からです!」

「何~ぃ? 夕方からか?」

「へ~、さようで。」

「おかしいなぁ君は、孔子先生に門人の許しを得たのか?」

「いいえ!」

「何ぃ! 門人になりすましたのか? 事と次第によってはただではおかぬぞ!!」

「ちょっと、ちょっと、待って下さい! 子路先生!!」

「先生だぁ? 貴様に先生などと言われる筋合いはないわ!」

「いえいえ、ちょっと、聞いて下さいよ、子路大先生様!」

「大先生? 俺がかい?」

「そうですよ、子路大先生様ですよ!」

「う~ん、悪くないね もう一度言えよ!」

「はい、何度でも、子路大先生様!」

「それでどうして貴様がここにいるんだ? 訳を言え!」

「はい、ちょうどPM5:00にここの店先を通りかかりましたら、人だかりがありましたもので、何の人だかりかと思いましてね、近寄って聞いてみましたら、孔子様の第一の門弟(もんてい)の子路様が門人を集めて慰労会ということで、飲み食いタダのご招待と聞きまして、私もぜひ、今宵だけ門人の仲間にさせてもらえないかと思いまして積極的に加わった次第でございますよ!!」

「貴様、門人でもないのに、ずうずうしいやつだな! たかるつもりであったのか?」

「いえいえ、そうではございません。 子路大先生様、先生のお噂は、かねがねお聞きしております。 一度、子路大先生にお会いしたくて!」

「それは本当か?」

「へえ、本当です!」

「そうかい、そうかい。 貴様もまんざら悪い奴ではなさそうだな。 よし、わかった。 ま~、今宵かぎりの門人ということで、この子路先生が特別に許してやる。 それで、おまえ、どこの生まれだい?」

「はい、私は、出身は、北京なんですよ。」

「おお~そりゃすごいな、大都会だな。」

「はいそうなんです。」

「それで、北京のどこだい?」

「はい、北京の神田の生まれなんですよ!」

「何い、北京の神田かぁ、それじゃ、生粋の北京神田っ子じゃないか!」

「はい、実は親子三代北京の神田っ子なんですよ!」

「四代目の私がちょっと離れちゃったんですがね!」

「そうかいそうかい、貴様にもいろいろ事情があったんだな。 遠慮しねえで、食いねえ食いねえ、寿司食いねえ。 フカヒレも、北京ダックもあるでよ!」

「ありがとうございます! 遠慮なくごちになります。」

「おまえも、タダ飲みタダ食いしちまったからには一飲一飯(いっぱん)の恩を感じるよなぁ?」

「はい、そりゃもう、ありがてえっす、子路大先生!!」

「まあ、飲みねえ~。 ここで会ったよしみだ。 そのよしみでおまえに頼みがあるんだが・・・」

「何でしょう、子路大先生!!」


この物語の続きは明日また・・・。
今日一日、真我とともにあらんことを


天意天風

2010年1月30日土曜日

論語と算盤と天風哲学と電卓~論語創作ものがたり パート11

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく)~論語創作ものがたり パート11」だ。

諸君、昨日の話に〈女(おんな)の腐ったよう〉と女性をあたかも蔑視しているかのような誤解を受ける不適切な言葉を使った。
すでに死語になりつつある現代であるが、女性差別用語だと言われる方もおられるだろうから、『その当時の世相は』ということで御理解をたまわりたい。
今時の日本では、「草食男子」「肉食女子」とか言われているそうですな。
〈女の腐ったよう〉とは、今時の世相に合わせれば、〈男の腐ったよう〉と改めるべきですかな。
その意味では、ぐずぐず言って男の腐ったような態度のにえきらない、はっきりしない女をののしっていう言葉になるね。
これが今時は正解ですかな?
諸君はどう思われますかな?


さてもさても「子路(しろ)の嫉妬劇」のはじまり、はじまり~!

「門人諸君、大先輩の子路であります。 諸君らにお話がありますから、すぐに中庭に全員集合してくれたまえ。」

門人を中庭に集めて子路曰く、「孔子門人諸君、日頃、諸君らは、孔子先生について寝食を忘れてよくお勉強して頑張っておられるから、今日は子路先輩が、孔子先生にかわり、君たちにごほうびとしてごちそうするから、本日のPM7:00に居酒屋『ざ・論民(ろんたみ)』に集合されたし! 諸君、よろしいか?
それと、 顔回(がんかい―回)と子貢(しこう)は先生のお供で外出しているので、伝えなくていいから。 俺の方から話はしてあるので、余計なことは気をまわさないでくれたまえ! 諸君、よろしいか?」

「イエッサー 子路先輩!」 「はい、子路先輩!」

舞台は変わりまして、居酒屋「ざ・論民(ろんたみ)」。
時間はちょうど定刻のPM7:00。

居酒屋「ざ・論民(ろんたみ)」の店先で子路曰く「なになに『孔門御一行様 貸切御礼』 何だこれ? 水戸の黄門様一行じゃあるまいし、こんなたれ幕、店の前に下げんなよ。」

居酒屋「ざ・論民(ろんたみ)」の店内において子路曰く「おいおい、タダ酒、タダ食いとなるとずいぶん早くから集まるもんだね! 『衣食足りて礼節を知る』とは本当のことだな。」

乾杯を前にして子路曰く「諸君! 本日は、お忙しい中、よく集まってくれました。 ありがとう。 諸君の日頃の労をねぎらうためのものでありますから、先輩後輩の関係はおたがい抜きにして、本日は無礼講です。 孔子先生の門人として、この一時(ひととき)を楽しくやりましょう。 では諸君、孔子先生、諸君のますますの発展とご健勝を祈念しまして乾杯!!」 

「かんぱ~い!!」

この物語の続きは明日また・・・。
今日一日、真我とともにあらんことを


天意天風

2010年1月29日金曜日

論語と算盤と天風哲学と電卓~論語創作ものがたり パート10

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく)~論語創作ものがたり パート10」だ。

子路(しろ)激怒して曰く・・・
「なに~い、お前と先生とそんな話をしていたのか? 実にけしからん! 実におもしろくない! 実に不愉快である! 顔回(がんかい―回)も子貢(しこう)おまえも、先生も、俺だけのけものにしていたんだな!」

「子路にいさん、それは誤解だよ。」

「うるせ~、6階も7階も8階も地下1階もあるんだ。 おまえなんぞに『にいさん』なんて言われる筋合いはないわい!」

「子路にいさん、それはないよ! ああ~いや、子路大先輩が『血のつながりはないが、これからは、にいさん、おとうとよの間柄でいこうぜ。』って言ったんじゃないですか?」

「俺がかぁ~? いつそんなことを言った。 それこそ誤解ってもんだ。 もし言ったとしたら、今すぐやめだ、やめだ、やめだ~い。」

「子路あにき、また、やきもちですか? それってまちがいなく男の嫉妬ですね!」

「このやろう、それ以上言うとただじゃおかねえぞお!」

「おっと、子路あにき、そうそうにはこの子貢、油断しませんよ! 子路大先輩また嫉妬しているんですかぁ~。 孔子先生に直接真意を伺ってみてはどうですか?」

「うるせ! うるせ! うるせ~い!」

「先輩、それって世間では〈女(おんな)の腐ったよう〉って言うらしいですよ。」

「お前、少しだまっていろ。 今、頭が混乱しているんだ。」

「それはちがうでしょ。 子路先輩のその状態は、怒り心頭に発しているんじゃないですか? ズバリ、嫉妬して腹を立てている。 そしておさまりがつかない。 そうでしょ?」

「そうだよ、そうだよ、そのとおりだよ。 この事は先生にも回にも誰にも言うなよ。 いいな、子貢」

「わかってますよ、先生にも回先輩にも誰にも言いませんよ!」

「きっとだな!」

「きっとですよ!」

「約束だぞ!」

「ええ、約束します!」

…………………

ここから舞台は別の場所に移りますぞ。
ここは子路行きつけの居酒屋「ざ・論民(ろんたみ)」で、うさ晴らしに一人で飲んでいる子路であります…

「え~、いまいましい。 子貢のやろうも俺様をばかにしくさって! 顔回と子貢に俺様をのけものにするとどんなことになるか思い知らせてやるわ! 今に見ておれ…」


諸君、この続きは明日また・・・では。
今日一日、真我とともにあらんことを

天意天風
女(おんな)の腐ったよう―ぐずぐず言って態度のはっきりしない男をののしっていう言葉。

2010年1月28日木曜日

論語と算盤と天風哲学と電卓~論語創作ものがたり パート9

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく)~論語創作ものがたり パート9」だ。

諸君、諸君の中で、「論語」に興味のない方々は、話はおもしろくないですな!
ついていけてないかもしれないが、「論語」というお題目を、決まり切った一視点のみで見るのではなく、上下、左右あらゆる角度視点から取り上げてみると、人の価値観は千差万別(せんさばんべつ)であることがわかる。
そして、自己を写す浄玻璃(じょうはり)の鏡として、自身が、時を超えて、現代の「論語人間ドラマ」を、今時のトレンディードラマの主人公を演じていると決めて、役柄になりきってみると意外と自分の今まで見えなかった、自分の別の一面に気づくかもしれない。
こんな自分もあったんだと、老若男女かかわりなく、個人の素直な感情として新鮮な感慨とともに新しい自分を発見されるだろう。
「不思議新しき自己発見!」
どうでしょう? 楽しみだね!

諸君も御存知のことかもしれないが、孔子先生には次の四つの欠点が無かったと言われている。
①自我の主観だけで憶測すること。
②自分の考えを正当化して無理に押し通すこと。
③一つの判断のみに固執して、融通がきかぬこと。
④自分の立場や都合しか考えぬこと。

これは論語の中の子罕(しかん)偏にある。
「子、四を絶つ。 意なく、必なく、固なく、我なし。」である。
これが、孔子先生の人間としての長所であるんですよ。
これ総合して、何と言うかと言うと、孔子先生、理屈っぽいと受け取る方もいるであろうが、私こと天風と同じく、案外、素直な心の人だということですよ。
この素直さがとても大切だと私は正直に思いますよ。
この素直さの大切さってね。
自己の天命の天分の自分を知る端緒(たんしょ)になるからですよ。
端緒って言うのは、糸口。
つまりきっかけになるんですよ。
ここらへんがわかると、ほんとのこと、正しい霊道が拓かれて、正しい霊感が自ずと受け取れるんですがね・・・

明日は、「論語創作ものがたり」の続きです。
今日一日、真我とともにあらんことを

天意天風

浄玻璃(じょうはり)の鏡
―(仏)地獄の閻魔王庁にあって、亡者の生前のすべてのおこないを残りなく映し出すという鏡。

2010年1月27日水曜日

論語と算盤と天風哲学と電卓~論語創作ものがたり パート8

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく)~論語創作ものがたり パート8」だ。

諸君、子路(しろ)と子貢(しこう)は年の差が21歳離れているんだね。
昔でいえば親子ほど年の離れた義兄弟という関係だね。
孔子先生と子貢は31歳離れているらしいからもう親子だね。
顔回(がんかい―回)とは子貢がわずかに1歳年下なんだね。
子貢にとっては先輩でありながら互いにいい意味でライバル同士というわけだね。

子路曰く、「おいおい、それで孔子先生は何と返答したんだ!」

「先生の意外な返答にとても驚いたんです。 思いもしなかった言葉を聞いたんですよ。 とてもうれしかったんです。」と子貢は答えた。

「おい、子貢よ、一人で悦に入ってんじゃないよ。 もったいぶらないで先生は何と言ったんだよ~。 早く言えよ、言わないと、ただじゃおかねえぞ、このやろう!!」

「子路あに…… 息! 息!ができませんよ。 苦し~い!」

「わるいわるい、ちょっと腹が立ってな、力が入っちまった。」

「子路にいさん! 殺されるかと思いましたよ。 いきなり首をしめるんだから・・・むちゃしないで下さいよ。 兄弟同士じゃなかったんですか?」

「そうだったな、それで先生は何と言ったんだよ。」

「『子貢よ、うん、そのとおりだ。 実は私も、お前同様なのだよ。』 『え~、先生も私と同じでせいぜい一を聞いて二を知る程度だとおっしゃるんですか?』 『そうだ、そのとおりだ。 何も私が先生とはいえ、回(かい)より人間ができているということではないんだよ。』 『先生、そうなんですか。』 『そうだよ、子貢よ、だからこうして一緒に共に学んでいるんじゃないか。』 『先生ぇ~え。 ありがとうございます。』 思わずじ~んときて、うれしくて涙がとめどもなく流れたんですよ。 こらえきれなかったんですよ、子路にいさん!」

諸君、この「論語創作ものがたり」の続きは明日また・・・では。
今日一日、真我とともにあらんことを

天意天風

2010年1月26日火曜日

論語と算盤と天風哲学と電卓~論語創作ものがたり パート7

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく)~論語創作ものがたり パート7」だ。

諸君、孔子先生が子貢(しこう)と〈仁〉について問うた、その後の孔子先生のお話からだったね。
「『子貢よ、そうすることにより相手の考えが自ずと見えてくるんだよ! 見えてくるというのは、相手が何を欲しているのか、また、本音と立前、真心と二心等が見えてくる。 相手を知って、相手の望むものがわかれば、相手にこびへつらうことなく、ことさら迎合する必要はないが、無用の争いを避けることも出来うる。 子貢よ、〈仁〉の道とは、万物の霊長たる人間としての歩むべき誠と愛とその調和の道だ。 時代性の変遷(へんせん)とともに人間の価値観も移り変る。 然(さ)れど人の本質は変らぬ。 〈仁〉の道とは、人格の生長および形成に最も大切な徳行の道でもあるんだよ。 子貢よ、回(かい)はその徳の道に至りつつあり、かなっているんだよ。 私はそう感じている。 子貢よ、お前は、回と自分とを比べてみて、徳の道を行くにおいて、どちらが上だと思うかね。 どうだろうよ?』と孔子先生に問われたんですよ。」

「それでそれで、おとうとよ、おまえ、何と答えたんだよ。」

「『はい、先生、私などは回先輩には、とても及びもつきません。 彼は一を聞いて十を知る人です。』 『そうかい、では、子貢よ、おまえは率直に自己分析して、どの程度だと思っているかい?』 『はい、先生、私は回先輩と比べれば、せいぜい一を聞いて二を知る程度です。』と答えたんですよ。」

諸君、この「論語創作ものがたり」の続きは明日また・・・では。
今日一日、真我とともにあらんことを


天意天風
      
二心(にしん、ふたごころ)-①敵対したり謀反したりする心。 ②疑いの心。

2010年1月25日月曜日

論語と算盤と天風哲学と電卓~論語創作ものがたり パート6

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく)~論語創作ものがたり パート6」だ。

「なあ、子貢(しこう)おとうとよ!!」


「なんですか、子路(しろ)にいさん。」

「おとうとよ!! おまえ実のところ孔子先生に何と言われたんだい!! この間、ずいぶんと落ち込んでいたじゃないか?」

「ああ、そのことですか? あれは、顔回(がんかい)先輩のことですよ。」

「顔回のことって何だよ?」

「孔子先生に問われたんですよ。」

「何をだよ? まどろこしいなぁ~、子貢、はっきり言っちまえよ!」

「にいさん、そう、むきにならないで下さいよ! 孔子先生と私、私と先生、二人で世間話をしていたんですよ。 先生が『子貢よ、〈仁〉について子貢の存念を述べてごらんなさい。』と言われたものですから、ここぞとばかりに、私のいつも心に思っている〈仁〉の心の在り方、考えを述べたんですよ。」

「ほ~、それでおとうとよ、おまえ何と言ったんだよ!」

「私、子貢の存念は政事を為す者としての立場からの〈仁〉であります。」

「なるほど、子貢よ、君は、為政者の立場としての立脚点に立ってということでの〈仁〉ということだね!」
「はい、そうです。 『本来の君子を目指しての為政者としての在り方の命題がテーマであります。』と先生に申し上げたんです。」

「それでそれで、おまえ孔子先生に何と言ったんだよ。」

「はい、人民を貧窮から救い、生活を安定させることができたら、どうでしょう、これこそ〈仁〉ではありませんか?」

「それで、先生は何と答えんたんだ?」

「子貢よ、そこまでいけば、それはもう〈仁〉どころではない! 堯(ぎょう)、舜(しゅん)でさえそれを成就できなくて悩んだんだ。 〈仁〉はこの世に生ある人としてなすべき尊い道でもあるんだ。 子貢のいうところの為政者の立場から見たならば、君子は自分の名誉を大切に思うなら、他人の名誉を重んずるべきだ。 天は人間をして創造の自由を本性において与えられているのが人間なんだ。 自分が自由でありたければ、まず他人の自由を重んずる。 こうして自分を常に為政者と限定することなく、本来の万物の霊長たる人間として、他者の立場として客観的において考察し、まず天より与えられた人間本来の自由性を認め、自分が認めてもらいたいのであれば、まず他人の自由性を重んじること。 こうして、自分を常に他人の立場に置いてみること。 子貢よ、それが〈仁〉の道なのだよ。 何故それが〈仁〉の道なのか? そうすることにより相手の考えが自ずと見えてくるんだよ!」

諸君、この「論語創作ものがたり」の続きは明日また・・・では。
今日一日、真我とともにあらんことを


天意天風

為政者(いせいしゃ) ―政治を行う人。

2010年1月24日日曜日

論語と算盤と天風哲学と電卓~論語創作ものがたり パート5

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく)~論語創作ものがたり パート5」だ。

「なあ、子貢(しこう)よ、孔子先生だいたい言っていることがおかしいぜ。 『回(かい)を見習え、回を見習え』って言われても、顔回(がんかい)みたいなやつがこの世の中に何人いるんだよ。 だいたい〈一を聞いて十を知る〉ことができるのは、孔子先生か天風先生か、シャカかキリストか、カリアッパ大聖者か、石塊(いしころ)みたいに、そうそうごろごろころがっているものじゃないぜ。 やつはある意味〈玉(ぎょく)〉、天才だよ。 そんなやつ見習えったってなれるもんじゃないぜ。 いちいち回と比較されるんじゃ、アホらしくてやってられないぜ。 おまえ、孔子先生にこの前なんか言われたんだってな。 子貢よ、おまえなんて言われたんだよ。 俺は口がかたいから安心して正直にはいちまえよ!!」

「子路(しろ)先輩、お言葉ですが、先輩が一番信用できないんですが・・・」

「なにぃ! おまえ、何言ってんだ!! アホヌカセ!! 俺はこう見えても信用第一義が信条なんだ。」

「お言葉をかえすようですが、でも、そう言いながら、孔子先生と顔回に不平不満&嫉妬して、グチっているようでは、私のことを他の塾生にも必ず『子貢はグチってた』って言いふらしますよ。 お~こわい! あぶない!あぶない! くわばら!くわばら!」

「なに~い、俺は〈孔子先生、命!〉なんだ。 おまえ言って良いことと悪いことがあるんだぞ! そんな孔子先生に対して不平不満があるわけないだろうよ。 だいたいだな、俺は〈孔子先生、命!〉だからいいとしても、君子たるもの、塾生に対しては、皆、わけへだてなく平等に扱わなければ君子とは言えないじゃないかい? 子貢さんよ、貴殿はどう思われるかな?」

子貢答えて曰く「多少の矛盾もなくもないですが、そりゃそうだねえ。 子路先輩、たまにはいいこと言うじゃないですか! 見直しましたよ。」

「おいおい、『たまには』はないだろう! じゃあいつもは、バカなこと言ってるみてえじゃないかよ! まぁ~、そんなことはどうでもいいぜ。 おまえと俺との仲だよ、先輩後輩抜きにして、この際『子路にいさん、子貢おとうとよ』でいこうぜ!! どうだい!!」

「なんかピンとこないですが、子路にいさん、今後ともよろしくお願いします。」

「まかしておけ、子貢おとうとよ!!」

諸君、この「
論語創作ものがたり」の続きは明日また・・・では。
今日一日、真我とともにあらんことを

天意天風

2010年1月23日土曜日

論語と算盤と天風哲学と電卓~論語創作ものがたり パート4

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく)~論語創作ものがたり パート4」だ。

諸君、大勢門人がいると好き嫌い、妬(ねた) み、嫉(そね)み等、様々な感情がうずまくね。
「男も女も人間だものなあ!」
そう言いたくなる諸君もいやしませんかい?
そう言えば、相田みつお氏の言葉を借りて、言い訳にしている人、けっこう多いいね!
諸君も、何か都合が悪くなると「人間だもの」を言い訳にしていませんかな?
「だって人間だもの、嫉妬の一つや二つくらいしたってしょうがないじゃない。 それが人間だもの!」なんてね。
他人のトイレの中をのぞき見してるわけじゃないんだがね、何故か相田氏の名言集は、トイレの中にかけてあるのをちょくちょく見かけるんだがねぇ!
私の生前の言葉てぇのは、天風ファンの諸君はトイレにかけないねぇ?
何故だろうかな?
「意識的に肛門をしめて、同時に肩から力を抜いて、丹田に力を入れよ! クンバハ法 積極的に!」なんて書いてあったら、出るものも出にくいよなぁ・・・
あたり前だ、肛門しめてんだからね。

まぁー、男の嫉妬もあるということですな。
〈孔子様、命!〉の子路が、「回よ!回よ!」といって顔回ばかり可愛がるものだから、心中実に面白くない。

「俺なんか自慢じゃないが、先生のこと大好き、大!大!大好き!愛しているって思っているのに、先生に喜んでもらおうとすればするほど、『子路よ、お前は思慮にかける。 物事を慎重によくよく考えてから行動しなさい!』こればかりだよ。 『回は一を聞いたら十を知る。 子路よ、おまえも回を見習ってツメのあかでも煎じて飲みなさい。』じょうだんじゃないぜ! 『子路よ、お前の勇(ゆう)は、真の勇気ではないぞ。 おまえの勇気は思慮分別のない、浅はかな勇気だ。』 子路よ思慮がない―しゃれにもならないぜ。」

孔子先生が何を語っているかの真意がわからない、愚痴をこぼしてばかりの子路でありました。
諸君、この「論語創作ものがたり」の続きは明日また・・・では。
今日一日、真我とともにあらんことを

天意天風

2010年1月22日金曜日

論語と算盤と天風哲学と電卓~論語創作ものがたり パート3

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく)~論語創作ものがたり パート3」だ。

孔子先生の直接の薫陶(くんとう)を受けれた門下生は大勢おられたであろう。
しかし、三千人もの孔門の弟子が、一箇所に寝食を共にしていたとは無理がある。
しかし、かなり大勢の者が、学んでいたことであろう。
であるからして、孔子先生の回りには、門人同士の中で、先輩、後輩の関係や、年功序列や、成績の順の序列、役割等の序列があったでありましょう。
ここでは、論語から学ぶ「男の嫉妬」の逸話創作物語であります。
タイトルは「男の嫉妬 一を聞いて十を知る! 百を聞いて一を知る」だ。
どうしてまあ、「嫉妬」という字は、女偏がダブルで合わさっているのかいね~?
男子は嫉妬しないのかいな?

「いつも上司に可愛がられて、あいつはいいなぁ~。 俺ときたらいつも怒鳴られたり、怒られてばかりいる。 上司ときたらあいつばかりほめて、身贔屓(みびいき)しやがって、その前で『君も彼を見習いたまえ』なんて言いやがる。 仕事じゃ俺の方が出来るのに、どうしてなんだい。 あいつは要領がいいものなぁ~。 しかし、上司とあいつの顔見るとほんとむかつくぜ!」

こんな心のつぶやき、過去においても、今現在においても、男性諸君は、なかったですかい?
これってひょっとして「やきもち」、これってひょっとして「男の嫉妬」ですかい?
もしこれ嫉妬であったら、嫉妬は女性特有のものではありませんな。
ということであれば、嫉妬も二通りつくらないと不公平でいけませんな。
男女平等です。
あえて、男(おとこ)偏をこしらえて、男二つで「男のしっと」と読む!
どうですかな?
え~え、私は中間! そうかい!そうかい!
男女中間なんだね。
半分半分なんだね。
男女どちらの気持ちもわかるから、それはそれで中立でよろしい!
そんな方は男半分、女半分にして書いてくれたまえ!
諸君、この「論語創作ものがたり」の続きは明日また・・・では。
今日一日、真我とともにあらんことを

天意天風

2010年1月21日木曜日

論語と算盤と天風哲学と電卓~論語創作ものがたり パート2

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく)~論語創作ものがたり パート2」だ。

諸君、ここで最も重要な登場人物である回(かい)こと顔回(がんかい)と子路(しろ)こと季路(きろ)のプロフィールを紹介しておこう。

この回は、顔回(がんかい)という方のことだが、孔門十哲の第一番目にあげられる、孔子門下第一の優等生なんだ。
孔子が最もかわいがったと言われている。
若くして亡くなったものであるから、非常に孔子様は嘆かれたと言われている方だね。
孔子様は、自分亡き後、後継ぎにしようと考えておられた方のようだね。
孔子様にとっては頼りにしている期待の人物であったんだね。
もう一人ここで重要な登場人物がいるんだ。
子路といって孔門十哲の一人。
姓は仲、名は由、子路は字(あざな)。
勇を好んだとされている方だ。
孔子様にぞっこん惚れていたんだね。
孔子様のためなら、命の一つや二つや三つは捧げても惜しくない覚悟の献身的な方だったんだね。
そんな反面、かなりの乱暴者で、無鉄砲なやんちゃな性分だったようだね。
参考までに孔子門下の選りすぐりの十人をご紹介しよう。
「孔門の十哲」と言われる方々だ。
徳行に優れた顔淵(がんえん、顔回)、同じく閔子騫(びんしけん)、同じく冉伯牛(ぜんはくぎゅう)、同じく仲弓(ちゅうきゅう)。
言語弁舌に優れた宰我(さいが)、同じく子貢。
政事に優れた冉有(ぜんゆう)、季路(きろ、子路)。
文学に優れた子游(しゆう)、同じく子夏(しか)の十人である。
その当時、孔子門下は三千人とも言われているらしいが、それ以上とも言われてもいる。
本当のところはわからないから、ここでは孔門三千人位の弟子がすでにいたという設定にしておこう。
その孔門三千の中の十人ですから、たいしたものだね。
諸君、この「論語創作ものがたり」の続きは明日また・・・では。
今日一日、真我とともにあらんことを

天意天風

2010年1月20日水曜日

論語と算盤と天風哲学と電卓~論語創作ものがたり パート1

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく) ~論語創作ものがたり パート1」だ。

諸君、本日は「論語」について小難しいし、固い話をしてきたので、諸君も肩もこってきたであろう。
肩の力を抜いてリラックスして話を聞いて頂きたい!
よろしいであろうか?
「天風講釈師見て来たように言う」という言葉もあるかも。


孔子様と弟子の子貢(しこう)との会話のやりとりなんだね。
この子貢さんは孔子の弟子の中でも古参で、側近中の側近の方の一人だったんだろうね。
孔門十哲の一人にあげられているんです。
姓は端木(たんぼく)、名は賜(し)、子貢(しこう)は字(あざな)。
弁舌、政治力に優れ、斉が魯(ろ)を攻撃しようとした時、諸国を遊説し、これを救った。
また貨殖の才もあったと伝えられている。


せっかくだからキャストを決めようか!
ここでは天風が孔子先生の役、諸君が子貢役だと決めて、子貢 になりきって聞いて下されや!
題して「論語創作ものがたり」だ。
あと、ここで最も重要な登場人物がある。
回(かい)こと顔回(がんかい)と子路(しろ)こと季路(きろ)である。

これは第五編公冶長(こうやちょう)に出てくる有名な問答なんだ。
諸君も御存知であろう。

「子、子貢に謂(い)いて曰(いわ)く、『なんじと回といずれか愈(まさ)れる。』 対(こた)えて曰く、『賜(し)やなんぞあえて回を望まん。 回や一を聞いてもって十を知る。 賜(し)や一を聞いてもって二を知る。』 子曰く、『しかざるなり。 われとなんじとしかざるなり。』」

孔子様が子貢に問いかけた。
「お前は、回と自分とをくらべてみて、どちらが上だと思うね。 どうだろうよ?」
「先生、私など回(顔回 がんかい)には、とてもおよびもつきません。 彼は一を聞いて十を知る人です。 私はせいぜい一を聞いて二を知る程度です。」
「うん、そのとおりだ。 実は私も、お前と同様なのだ。」

この物語の続きは明日また・・・では。
今日一日、真我とともにあらんことを



天意天風

2010年1月19日火曜日

論語と算盤と天風哲学と電卓 パート15

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく) パート15」だ。

諸君、「論語」に
「己に克って礼に復(かえ)るを仁となす。一日己に克ち礼に復(かえ)れば天下仁に帰す。仁をなすは己に由(よ)りて人に由(よ)らんや」とある。

ここで言う「己」とは、天風の言うところの本来の自己、自我の本質ではない。
「自心という己の心」のことである。
「己に克つ」とは、つまり「克己心(こっきしん)」のことである。
「仁の心」は、自分がしようとしてできるもので、決して他人の力に頼ったり依存するものではない。
「天は自ら助くるものを助く」という諺がある。
本来の克己心とは、この言葉の裏がえしでもある。
「天は自らの心に克つものを助く」とも換言できうる。
両方の言葉からも、人生他力のみをあてにしては断然だめであるということを、合点せしめてくれていると言わねばならない。

渋沢哲学いわく、
「己が物我の己であるとすれば、克己心とは自分だけの主観に勝つ心である。 物我の己を制して常に本然の性-正常な客観の立場に立ち返らせるのである。 こうしてみると克己に最も必要なものは強固な意志の力であり、この力を善用すれば、常に克己は出来る。」

言うに及ばず、これについては何の異論もない。
天風哲学でいうと、克己心とは、
「正心誠意を以って、為されざる事柄というものは、たとえそれがいかに立派そうに見えても、断然人の世のためになるという尊い結果を作為しない。 況(いわん)や、人々の共同幸福のために努力しようとするには、崇高なる克己心というもの・・・すなわち自己に打ち克つ心が、これもまた何より必要である。」
この話の続きは明日また・・・では。
今日一日、真我とともにあらんことを


天意天風

2010年1月18日月曜日

論語と算盤と天風哲学と電卓 パート14

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく) パート14」だ。

諸君、「論語」は学而(がくじ)第一から堯曰(ぎょうえつ)第二十までの二十篇からなるもので、いちいちここでは、これ全てを渋沢哲学と天風哲学とに照らして解釈しているわけにもいかないので、重要な根幹になるものだけを述べさせて頂いた。
渋沢哲学のいう「論語」を、余計なものを、余計な固定観念を捨てて、そのまま読み、自身に活かすことを勧めている。
時代の変遷とともに、儒家と称する者たちの固定観念から解放されて論語をそのままを開くと、そこには、いきいきとした、今の今もいきいきとした、血の通う人間集団の人生ドラマが展開している。
渋沢人生哲学もしかり、天風人生哲学もしかりである。
「人間とは何か? いかなるものか? 真の人間らしさとは何か? 真人生に生きるとは何か?」
という命題をよくよく考えさせてくれるものに相違ない。
これこそ、「論語」が長い生命を持ち続け、現代人にとっても共感を覚えさせてくれる理由ではないだろうか?
渋沢哲学しかり、天風哲学しかりである。
根幹に流れているものは、宇宙の天の摂理であり、人間真理であるからだ。
そこには「論語」の中の「仁」「義」「礼」「智」「信」などの徳目が、その教訓として、戒めとして語られているが、天風哲学では「誠と愛を持って一切に応接する」ということを、生前より終生一貫して述べてきたんだ。
私に言わせれば、「仁の心」とは、「誠と愛の心」ということになる。
その至上なるものが、「本心・良心に基づく人の心の思いと行為の真心の状態」をさして「誠心誠意」と言ってきたんですよ。
真心を持って一切の物事に応接するということはね、心身統一された一つの状態にあるんですよ。
この話の続きは明日また・・・では。
今日一日、真我とともにあらんことを

天意天風

2010年1月17日日曜日

論語と算盤と天風哲学と電卓 パート13

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく) パート13」だ。

諸君、私の代筆をしてくれている黒子君は、これからの二十一世紀において必要不可欠とされる天風哲学を今の時代に換言して、「真我の要諦」を主題として、『天真爛漫自分塾』を一念発起して二カ年ほど前よりはじめたんですよ。
「天真爛漫」とは、ご存知であろうが、あえて説明するならば
『純真で心の中が素直に表れていること。 無邪気でこだわることがないこと。 またそのさま。』と一般的に訳されていますね。

そこでだ! 渋沢さんは、ほぼ私と同じ意見であるのであるが、その言葉をあえて掲載することにする。

「無邪気について一言しておきたい。
世の中を見渡すと、どうも知恵の優れた人物には無邪気の者が少ないように思われる。
ややもすれば知恵の力を借りて心にもない意見を吐いてみたりして、何事でも知恵で人を押さえ込まなければ、知者として、また学者としての本分が立たないと考えているものが少なくないらしい。
したがって知恵を働かす者の多くは、もともと有邪気(ゆうじゃき)に傾きやすいことになる。
しかし知恵があり学問があるからといって、必ずしもその人が無邪気になれないことはないだろうと思う。
無邪気という言葉について考えてみると、邪念のない素直な天真爛漫な性情である。
痴呆(ちほう)とか愚鈍(ぐどん)とかいう意味とは全然違う。
痴呆だ愚鈍だと言われたら恥辱だが、無邪気だと呼ばれても誹謗(ひぼう)の要素は少しも含まれないはずだ。
知恵の働き、学問の積み重ねが十分あって、それで天真爛漫の態度を維持し、知恵や学問を活用していくならば、その人格は実に立派である。
知力や学問の力を悪用して有邪気に働かせるから多くの弊害が起こるので、それと反対の態度で無邪気に活用させる人ならば、そここそ真の世の中の宝である。
知恵があり学問があればあるほど、いっそう無邪気であることを願うべきではないだろうか。
そういう性格の青年が私の好む人物だが、現代の社会もみなこのような青年を歓迎すると思う。
実業界に志すか否かにかかわらず、今日の青年はできればそういう性格を養うことを希望する。」

以上、私に限らず誰しも、もちろんこれに異存はないでしょうよ。
本日はこれまで。
この話の続きは明日また・・・では。
今日一日、真我とともにあらんことを
天意天風