2009年11月19日木曜日

自己陶冶「自分の器は自分でデザインする」 パート4

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「自己陶冶『自分の器は自分でデザインする』 パート4」だ。

今日はこのテーマの中の「自分の器は自分でデザインする」の、「デザインする」にズームイン、クローズアップしてみよう。
自分の生き方、考え方が、心の器をつくると言いましたね。
諸君の存在は「世界に一つだけの花」だ。
世界中探してもかけがえのない一点ものなんだね!!
「デザインする」とは、一般的には、行おうとすることや作ろうとするものの形態について、機能や生産工程などを考えて構想することとされている。
諸君の好きなブランドバック、ブランドの時計やブランドファッション、車、化粧品などのある程度の生産性をシステム的にシステム化するものがデザインだ。
それが重要なブランドイメージになるね!
これはわかるかい?
ここでは「デザインする」を視点を変えて、視野を大きく広げて見てみよう。
人間を創造した存在はだれなんだ?
人間の肉体をデザインしたのはだれなんだろうね?
レオナルド・ダ・ヴィンチによって描かれた円の中に入った人間の図画が描かれていることは知っているかね?
有名なものです。
人間デザインしたのは誰かってかい?
それはおれの父ちゃんと母ちゃんだよ!!
それもそうだが、その父ちゃんと母ちゃんをデザインしたのはだれだい?
禅問答になっちまうから、ここでやめておこう。
きりがないからな!

必ず結果として表れたことは、その前に原因があるんだね。
人間を最初に創造した存在があると考えた方が自然だね。
人間も自然物ですよ。
生前、私は、人間を創造しデザインした存在を、宇宙霊とか造物主とか宇宙根本主体とかよんで語っておりましたよ。
何が言いたいかってかい?
それはね、人それぞれ思ったり考えたりしていることは異なりますよ。
みんな一人一人全部違います。
それはそうでしょうよ。
むずかしい言い方をすると、観念の要素がみんな違うからなんです。
一人も同じ人はいないんです。
顔も体格も体質も違うでしょうよ。
みなそれぞれですよ。
ただし、人間には、誰しも「心」という共通のものがあるよね。
それは諸君も否定しないでしょうよ。
その誰しも持っている「心」は誰が造ったんだい?
また人体は、だれがデザインしたんだい?
牛のように胃袋が4つある人いるかい?
これは、ありがたいことにね、お陰様でね、心も体も人間がデザインしたんじゃないんですよ!
人間がデザインしたんじゃない!
「思うのも考えるのも自分の勝手だい」そう言われるでしょう。
その自分の勝手な思ったり考えたりする心を与えて下さったのが人間を創造した神と言っている第一原因者なんですよ。
へらず口がきけるようデザインしてくれたのも造物主という存在なんですよ。
そして、万人共通の心を造り、本心良心をデザインしてくれたんです。
そのお陰で、人間は、神が創造した中の最高級ブランドになったんですよ!!
そう、私がよく言っている「万物の霊長たる人間」なんですよ!!
そのように創造しデザインしてくれたんです。
この続きは、明日また・・・
今日一日、真我とともにあらんことを


天意天風

2009年11月18日水曜日

自己陶冶「自分の器は自分でデザインする」 パート3

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「自己陶冶『自分の器は自分でデザインする』 パート3」だ。

各種の様々なルールにのっとったスポーツやトレーニング、習い事、スポーツ以外でも幅広い分野で、それぞれの道の専門家や師匠について稽古をしている方々は大勢いらっしゃるでしょうよ。
「えー私は一日一善、利き酒ならぬ、飲み酒を毎日稽古してるんですよ!
酒に強くなる鍛錬をして見ようかと思いましてね!
ここ数十年、一日も欠かさず晩酌を訓練にしています。
ハイ!!」
諸君、これ自己陶冶と言えますかい?
自分の器は自分でデザインするって言っても優勝力士が飲む盃をつくっているんじゃないんだぜ!
勘違いするな!
こういうやつに限って理屈がふるっている。
「天風先生、お言葉かえすようですが、私しゃねえ、自慢じゃないけれど、毎日自己陶冶している訳はですね、酒は飲んでも、飲まれるな! 日常、毎日楽しい酒を飲んで、余計なことは飲んで忘れちまうんですよ! これが私の自己陶冶です! 先生も生前寝がけは余計なこと考えるな! 考えるなら明日起きてから考えろって言ってたじゃないですか! 先生の言われたとおりやらしてもらってます。」
おいおい、ま~ずいぶんと自己中御都合の陶冶だね~え!
諸君は、賢いから、おわかりになるでしょうよ。
これは、屁理屈であって、本来の自己陶冶ではありませんぞ。
よろしいですか?
ま~、いろんな新しいスポーツができましたね。
御存知でしょうか?
チャンバラも昨今はスポーツになっているね!
スポーツチャンバラといっている。
ビニールのふくらませた刀で、たたくのか切り合うのかするゲームスポーツなんですよ。
子供も大人も楽しめる。
大人なんかは子供の頃にかえって楽しんでいるそうな。
私の生まれたころは、ちょっと前まで、刀さしていて、往来していた時代ですよ。
刀は武士の魂でね。
剣の道は武士たるものの心得であり、日々、怠りなく、鍛錬するという忍耐道、精神修養道でありました。
習練は実践ですからな。
命の取り合いの覚悟での真剣の真剣な立ち合いですからね。
気なんか抜いたら、切られちまうし、殺されちまいますから!
スポーツ感覚で楽しむという気にはなれるもんじゃなかったですよ。
段平もって、動かない竹や、わら束や、むしろを切っているわけにゃいかない本当に真剣での命のとりあいが想定内でしたよ。
ただその覚悟はね、自然としいだま、つまり、きもったまが養われるんだね。
命がけの覚悟があれば、不思議とへそ下の丹田という心身の活力の源であるチャクラと呼んでいる気の集まるところにだねぇ、そこに一点集中して、ま~台風の目だね。
そこに、心身の気が集まってくる。
丹田を一点に定めて、有意承知で、気を練るんですよ。
気を練り上げていく訓練を怠らず、実践していくんです。
これは、剣道だけではなく、柔道、弓道、合気道、空手道などなど、あらゆる文武に仕事や生活に通じることです。
今さら言うことでもありませんが、現代人は、非常に気力が弱くなっているんですよ。
日々続けられることを生活に織り込んで、何か一つでも気の鍛錬になることをお勧めします。
「天風の生前の本を1日10分間、1年間続けて読んでみよう」でもかまいませんぞ。
元気になりますぞ!
これは良い本だ、常に持ち歩いて100回読んでみようでも、よろしい!!
まずは一つ決めてやってみることです。
今日一日、真我とともにあらんことを


天意天風


段平 ― 幅の広い刀。

2009年11月17日火曜日

自己陶冶「自分の器は自分でデザインする」 パート2

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「自己陶冶『自分の器は自分でデザインする』 パート2」だ。

一般的に、陶冶するとは、生まれついた性質や才能を鍛えて、自己を練り上げることの意味で使われている。
私も生前は常用した大切な言葉であった。

本日は「練る」ということをズームイン!クローズアップして話をしたい。
練るのであるが、粘土をねる、あんこをねる、うどんや粉物をねるなど、日常的に様々な用途で幅広く使われているね。
えっ、何が日常的か?
そうね、よく使っていますよ。
野球の練習、サッカーの練習、ゴルフの練習、スポーツに限らずいろいろな練習がありますね。
また「練修」という言葉もありますよ。
学問や技芸などを練り修めることの意味だそうですが、「修」は身を修めることなんですね。
「練る」という言葉は奥が深いですな。
「案を練る」「考えを練る」「アイデアを練る」「対策を練る」「精神を練る」等々「練る」とは、練ることによってのよりよき効果がある「産まれる」ということだね。
「練る」ことは、思考や行為で、何かを生み出そうと、作り出そうとしているんだね。
「練る」とは、考えて!考えて!考え抜け!
私は積極的に考え抜くことを練るとする一つの条件としている。
考えを練って!練って!練りまくる。
その過程でひょんなこと、フッとしたことで、いい案がわいてくるんですよ。
諸君もそんな経験あるでしょうよ。
諸君が、何をしていいかわからないときもあるでしょう。
どうしたらよいやら、途方に暮れることもあるでしょう。
しかし、必ずこれはといういい案、いい方策、真剣に求めれば出て来ると信じることです。
それから、自分がこれだと直感するまで、自分の関心がある、なしに関わらず、仕事の分野にこだわることなく、「心を練る」を感じる「お手本」を探すことです。
まず、これだという「お手本」を練習しまくってみる。
良いお手本の真似を徹底してみることですぞ。
この続きは明日・・・では
今日一日、真我とともにあらんことを


天意天風

2009年11月16日月曜日

自己陶冶「自分の器は自分でデザインする」 パート1

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「自己陶冶『自分の器は自分でデザインする』 パート1」だ。

このテーマは、これからも何度も繰り返し話をしていきたいと決めている。
陶冶(とうや)とは、今どきは聞きなれない、使われなくなってきたね。
諸君も聞きなれない言葉であろうよ。
その意味は、陶器を作ること、鋳物を作ること。
また生まれついた性質や才能を鍛えて、自己を練り上げることの意味であるが、ここでは、「自己を陶冶する!」とは、自己の器づくりということだ。
私からすればとても素敵な響のある言葉だ。
自分の心の器を自分でデザインできるんだぜ。
まず、自分で心はデザイン出来るんだと知って下さい!!
いいですね!!
とても魅力的でとてもチャーミング、セクシーで、自分が欲しくなる、買いたくなるデザインにすることですぞ。
それには、自分で自分の人格も品格も含めて、生涯かけての、自分だけの生涯をかけた一生一作品、値打の高い一点ものをつくることを心がけることです。
自己の心の器づくりといってもいい。
そのためには、どんな器をつくるか、そのデザインや質、つまり、作ろうとするものの心の形態について、目的や用途や機能などの設計や図案、そして心の器の材料やその材質という性質、またその材質の適性を知る。
まずは、自己の素質や性格を客観的にとらえて、意識を階段の一段ずつでも高くして、視野を見えやすくすることだ。
それには、「視野を広げるぞ!!」と決心しなければ、いつまでたっても今のままで変わらないね。
そして、学んで知る努力がまず不可欠になる。
心は形に表れる。
心のデザインがよければ、形に表れるデザインもグッドということです。
諸君は、よき心の器づくりにとって、よりよきものは何か、何が大切かを積極的に知らねばならない。
今日一日、真我とともにあらんことを・・・

天意天風

2009年11月15日日曜日

双葉山定次、国技たる大相撲の真髄と醍醐味を訴える

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「双葉山定次、国技たる大相撲の真髄と醍醐味を訴える ラスト」だ。

諸君、双葉山スター千一夜のゲストは、この回がラストであります。
大横綱の相撲を愛する故の切なる訴えである。
代弁するからよく聞いてくれたまえ。
相撲は、国内の争いごとを回避して、丸く納めることと、楽しむこと、そして、和平を積極的に意志してつくられた行事であったんだ。
平和や調和は、そうなるべく作為しなければつくりあげられないんだよ。
平和は、平和にしようと考えなければ、そうならないんですよ。
積極的に作為しないとね!!
横綱の土俵入りの際に、まわしに、注連縄(しめなわ)をまいて、型を披露するね。
丸い土俵は天を表わしている。
その回りの四方の土台は、地を表わしている。
天円地方ということ。
天は円!! 地は方!!
「天地にかけて、己の力のみで勝負するぞ。
武器は何一つ持っていないぞ。
よくごらんあれ。」
と雲竜型、不知火型などは、目に見える観衆だけではない日本国有の八百万の神である意識生命体にも向けられたものだ。
西洋のスポーツは、古代オリンピックのギリシャにあって、裸は同じであるが、武器一つを持って競いあう。
武器であるからして、殺し合いの道具だ。
円盤投げ、ハンマー投げ、砲丸投げ、槍投げ、投てき競技はみな、人を殺すためのものだ。
日本の大相撲は断然これとは異なるものだ。
大相撲は和をもって尊しとなす理念の下、日本国独自の平和の祭典である。
故に、その火を絶やしてはならない。
今日一日、真我とともにあらんことを・・・

天意天風

2009年11月14日土曜日

双葉山定次、あの世(仏界)からほえる!! 現!!平成相撲界および相撲協会に物申す パート3

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「双葉山定次、あの世(仏界)からほえる!! 現!!平成相撲界および相撲協会に物申す パート3」だ。

天風会会員のよしみもあって、スター千一夜のゲストである、彼の代弁をさせて頂こう。
双葉山いわく、大相撲は、日本古来の大和魂にもとづく「和をもって尊しとなす!」これを形に表わした、いわば、無形文化財であるという言い分である。
地方巡業は、各地元の神々と地元住民に対して、不遜不敬なきよう礼儀を尽くしての、顔見せであり、あいさつまわりである。
つまり、中央と地方との仲を取り持つ親善大使でもある。
今の角界は、その本来の相撲道の理念の自覚に欠けている。
何故今まで永きにわたって名勝負とともに長く続いてきたのかを改めて自覚することだ。
こちらから見ると大相撲の屋台骨はくさって、ボロボロだ。
このままでは、いずれ大相撲が過去の記録映画になって残るだけで消えてしまうぞ。
しっかりしてくれや!!
以上が彼が特に物申したいことだ。
相撲をこよなく愛するが故である熱い思いを伝えておこう。
本日はこれまで。
この続きは、また明日!!
今日一日、真我とともにあらんことを・・・


天意天風

2009年11月13日金曜日

双葉山定次、あの世(仏界)からほえる!! 現!!平成相撲界および相撲協会に物申す パート2

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「双葉山定次、あの世(仏界)からほえる!! 現!!平成相撲界および相撲協会に物申す パート2」だ。

双葉山が現役を引退して特に懇意にするようになったんだがね、ここで彼の代弁をしながら話をまとめてみよう。
大分から上京して新弟子として立浪部屋に入門する。
勝って勝って出世して「故郷へ錦を飾りたい。」
親戚や友人知人ならび地元の応援ひいきの衆の方々にこれまでになったんだと喜んでもらいたい。
大分を代表する力士になるんだと決めていた。
そんな折、風呂たきの番をしていて、親方の独り言を聞いた。
「あいつはいい体をしている。将来、必ず横綱になる。」
親方の言葉で俄然「俺は将来必ず横綱になる。」
これが、潜在意識にそのまんまインプレス(刻印)されたんだな。
とにかく勝つか負けるかの白黒はっきりした分かりやすい世界だ。
厳しい角界で勝ち抜いていくには、心技体、三つとも最強であらねば、横綱にはなれない。
不惜身命、強い心、磨き抜かれた技、よく稽古して鍛錬された体が資本だ。
彼の考える相撲道は、丸い土俵の中は、天と地を結ぶ聖域なんだ。
力士とは、天と地のド真中で裸一貫、廻し一つをしめ、己の心の力と技の力と体の力が勝負である。
大相撲は、世界のスポーツとは断然意味が違うんだ。
相撲は、天皇家の宮中の年中行事の一つである。
歴史と伝統と格式がある。
何故相撲が日本国の国技なのか。
その意義は、丸い土俵で、何一つ武器を持たず、持てるのはおのれの身体のみである。
勝っても負けても遺恨を残さず丸く納める。
全国各地の力自慢の代表を出す。
その代表が力士なんだ。
力士と力士のガチンコ勝負、どちらの地元の神々さんも、どちらが勝っても、ここは丸く納めようじゃござんせんか。
東方、西方、ぐるりのます席の御来場の相撲ファンの神様仏様、よろしいですね。
間もなく制限時間いっぱいになりますが、どちらが勝っても負けても丸く納めて文句なしで受けて下さいね!
ます席の地元力士応援、声援の神様方、よろしゅうござんすね!
と、何度も念を押して、日本の国の中で、各地の神が争うことなく、丸く納めて、調和をとっているのが相撲なんですよ。
いろいろ言い分はあるだろうが、相撲で丸く納めようぜ!!
これは勝ち負けだけのスポーツではありませんよ。
この続きは明日また。
今日一日、真我とともにあらんことを・・・


天意天風

2009年11月12日木曜日

双葉山定次、あの世(仏界)からほえる!! 現!!平成相撲界および相撲協会に物申す パート1

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「双葉山定次、あの世(仏界)からほえる!! 現!!平成相撲界および相撲協会に物申す パート1」だ。

本日は生前、天風会会員、帰霊したのち六次元仏界に住らしている第三十五代横綱双葉山定次氏をスペシャルゲストにおよびしております。
本日のスター千一夜、司会はおなじみ元中村天風こと天意天風であります。
天風門下の会員のよしみもあって、久しぶりに昭和の大横綱の話を聞いてみたくなりましてな!
双葉山関の御霊とお話をさせて頂いた次第でありますよ。
互いに「相撲談議に花を咲かせましょう。」ということになりました。
但し、相撲は頂点を極めた双葉山だが、口のほうは余り達者でなかった大横綱だが、現今の相撲界および、平成に入ってから特にえげつない、金がらみ欲からみ、欲のつっぱりの相撲協会に物申したいということで、諸君、皆様、不肖天風が彼の代弁をすることとあいなった次第。
寛容な心で受けとめて、聞いてやって頂きたい。
よろしいか?
よろしいでござんすか?
まず、双葉山関といつも、今どきの人は、相撲関係者か相撲マニアの人なら知っておられるであろうか、ここで、略歴を簡単に紹介しよう。
それから、彼の物申したいことの代弁を私がいたしましょう。
よろしいかな。

双葉山定次。
本名あきよし。
未だ破られていない、双葉山69連勝。
全勝優勝連続5場所、幕内優勝12回などを記録。
年寄名は、時津風。
名門、時津風部屋だね。
日本相撲協会理事長を務める。
これが、簡単な彼のプロフィールだがね。
諸君、現行の相撲のルールで双葉山を比較し、正当な評価をくだしたならば、32回優勝の大鵬と同格か、それを抜いていた№1であろうと思う。
今のように、時代が異なるので相撲そのものが出来なかったこともあるんだ。
相撲の歴史上に残る大横綱であり、相撲道を極めた人格者でもあると言って過言ではありません。
明日は、彼の物申したい、申し上げたい真意を代弁して伝えたい。
乞うご期待あれ。
では、明日。
今日一日、真我とともにあらんことを・・・


天意天風

2009年11月11日水曜日

木を見て森を見ず! 森を見て木を見ず!

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「木を見て森を見ず! 森を見て木を見ず!」だ。

紅葉も見ごろを少し過ぎましたかね?
日本の紅葉は私にとっては言い知れぬ独特の風情を感じるね。
赤や黄の燃え立つような、深い色合いのグラディエーションとコントラストはなんともいえませんな。

諸君、「木を見て森を見ず!」こんなことわざあるの知ってますかい?
事物の末梢的部分にこだわりすぎて、本質や全体をとらえられないことのたとえです。
ではこれを180°正反対にとらえてみると・・・
「森を見て木を見ず!」
全体はとらえることが出来るが、森の中の一本一本の木々がどうなって、このような素敵な森を作っているのか?形成しているのか?の細部がとらえられない逆から見た勝手なたとえです。
富士山も晴れた日に遠くで見ると「ああ~いいねぇ、富士山は日本一だ。 富士山はやっぱり美しいねぇ・・・」
かたや、富士登山して、六合目七合目辺りを見渡せば、風も強く、大きな溶岩がゴロゴロ!!
岩肌は黒く焼けて、近くで見るとちっとも美しく見えない。
「来てみればさほどでもなし富士の山」だな。
でも同じ富士山なんだよな。
見る位置で、断然変わってしまうね!
どちらもありですよ。
見方、目の付けどころで見え方は当然変わります。
同じ紅葉(もみじ)ていったって、色々な木々があります。
色々な楓の木がありますよ。
一本一本の木はそれぞれ表情も異なります。
よ~く観察しないと、わかりません。
枝葉はどう付いて、どのように色づいていくのか?ね。
気を入れて真剣に観察すると、気づかなかった自然循環の生命の営みを垣間見たような気になります。
不思議です。
人生は所詮心一つの置きどころ、目の付けどころなんですよ。
今日一日、真我とともにあらんことを・・・


天意天風

2009年11月10日火曜日

鞍馬天狗見参、快刀乱麻を断つ!パート5

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「鞍馬天狗見参、快刀乱麻を断つ!パート5」だ。
このシリーズはパート5でラスト
となります。

「凛として粛粛としてこれを慣らう。」
「凛(りん)」とは、態度などが、引き締まっているさま、りりしいさまのこと。
「粛粛」とは、静かなさま、厳かなさま。
「慣らう」は、「何度も繰り返して、それが習慣となるまで、慣れ親しむまで行修訓練する!」という意味です。

「よりよき積極的な器づくり、人間づくりを目指して、心を引き締めて、心静かに、かつ、厳かに、行修、修養してまいる所存である。」との心得であり、決意宣言だな。
ま~、あえていや、「この厳しい御時世に生きる!生き抜く!」ための一つの人生観でもあります。

以前にも述べさせて頂きました。
諸君の人生観の所信表明文をつくってみてはどうかと提案しました。
是非「自分らしく」でかまいませんので、自分の目的や戒めとして表現せられることをお勧めします。
何度も何度も繰り返し読むことによって、「自分らしく」に立ち帰ることができるでしょう。
さらに進化向上すべく、次の高いステップへ進まれるでしょう。
仕事にもよるでしょうが、働く環境が一段と厳しくなっておりますが、
「家族のために頑張っている。」
「何はともあれ会社存続のために頑張っている。」
ひいては、「直接お目にかかれないお客様や消費者の方々のために頑張って役立ちたい、喜んでもらいたい。」
何であれ、働くというのは、人間の生まれついた役目なんです。
どんな御身分になろうと、健康である限り、働かなくてはならないようにできています。
そうなっているんです。
理屈じゃござんせん。
「家族を食わせるために俺は嫌なんだけど、我慢して、今の仕事をやっているんだ。 そんな気持ちを家族はまったく理解してくれない。 やんなっちゃうよ!! 俺は犠牲者だ。」
こんなこと、もし考えているようなら、「働くということ!働けるということ!」、その本来の尊い意義を知らないんですよ。
まず「自分は誰かの犠牲になって働いているんだ」とする考え方自体が、極めて消極的な精神状態なんですから!!
これわかるでしょ。
働くということは、このこと自体が人間として、生まれた者に与えられた大きな恩恵であり、慈悲であり、使命でもあるんです。
只々、感謝せずにはいられません。
以上、「鞍馬天狗見参、快刀乱麻を断つ!」を終わります。
今日一日、真我とともにあらんことを・・・

天意天風

2009年11月9日月曜日

鞍馬天狗見参、快刀乱麻を断つ!パート4

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「鞍馬天狗見参、快刀乱麻を断つ!パート4」だ。

諸君は、どちらのスイッチをONしましたか?
どちらを選んでも諸君の人生です。
ただしね、知らないでいるか、知って分かっているかで、月とスッポンの違いがでてくるんですよ。
素直な人は、心の積極的スイッチにONした方がお得ですよ。
「確かにそちらがお得ね!」
最初はこんなノリでいいんです。
このスイッチの切り替えを「積極的に心機転換する」と呼んでいます。
人を愛する強い気持ちで立ち向かっているその姿は、積極的にスイッチをONしていて、そのモードにすでになっている状態ですね。

「礼をつくして、意志の疎通をはかることを怠りなく努める。」
あえて説明はいらないでしょうが、礼儀は人と人としてのコミュニケーションでありマナーです。
人間関係を抜きにして、仕事も生活も、生き甲斐も、へったくれもありません。
はやい話が、人間は一人では生きられないのですからね!
人間関係で成り立っているのが社会というものです。
当然です。
礼に失することなく、元気溌剌颯爽とした交人態度で臨んでいきましょう。
人と接する「交人態度」いかんで、人生を楽しくもするが、苦しくも辛くもします。
非常に大切です。
あらためて、お話することにしましょう。

「日々の仕事や生活の場は自己を陶冶する絶好の機会であり、行修訓練の場であるとして」
人生の時間は、やはり、仕事をしている時間、食事や生活の雑事一般、睡眠等でほとんどが費やされていますね。
諸君もたいがいの方はそうですよね。
では「何故、自己を陶冶しなければならないのか?」という疑問がでますね。
「陶冶」は、「生まれついた性質や才能を鍛えて練り上げること」と辞典には、記されています。
ここでの「陶冶」の意味は、自己の心を積極的精神の心の陶器をつくること。
すなわち、人間の器(うつわ)づくりなんです。
これが「自己陶冶」の目的です。
潜在意識という言葉を聞いたことありますかい?
この潜在意識の型を積極的精神の器につくりかえるんです。
それには、日々(にちにち)の仕事や生活の中からが一番無理がなく、有効なんですよ。
よい土を丹念によく練り上げて、立派な陶器を焼きあげるんです。
人間の器づくりとは、尊い心の器、強い心の器、正しい心の器、清い心の器の陶器創りです。
この器が出来上がれば、自己を成長向上させるとともに、自己の内在の能力を発揮することが自ずと出来るんです。
「日々の生活習慣は第二の天性である」と、これまた心得て、積極的習慣になるまで繰り返し行っていくことです。
有意注意しながら工夫して仕事や生活におりこんで活かすことです。
続きはまた明日
今日一日、真我とともにあらんことを!!

天意天風

2009年11月8日日曜日

鞍馬天狗見参、快刀乱麻を断つ!パート3

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「鞍馬天狗見参、快刀乱麻を断つ!パート3」だ。

昨日の引き続きです。
「虚心平気としてこれを愛念で受け」の「愛念で受け」からですね!
自分とって不測の事態、不利不運な出来事に際しても、驚愕せず、落胆せず、失望せず、逆境こそ心一つの踏ん張りどころと心得て、つとめて明るくする。
人生不運ばかりじゃない。
不運ばかりは来はしないんだ。
積極的精神のあるところ、必ず道が開けると信念して、立ち向かうんです。
「えらそうに、人事だから、勝手なことよく言うよ!」
「人のことならいざ知らず、自分のことはそう簡単単純にはいかないよ!」
そんな御意見御批判もおありでしょうよ。
しかしね、只今、おこってしまった結果ですぜ。
もうすでに自分の身に少なからず振りかかってきたものですよ。
諸君、このとき、諸君の口から「苦しい」「辛い」「逃げ出したい」「弱った」「困った」「参った」「助けてくれ」等々、こんな悲痛な叫びや大愚痴が出ていませんかいな?
諸君、愚痴はな、仏教の方では、「心を毒する三毒」の一つにあげられているんですよ。
「苦しい」「辛い」「逃げ出したい」「ダメだ」「無理だ」「出来ない」「無力だ」「弱った」「困った」「参った」「助けてくれ」等々は、自身の口から言葉にして言い続けると、その言霊は、自分の耳が一番先に聞いているんです。
いずれ全身に毒がまわっていきます。
この毒がまわるとね、物事を正しく認識したり、判断したりすることが出来なくなってくるんですぜ。
うっそ~。
本当ですよ。
自分で自分の首をしめているのと同じことなんですぜ。
この題目は別の機会に話しましょう。
さあ、諸君、「心のスイッチを明るく朗らかモード」に切り替えるがよろしいか?
はたまた、「暗く、じめっとしたモード」のままがいいのか?
どのみち、どちらかを選択しなきゃならないんです。
積極的心のスイッチにONするか、消極的心のスイッチにONするかです。
人を愛する強い気持ちで受けとめて、ここは踏ん張って、踏みとどまってくださいな!!
この続きは明日また・・・
今日一日、真我とともにあらんことを!!
天意天風

2009年11月7日土曜日

鞍馬天狗見参、快刀乱麻を断つ!パート2

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「鞍馬天狗見参、快刀乱麻を断つ!パート2」だ。

昨日の続きです。
明るく朗らかで、グチグチ、キナキナ、ネチネチしない、心の中をきれいにさっぱりとして物事にとらわれることなく、懐が広く、深く、長く、強くの己自身を目指す!
生き方の目標にするということだね。
想定外の出来事事件などに際しても、非常に驚いて、精神的動揺をおこさないことを有意注意して、心にとめておくこと。
この突然の事態に際してこそ「クンバハカ法(神経反射の調節法)とプラナヤマ法(活力吸収法)」を間(かん)髪(はつ)を容(い)れず、すかさずやる!
いずれの機会にこれは解説しましよう。
 「虚心平気」はね、何事かの不測の事態が起こると、すぐに心は自身から放れちまう。
つまり、心ここにあらず。
放心状態だね。
起こっていることに心が飲み込まれちまうんだな。
いかなる場合があろうとも、いざというときは、そんな出来事が、寝てる間に起こって、ぜんぜん知りもしない。
目が覚めて、聞かされた。
へえ~、よく寝ていたもので知りません。
知らないものは知らないんだ。
心というものを絶対的に虚にして、気を平にする。
気は気分や気持ち、気は心だね。
事あるときも事なきと一緒にする。
いつも気持ちや態度を変わりなく振舞う。
気を平らにすれば、何も知らなかったんだから恐ろしいことはない。
つまり、「虚心平気」とは、よく寝てるときのように、何事もなかったかのような心でいる状態のことですよ。
落ち着いた平静な気持でいなさい。
心得ておきなさいよということです。
心得だからね諸君、聞いて知っているだけじゃだめなんだぜ。
それでは、いざというときに何の役に立ちませんぞ。
習い自分のものとしておぼえ体得修得することですよ。
よろしいですかい!
この続きは明日また・・・
では、御機嫌よう。
今日一日、真我とともにあらんことを・・・

天意天風

2009年11月6日金曜日

鞍馬天狗見参、快刀乱麻を断つ! パート1

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「鞍馬天狗見参、快刀乱麻を断つ! パート1」だ。

「鞍馬天狗」はね、1924年(大正13年)に大佛次郎(おさらぎじろう)の出世代表作だ。
諸君、実は「鞍馬天狗」のモデルは他ならぬ肉体をもっている頃の私だったんだ。
知ってる方は御存知でしょうよ。
ああいう人物はいなかったんですよ。
幕末から明治維新には。
私が支那の革命戦争を終えて帰ってきて、東京で私の歓迎会を友人が開いてくれたときにちょうど、まだあまり世の中に出ていなかった大佛次郎がその席に来ていた。
本名は野尻清彦で1897年(明治30)横浜に生まれたんだ。
ペンネームは、鎌倉の大仏裏に住んでいたことによるそうだ。
上野精養軒の支配人の石坂徳三郎という人から私の身の上話を聞いて、非常に興味深く思ったんだろう。
「先生のお話をうけたまわるにつれ、もしも先生が幕末維新の際に生きて活躍していたら、こうもあろうかということをテーマにして、一つ小説を書かせていただきたいと思いますが、いかがでしょうか」
それは自由ですから、小説家は想像を天基に生きているんですから。
「ご自由に。ただ本名を使われると、そいつはいかんな」
「いえ、いろいろ考えましたが、『鞍馬天狗』という名前にしようと思います。ただ、先生の人間的な性格を根底にしてどんなものが書けますか、一つ書いてみようと・・・」
「それは面白い。書いてごらん」と言ったのが動機で、最初にできたのが「御用盗異聞」ていうんだ。
無声映画だったが、嵐寛寿郎が主役で一世風靡したね。

ま~解説はこれくらいとして、はじまましょうか!
「新 鞍馬天狗心得の条」のはじまりはじまりだ。
諸君「明朗快闊」はそのままだ。
「明朗」明るく朗らかであること。
「快闊」は心の広いさま。
グチグチ、キナキナ、ネチネチしない、さっぱりとして物事を気にしないことだ。
「仁と義」。
「仁」とは、己に克ち、他に対するいたわりのある心。
克己心と慈愛だ。
仁愛ともいっているがね。
「義」は、人のおこないが道徳、倫理にかなっていること。
はやい話が、本来の人の道にかなっていることの意味だが、ここでもそっと深い!最も根本となる、一番大切なことの意味だ。
それを「第一義」という。
仏教の方では、絶対の真理と解釈されている。
「篤く」は、真心がこもっている。
「心が深い」という意味のことですぞ。
「明朗快活にして仁と義に篤く」とは、「明るく朗らかで、グチグチ、キナキナ、ネチネチ
しない、さっぱりとして物事にとらわれることなく、懐が広く、深く、長く、強くの己自身を目指す!」
「突然の事態にさいしても驚愕することなく」、これはこのままだね。
想定外の出来事事件などに際しても、非常に驚いて、精神のパニックをおこさないことだ。
「虚心平気としてこれを愛念で受け」
諸君、「虚心平気」は、私の真骨頂であるので、私流のうんちくを代弁したい。
長くなったのでこの続きは明日にもちこしとしたい。
では、
今日一日、真我とともにあらんことを・・・


天意天風 

2009年11月5日木曜日

思考の堂々巡り、心の迷宮入り!! パート2

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「思考の堂々巡り、心の迷宮入り!! パート2」だ。

諸君!今日はね、諸君のために特にということで、特別ゲストをよんでおります。
本名は明かせないということですがね!!
通称「鞍馬天狗」さんだ。
声も出したくない、バレたら都合が悪いというので私が代弁しよう。



= 現代の 新 鞍馬天狗 心得の条 =

明朗快闊にして仁と義に篤く
突然の事態にさいしても驚愕することなく
虚心平気としてこれを愛念で受け
礼をつくして 意思の疎通をはかることを怠りなく努める。
日々の仕事や生活の場は自己を陶冶する絶好の機会であり、行修訓練の場であるとして、凛として粛粛としてこれを慣らう



以上、明日は、この文の内容についてお話ししよう。
今日一日、真我とともにあらんことを・・・



天意天風

2009年11月4日水曜日

思考の堂々巡り、心の迷宮入り!! パート1

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「思考の堂々巡り、心の迷宮入り!! パート1」だ。

今日は ある! ある! いる! いる! 男性サラリーマンの心の声を聞いてみよう。

天風先生の生前の本を読んでいます。
なるほどなぁ~と思うのですが、なかなか積極的になれといわれても、この不景気な御時世じゃなぁ~。
どうにも頑張りようがないよな~。
頑張っているんだが、なかなか成果がでない、どうしたらいいですか?
なんとかなる!どうにかなる!と思っていても対相手や人間関係があると積極的に出て行けない!!
ましてや利害得失が絡むと意見が一致せず、話し合い、議論をかわしても、同じことの繰り返しだけで、少しも先へ前へ向いて進まないことが、腹立たしく、それがおうおうにしてある。
人間であるが故、個人的には、価値観の違いはあるに決まっている。
互いの立場を、認めあおうと思うが、組織となるとそうもいかない。
互いに、意見と意見、異論と異論、はなから話し合いのポイントがずれている。
互いにこすれあい、人間摩擦がおこり、エネルギーの消耗と葛藤!!
イライラも頂点に!!
リストラ、リストラ、リスとトラ、これではケンカにならない。
最終的には、上位者業務命令で決定しておちつく、いつものお決まりのパターン。
具体的な数値目標だけ言い渡される。
いっそ、思い切って辞めてやろうかと思うが、ご存知のこの御時世、仕事があるだけでまし!!
妻子がある、生活がある!!
偽らざる現実だ。
やらなきゃならない!!
俺は天風哲学の信奉者だ。
しかし、さらに追い打ちをかける。
自己主張ばかりで仕事ができない部下にも悩まされる。
会議は長々と上役の説教ばかりで生産性がない堂々巡りだ。

どうしようかなぁ~。
何がどうしようか?
今の会社辞めて、別の仕事しようか。
また、頭の中をよぎる。
だが、辞めても、具体的なこれといった、したいことが見当たらない。
でも、俺の人生、これでいいのか?
このままでいいのか?
何故か、心はすごく行き詰っている。
頭が痛い、胸が苦しい、心筋梗塞かも?
誰か、誰か、正しい答えを教えてくれ~。

いよいよ、鞍馬天狗登場か?
こう、ご期待!!
この続きは明日。
今日一日、真我とともにあらんことを・・・

天意天風 

2009年11月3日火曜日

御恩の心パート3

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「御恩の心パート3」です

このテーマはパート3でシメさせて頂きます。
「御恩の心パート1」の冒頭で、相手を敬って、その人の受けた恩をいうのが一般的な意味なんですと述べました。
諸君も「この人に出合わなければ、今の俺は、私はないわ」と心から感謝できる恩人はいらっしゃいますかい?
一人でもそう感じる方がいる!ということは幸せなことですね。
人間は勝手が強いですから、すぐ自分の都合ばかりで、忘れてしまいがちですよ。
恩師、恩人と思える方が大勢いると素直に感じられたら、諸君はまちがいなく幸せな人です。
恩の心がしみじみ感じられるということは、諸君は「人生に情味」を感じる心を持っているということなんですよ。
「人生の情味」とは、思いやり、やさしさなど、人の心のあたたかみを感じる心、味わえる心です。

そういえば、小学校の低学年の頃に、両親が共働きで忙しかったこともあって、となりに住んでいた、おじさんとおばさんに面倒見てもらったな。
何かあるととなりにかけこんでいた。
そういえば、タバコ屋のおばさん、子供の頃の自分をよくおぼえていて、「大きくなったねえ・・・、大きくなったねえ・・・」て、言ってくれた。
でも、もう会えなくなっちゃった。

そういえばの、ちょっとしたことを感じる情味って、振り返ってみても、心があったかくなるよな。
それが、人間の証だ。
本心良心から来るところの人間としての情味であり、人間やらなきゃわからない醍醐味なんだ。
まっとうな人間の心だね!
誰しも本来もっている心なんですよ。
あらためて、もとめなくてもね!
御恩の心は、忘れられない感謝の心から発しているから、その当時のその場面がありありと思い出されて感慨とともによみがえってくるもんです。
すごく感動し感激したことは、忘れられないでしょうよ。
不思議なことです。
あの世とやらへ帰ってからも、すべて忘れてしまうと思いきや、本当に大切な真心はいつまでも残っていて変わらないんですよ。
本当にいつまでも変わらない人の心があるんですよ。
今どきの、卒業式は、「あおげば尊し」は合唱しなくなっているとか?
先生も友達感覚になってきているのかな?
ま~時代の流れですから、曲目は変わるでしょう。
時代はうつり変われど、人の心の誠は変わりません。
御恩の心は、人間の本心良心からくる情味の心なんです。
今日一日、真我とともにあらんことを・・・

天意天風

2009年11月2日月曜日

御恩の心パート2

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「御恩の心パート2」です。

アミューズメントパーク入場者来場者数連続記録世界一を続けているのは他でもない我が国にある東京ディズニーランドだね。
もとい東京ディズニーリゾートですな。
そこには、ディズニーランドとディズニーシー、リゾートホテル群がある一大リゾートテーマパークだね。
これって常識かい?
ディズニーランドの中でオープン時からあるのが、ディズニー映画でおなじみの「ピノキオ」のアトラクションですね。
この物語は、説明をしなくとも、諸君は知っていると思うがどうだい?
は~い、知っている人は手をあげておくれ!
お~ぉ、ずいぶんといるね~。
そうかい、では、ディズニーリゾートに一度でも行ったことある人手をあげておくれ。
これまたずいぶんといるねえ。
30回以上は行ったことある人手をあげておくれ。
これもまたずいぶんといるね~。
もう、ディズニーマニアだね。
ならば、ピノキオのアトラクションは、諸君は一度は行かれたことありますよね。
なければ、一度体験して下さいな。
言っとくが、私、ウォルトディズニーカンパニーやオリエンタルランドカンパニーからの回し者ではありませんので・・・
諸君の好きにして下さいよ。
では、もう一つお聞きしますが、よろしいですかね?
ディズニーリゾートへ何度も行く理由は、来たくなる訳って何だい?
ズバリでお願いしますよ。
え~なに、なに
聞こえないぞ
もっと大きな声で、はっきり言ってくれないかい!
「楽しいから。」
「楽しいに決まっているじゃん。」
「ぬいぐるみが、かわいいから。」
「ミッキーやミニーに会えるから!」
「素敵な仲間がいっぱいで、いつでもゲストとして迎えてくれるから!」
「素敵な仲間に会えると、とってもうれしい!ハッピーになれる!」
「パークがとってもきれい。笑顔の人が多くって、怒っている人を見かけない。」etc.
そうかい、そうかい、この世の天国か極楽みたいなところってとこかな?
諸君、ところで、ピノキオは人間かい?
最初は、人間の男の子が欲しいおじいさんに作られた木製の操り人形だね。
とても好奇心旺盛な、いたずら好きな木の人形で、うそをつくと鼻が伸びちまう。
冒険を重ねた末に最後は、念願叶って、本当の人間子供に生まれ変わるんだったね。
「人間の子供になりたいよ~!」がピノキオにとっては、願望!
人間の子供は憧れなんだろう。
ピノキオが人間に生まれ変わったときの、おじいさんの喜ぶ姿が目に心にうかばないかい。
これって人間やらなきゃわからない、尊い、感謝の心、御恩の心なんですぜ。
諸君は、みんな、生まれたときは、たしか人間の赤ちゃんじゃなかったかい?
「えーおれ、犬だった。」
「私、猫だったわ。」
そういう人いたら手をあげてくれ!
「生まれた時のことは、覚えてないから、私知らない?」
まー、そういう人もいるでしょうよ。
好きにしてくれ!
はじめは、まちがいなく、人間の子供として生まれて来たんだ!
いつのころからか、物心ついて、人間やってるの忘れちゃって、人間らしくなりたくなっちゃったんだな。
ちなみに、人間らしくの心の外側って何か知ってるかい?
①「人間になりたい!」
②「人間らしくなりたい!」
③「人間擬(もど)きで何にも感じない!」
その外側だよ。
それはね、人間じゃないから「人でなし」て言うんですよ。
今回はこのへんで、続きは明日・・・では。
今日一日、真我とともにあらんことを・・・

天意天風

2009年11月1日日曜日

御恩の心パート1

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「御恩の心パート1」です。

「御恩」とは一般的には、相手を敬って、その人から受けた恩をいう。
ここでは、人間として生まれて人間として只今を生きているかろこそ感じる恩の心のことです。
真っ当な人間の心で人間やっているからわかる、感じる恩の心であります。
人間の心じゃなきゃね、到底自覚することが出来ない心です。
はやい話が、人間擬(もど)きの心じゃ、本当のことは理解できないって言っているんです。
いくら頭脳明晰でも理屈をこねまわしていたんじゃ、わからないんです。
誰でも人間の心でいりゃ、すぐわかる。
「本当にそうだ、俺も人間なんだ!」てね。
そうさねぇ~!
「雁擬き(がんもどき)」は雁じゃないね!
「人間らしく」は人間じゃないよな?
「らしく」だから人間になっちゃいねえ・・・
多くの人が、人間らしく生きたいって願ったり、望んだりしているんだろう。
そうだろうよ。
いいかい、「らしく」じゃ人間になってないんだぜ。
当然のこと人間擬(もど)きの状態だね。
「あの人、人間らしくないよね~。」
「人間らしく生活したいよね~。」
諸君、こんなこと思ったり、考えたり、話したりしていないかい?
こんなこと思ったり、考えたりしていては、いつまでたっても人間には、なれません。
人間擬(もど)きのままですよ。
せっかく、人間として生まれてきたのに、今さら人間らしくなりたいてのは、いかがなものでしょうかねえ?
人間創造された神さんが、
「おいおい!ちょっと!ちょっと!ちょっと! 人間創造しても人間擬(もど)きは創造してないぞよ!」
ま~これは冗談です。
神様に口はないので、こんなことは言いやしませんが、人間擬(もど)きばかり増えちまっては、これは、人間社会がおかしくなりますね。
本来の人間の心じゃない、人間擬(もど)きの社会。
想像できますかい?
もう少しわかりよく話そうかねえ…
諸君は
「私は私らしく生きたい!」
「私は私らしい仕事がしたい!」
「私は私らしい恋愛がしたい!」
「私は私らしい結婚がしたい!」
昔今、こんなこと思ったり考えたりしたことないかい?
「私らしい」のは、私じゃないね。
「らしい」はいりません。
とりましょう。
そこんとこは、わかるよな。
ズバリ!
私は人間です。

この続きは明日また・・・
今日一日、真我とともにあらんことを・・・

天意天風

2009年10月31日土曜日

生命の生存パート3

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「生命の生存パート3」だ。

愛しき者よ!
そもどんな経緯、事情、理由であれ自分の命は自分のものじゃないんだよ。
自分の心も、自分の体も自分じゃないんだ。
自分の心や体が自分だとおもいこんだ錯覚が愚かな行為をおこしたんだ。
とりかえしのつかないミステークは、真理への無知が原因である。
え~、学校で一度も習わなかったてかぁ~。
学校で教えるようになれば、少しはいじめという陰惨なことで命を絶つことを、おもいとどめることが出来るかもしれないがね・・・
しかし、学校にら限らずそれは家庭で、社会で、科学や数学のディフィニーション(定義)を教えるように、当り前になるといいのだがねぇ・・・
天風さんよ、何が言いたいかってかい?
それはな・・・
人間や世間は、「かわいそうねぇ~」「気の毒ねぇ~」て言って同情を買ってくれるかもしれませんがねぇ・・・
しかし、真理は人間のいかなる事情も理由も言い訳も相手にしません。
よろしいか、いかなる同情も考慮も恩赦も与えないんです。
人間の前に真理があり、真理は峻厳侵すべからざる絶対なものだからだ。
それが生命の法則なんです。
真理はつめたいってかぁ~。
ああそうだね。
ところがだ・・・
人間も自然物ですよ。
真理に合わせるのが、自然法則なんです。
自身の心を真理に合わせるんです。
愛しき者へ!
落胆も、失望も、苦痛も、悲痛もあらゆる残念の感情も、「人間は本来いかなるものか?」「我とはいかなるものか?」の本質を知らずに生きたことへの気づきでもあるんだぞ。
死んだら楽になる!
この嫌な現実から逃避したい!
この苦痛から離れたい!
この境涯から解放されたい!等々・・・

どうだい、肉体を放れた方々よ!
そうはならなかっただろうよ。
そうではなかった。
それすらも考えられないかい?
人間にとり憑くことで楽になるてか!
人間にとり憑いたって、結果はますます苦しくなるぜ。
よくよく聞きなさいよ。
以前は人間をやってたんだろう。
「人間として生まれさせて頂きましてありがとうございます。」
これ何度も何度もお題目か、お念仏がわりに唱えながら、心の底から人間として生まれたことに感謝してごらんなさい! いいね!

賢明なる諸君らは、彫刻刀でもってこの言葉を心に刻んで、肝に銘じて下さいな。
この社会的大問題は、政治だけで解決する問題ではないですな。
当り前と言えば、当然です。
政治は社会の健全化につとめ、社会的弱者を擁護する責任はありますよ。
政治に限らず、人間社会全体の責務であり、役割でもあります。
但し、真理の上から見たならば、生きようとする力は自分の命の中にすでに備わっている。
自分が何があっても、強く、強く、強く生きようと決心しなければ、天は力を与えないんだ。
天は自ら助くる者を助くるんです。
この自ら助くる者とは、自我の心が強く生きようと決心すると、霊魂から、生かそうとする意志する力が発露するよと言っているんですぞ。
「人の心のうくる幸いは、意志する心に華が咲き、信念の心に実を結ぶ。」
よくよく人間として生まれて来た尊さをお考えなさいよ。
ではまた。
今日一日、真我とともにあらんことを・・・

天意天風