2010年2月20日土曜日

論語と算盤と天風哲学と電卓~論語創作ものがたり パート28

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく)~論語創作ものがたり パート28」だ。

諸君、いよいよ神北君の入門審査会のはじまりはじまり。
子路の思惑通りにことがはこぶのかな?

子曰く、「顔回(がんかい)、子貢(しこう)、こちらが子路(しろ)紹介の神北(かんぺき)殿だ!」 

「顔回殿、子貢殿、お二人のお噂はかねがねうかがっております。 姓は京(きん)、名(な)は田(でん)、字は神北であります。 お会いできて光栄であります。」

顔回曰く、「先生よりご紹介にあずかった、顔回こと顔淵(がんえん)です。 字(あざな)は子淵(しえん)です。 子路先輩、先生のお引き合わせです。 こちらこそお会いできて光栄です。」

子貢曰く、「神北殿、お会いできてうれしく存ずる。 私は、姓は端木、名は賜(し)、子貢は字(あざな)だ。 顔回君と私が、貴殿の入門を決め、選択を先生から委ねられることは、先ほど知らされたことだが、それを抜きにして歓談したい! 神北殿、遠慮はいりませんぞ。  せっかくの話が遠回りになります。 貴殿のご意見を伺いたく存じ上げる。 回先輩はいかがですかな?」

顔回答えて曰く、「あなたの内の良心本心に省(かえり)みられて、入門の動機が疾(やま)しくなければ、神北殿の意志を尊重したいと思います。 神北殿、先生と子路先輩の好意とご配慮で貴殿にお会いできることになりました。 私が、先生に『〈仁〉とは何か?』についてお尋ねしたことがあるんです。 この〈仁〉を自らのものとして会得すれば、あとの徳目の〈礼〉も〈義〉も〈信〉も〈智〉もおのずと関連してつながっているものゆえ、いずれ自然に身に備わっていくとことなると先生より薫陶(くんとう)を受けております。 先生は『〈仁〉とは、自分にうち克って礼の本質を自覚し、その本質に合致した行動を自ずとするのが〈仁〉なのだ。 それができれば、人間世界は〈仁〉に同化する。 したがって、〈仁〉はひとりひとりの霊性意識よりくるところの、意志の発露の問題であって、個人の人生観によるところであるから、人に強制すべきものではない!』と教えられているからです。」

神北曰く、「顔回殿、至らぬわたくしですが、精一杯努力いたします。」

諸君、孔子先生の意図は、顔回、子貢を後継者として育てようと考えておられての配慮だったんだね。
この物語の続きは明日また・・・。
今日一日、真我とともにあらんことを

天意天風

2010年2月19日金曜日

論語と算盤と天風哲学と電卓~論語創作ものがたり パート27

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく)~論語創作ものがたり パート27」だ。

諸君、孔子先生は。論語の中で、顔回(がんかい)と子貢(しこう)について二人の人格および価値観の相異を述べているんだよ!
知っている人は知っているね!

「子曰く、回(かい)やそれ庶(ちか)きか。 しぼしぼ空し。 賜(し)は命を受けずして貸殖(かしょく)す。 億(おもんばか)れば、しばしば中(あた)る。」
〈回(顔回)の人格はほぼ完全に近い。 赤貧(せきひん)の中で天命を楽しんでいる。 賜(し―子貢)は天命に甘んじないで、金もうけに浮身をやつしているが、それでも遠い見通しをあやまるような人物ではない。〉と述べているのだ。

ま、ここらへんの解釈は、渋沢栄一氏の「論語と算盤」を是非お読み下さいな!

「では、失礼して入らせていただきます。 先生、おはようございます。 先生にあられては、本日はご機嫌うるわしく存じます。」

「子貢よ、昨日も共にしたばかりだ、いちいち杓子定規なことはいい。 顔回にも来てもらった、 子路(しろ)の紹介の門人希望の神北(かんぺき)殿に会ってもらおうと思ってな! 回と子貢の二人の合意で神北殿の入門を許そうと思っているのだが、まず、せっかくの機会だから、私と子路と回と子貢、神北殿と茶でも飲んで語り合いたいが、子貢はかまわぬか?」

「はい、もちろんでございます。」

「回もいいな!」

「はい、先生、おおせの通りにいたします。」

「ちょっとちょっと先生、何で回と子貢が俺の連れてきた入門希望者の審査員なんですか? いつもの先生なら、『来る者は拒まず、去る者は追わず』じゃなかったんですか?」

「おいおい、由(ゆう―子路)よ、そんな目くじら立てるな。 目からしおがふいておるぞ!!」

「え~、俺の目にクジラがいるんですかい? それもしおをふいているんですか?」

「由よ、たとえ言葉だよ!」

「先生は由をからかっているのですか?」

「ま~、そうむきになって怒るな! 子路の紹介で集まっているんだからな。 みんな、楽にしてくれたまえ。」

諸君、今回の入門審査については孔子先生、何か訳がありそうだね。
この物語の続きは明日また・・・。
今日一日、真我とともにあらんことを


天意天風

2010年2月18日木曜日

論語と算盤と天風哲学と電卓~論語創作ものがたり パート26

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく)~論語創作ものがたり パート26」だ。

諸君、いよいよ顔回(がんかい)の登場だね。
論語の中で、孔子先生は顔回についてこんな人物評価をしている。

「子曰く、回(かい)や、われを助くる者にあらず。 わが言において説(よろこ)ばざるところなし。」
〈顔回という男ときたら、もう少し質問でもしてくれたら、私も助かるのだが・・・。 私の言うことに感心ばかりしている。〉

この言葉からも推察するに、顔回は非常に理解力、つまり飲み込みが早かったのであろう。
『つうと言えばかあ』ですかな!
しかし、先生としては会話のキャッチボールをしたかったんだろうね。
顔回はどちらかといったら、寡黙な人であっただろうよ!

「先生、おはようございます。」

「おう、回よ! おはよう! 昨日は、私の友人の病気見舞いに子貢ともども付き添ってくれてありがとうよ。 病人の介添えまでしてもらったね。 まことにご苦労であったな。 礼を言うよ。」

「はい、先生のご友人が病でありますから、少しなりともお役に立ててよかったです。」

「ま~、こちらに来なさい。 回よ、突然であるが、子路(しろ)の紹介で訪ねてこられた、入門希望の神北(かんぺき)殿を引き合わせようと思ってな! 子貢(しこう)も呼んである。 間もなく来るであろうから、楽にして待っていてくれたまえ!」

回曰く、「はい、わかりました。」

顔回曰く、「子路先輩、ご無沙汰しております。 このところお目にかかっていませんでしたが、先輩もお変わりなくお元気でありましょうや?」

子路「ああ、ありがとよ。 変わりねえぜ。 頭の脳みそ以外は、元来が丈夫でね。 すこぶる元気だぜ!」

「いつもの先輩でお変わりなく安心しました!」

トントントン(ノックの音ですよ!)

「子貢であります。 先生、お呼びでありましょうか?」

「おお、子貢よ、待ちかねた。 さあ入ってきなさい!」

諸君、これで今回の登場人物が全員揃ったわけだね。
この物語の続きは明日また・・・。
今日一日、真我とともにあらんことを

天意天風

2010年2月17日水曜日

論語と算盤と天風哲学と電卓~論語創作ものがたり パート25

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく)~論語創作ものがたり パート25」だ。

諸君、孔子先生は名は丘(きゅう)、字(あざな)は仲尼(ちゅうじ)、諡(おくりな)は文宣王。
魯(ろ)の国の山東省曲阜県昌平郷陬邑(さんとうしょうきょくふけんしょうへいごうすうゆう)という町で生まれた。
紀元前552年とされる。
シャカムニ(釈尊)とほぼ同時期で、ギリシャの大哲学者ソクラテスより80数年早い。
魯国は中国周代諸侯国の一つ。紀元前十一世紀に周の武王が弟の周公旦(しゅうこうたん)に与えた領地で、都は山東省の曲阜。
孔子の生まれた春秋時代から国勢は振るわなかったが周の文化を最もよく伝えられるとされる。

子曰く、「そうか、ではよかった。 神北(かんぺき)殿、失礼なことを言うようだが、そのいでたちは宮中の正式なものではないか? 貴殿は着付けも礼法にかない心得ておられ、堂に入っておられる。 神北殿、貴殿の所作もまた作法にかなっておられる。 それなりの出の方と御見受けするが? 失礼なことをお聞きするが、貴殿はどこのどなたかな? 物言いからして子路(しろ)とはそぐわぬようにみえるが・・・ 由(ゆう―子路)とはどこでお知り合いになられたのかな?」
 
神北曰く、「はい、実は、昨日夕方より居酒屋『ざ・論民』で、はじ・・・」
 
子路、間髪入れず二人の会話の中に言葉をはさむ。

言葉をはさんで子路曰く、「ああ、先生、そんなどうでもいい話はよしましょうよ。 こいつ、先生の門人として学びたい一心でここにまいったんですから。 先生、それとこいつ気が利くんですよ。 先生の生まれ故郷の山東省の地ビールを手土産に持って来たんですよ。」

「そうか、私の好きな地ビールとな、そりゃすまんな。」
 
「はい。 青島(チンタオ)ビール、のど越しすっきり〈生〉、期間限定のプレミアムで新発売のものだそうですよ。」

「おお、それはそれはありがとうよ。 キリン、アサヒ、サッポロ、サントリー各ビール会社の関連競争も命がけのしのぎを削っていると巷の噂で耳にしておりますがね! 政治を中心にどの産業も大変な乱世の時代になりましたな! ハハハハハ!」

トントン! トントン! トントン!(これノックの音ですよ。)

「顔回(がんかい)であります。 先生、お呼びでしょうか?」

「おお、回か、待っていたぞ。 さあ、入ってきなさい。」

「はい、では。」

いよいよ、待ちに待った孔門第一と呼び声高い、顔回初登場であります。

この物語の続きは明日また・・・。
今日一日、真我とともにあらんことを


天意天風

2010年2月16日火曜日

論語と算盤と天風哲学と電卓~論語創作ものがたり パート24

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく)~論語創作ものがたり パート24」だ。

諸君、はた目から見ると「何やってんだこいつ」なんて言って人のことは、ことさら分かったように見えるね。
しかし、自分のこととなるとなかなか気がつかないものですな!
諸君はどうですかな?

神北(かんぺき)曰く、「願ってもないことです。 孔門第一、第二の高弟と言われて呼び声の高い顔回(がんかい)様と子貢(しこう)様と是非お会いし、お話をお聞きし、教えを請いたいと意念しておりました。」

子路(しろ)曰く、「なにぃ~! おい、神北! 孔子先生の一番弟子は自慢じゃないが紛れもないこの俺様だ! 間違えるな! よく覚えておけ! いいな!」

子曰く、「待て待て子路よ。 徳の何であるかをわきまえた人間はいないものだな!(『子曰く、由(ゆうー子路)よ、徳を知るものは鮮(すく)なし。』) これ、誰のことかわかるな、由よ!」

「はぁ~、それは顔回と子貢のことですね! あいつら自分勝手ですからね!」

子曰く、「子路よ、ともに語りあうべき人物に出会いながら語りあわぬのは、良友を失うことである。 ともに語るに足りぬ人物とばかり語りあうのは、ことばの浪費である。 知者は良友を失うこともなく、ことばの浪費もしない! 子路が出会いの縁(えにし)をつくってくれたのだ。 良友あい交わるせっかくの機会だ!! 子路よ、良友はもって須(すべか)らく鑑(かがみ)となすべしだ!」

子路こたえて曰く、「実は、私も神北を回と子貢に会わせたかったんですよ。」

子曰く、「そうか、では両人ともよかったな。」

子路の心の中のひとりごと「ちぇっ、うざってぇ野郎が来るなぁ。 何も回や子貢に話なんかねえよ・・・! 先生、何考えて呼んだんだよ。」 

「子路、何か言ったかい?」

「いえいえ、何も言ってません。」

子路のよからぬ企みをうすうす感じている孔子先生でありました。

この物語の続きは明日また・・・。
今日一日、真我とともにあらんことを


天意天風

2010年2月15日月曜日

論語と算盤と天風哲学と電卓~論語創作ものがたり パート23

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく)~論語創作ものがたり パート23」だ。

諸君、孔子先生は両眼の眼(まなこ)と眉間の第三の眼の三点を合わせることによって相手の真意と人物を見極めたんだろうね。
これって、読心術のひとつなんだよね。

孔子先生曰く、「まぁ~、神北(かんぺき)殿、こちらに来て腰をかけて楽にしてくれたまえ。 子路(しろ)、お前も来なさい。 先日、来賓より極上の烏龍茶をいただいたから、一緒に喫茶を楽しみませんかな?」

子路曰く、「いいですねぇ~、先生。 では、子路が早速お茶の用意をしますよ。」

「いやいやその必要はない。 神北殿が来られるということで下男に申しつけて、すぐにでも茶がたてられるように用意していたんだよ。」

「先生、そうですか。 今日はずいぶんとサービスがいいじゃないですか。 先生が自ら茶をたててくれるんですか?」

「もちろんだよ。」

「子路よ、君の紹介で当方までわざわざお越しになられたんだぞ。 私も先生という立場はあっても礼に対しては礼をもって迎えるものだよ。 それに孔門の弟子、子路に恥をかかせたくないからな。 神北殿、これでも私はお茶をたてるのが上手いんだよ。 子路にも先だて茶をたてたことがあったな。 その時は、子路はやたら喉が渇いていたとみえて、せっかくのお茶をがぶ飲みしたんだね。 それはそれで構わぬが、今日は、神北殿もいらっしゃることだ、せっかくの極上のお茶、ゆっくり風味香りを味わって喫茶を楽しんでくれたまえ。」

子路曰く、「先生、あと茶碗が2つ余分に用意してありますが・・・ これは何故に?」

子曰く、「ああ、この2つはな、顔回(がんかい)と子貢(しこう)を呼んであるんだ。 まもなく二人ともここへ挨拶に顔を出すであろう。 せっかくの機会、この五人で茶会をすることにしたんだ。」

子路曰く、「え~、聞いてませんよ。 顔回と子貢の野郎がくるんですか?」  

子曰く、「子路よ、彼らが来たら都合が悪いのかね?」

子路曰く、「いえいえ、めっそうもございません。 ええ、二人とも私の可愛い弟弟子ですよ。」

実のところ、二心(ふたごころ)のある子路でありました。

この物語の続きは明日また・・・。
今日一日、真我とともにあらんことを


天意天風

2010年2月14日日曜日

論語と算盤と天風哲学と電卓~論語創作ものがたり パート22

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく)~論語創作ものがたり パート22」だ。

諸君、神北(かんぺき)いよいよ孔子先生との対面であります。
孔子先生、奥の間でこちらを見ながら座っておられた。

子路(しろ)曰く、「先生おはようございます。 本日は無理を言って時間を作っていただき誠にありがとうございます。 弟子入り希望の神北を連れてまいりました。」

先生曰く、「こちらに来なさい。」

「先生、こいつが神北です。」

先生ゆっくり立ち上がられ、神北の正面に向かった。
それから、孔子先生は、神北の両眼(まなこ)と額の真中にあたる第三の目と言われる三点に自身の視線がぴったり合うように真向かわれた。 
両者、両手を組んでしばらく互いの眼(まなこ)を見つめあった。 
そして互いに深々と三度の御辞儀をした。

子曰く、「よく来られましたな。」

神北曰く、「はい、子路大せんせ…いぱいが口を利いてくれたおかげであります。 ご挨拶が遅れました。 私は、姓は京(きん)、名は田(でん)、字は神北と申します。 昨日よりお会いできることを楽しみにしておりました。 先生に謁見できましたこと、終生の光栄に思います。 以後お見知りおきくださいますようお願い申し上げます。」

「いやいや、今朝子路の申し出が突然だったので、後日、日を改めようと思ったが、どうやら子路にも事情があるとのこと。 無碍に断ることが出来なかったのだよ。 子路が是非に会ってくれという、珍しく本人直接の紹介であったから、どんな者を連れてくるのかと興味もわいたんだね。 まぁ~、子路は何をたくらんでいるのかわからんが、『人物を確かめて門人にすることにしよう』と子路には伝えてある。 神北殿、貴殿もそのこと心得て下されな。」

「はい。」

諸君、さて、何故孔子先生は、神北に真向かい、神北の両眼(まなこ)と第三の目と言われる三点に視線を合わせたのであろうか?
何か意図があるんだろうね。

この物語の続きは明日また・・・。
今日一日、真我とともにあらんことを

天意天風

2010年2月13日土曜日

論語と算盤と天風哲学と電卓~論語創作ものがたり パート21

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく)~論語創作ものがたり パート21」だ。

諸君、子路(しろ)という人物は、孔子一門の中で上位の年長者といわれているんですがね、そんな子路でありますが、孔子先生曰く、「やぶれた縕袍(うんぼう)を衣(き)て、狐貉(こかく)を衣(き)たる者と立ちて、恥じざる者は、それは由(ゆ)なるか。」と論語子罕(しかん)編にあるんだよ。
その解釈は、「由(子路)はどんな身なりでも、ボロをまとっていても、豪華な毛皮を着た人のそばに並ぶ。 それでいてちょっとも引け目を感じず堂々としてふるまっていられる者といえば、まず由だろうね。」つまり、着るものは頓着していなかったんだろうがね。
子路のポリシーとしては、「着ているものだけでは、真の俺の価値は判断出来るものではない。」と信念していたんだろうね!
つまり「ボロは着てても心は錦」だったんだね。
そんな子路でありますから、神北(かんぺき)のいでたちを見て、ただ単に姿形(すがたかたち)だけの体裁を整えることは、真の君子たりではないと考えていたようだ。

神北曰く、「そりゃないですよ、子路先輩のために衣装借りに走って、それから美容院に行って髪をセットして忙しかったんですからね! ひどいですよ!」

「わかったよ! すねるなよ! すぐ孔子先生に会うんだから機嫌(きげん)直せよ。 もうすぐ謁見の間だ! 神北、ちょっとそこで待っていろ! そうだ、お前手土産持って来たんだろうな。」

「はい、子路先輩の紹介状と干し肉と青島(チンタオ)ビールを手土産として持ってまいりました。」

「おまえ、粋なことするじゃねえか。 そういえば昨日の居酒屋「ざ・論民」でも青島ビール置いていたよな。」

「はい、そうなんですよ。 そこから孔子先生のお土産に持ってきたんです。 やはり、ジャーキーにはビールが合いますよね。」

「おまえ、請求書の中にあった『お土産代』はこのことか?」

「はい、そうなんです。 子路先輩に頼まれましたから、支払いは子路先輩に付けておきました。」

「なにぃ? 貴様、そんなことまでしていたのか? でも、孔子先生の故郷、山東省の青島ビールは、先生の大好物なんだよな。」

トントン! トントン!(これノックの音ですよ!) 

「先生、子路です。 入門希望者を連れてまいりました。」

「おお、そうか。 お入りなさい待ちかねたぞ!」

「はい、入ります。」

この物語の続きは明日また・・・。
今日一日、真我とともにあらんことを

天意天風

2010年2月12日金曜日

論語と算盤と天風哲学と電卓~論語創作ものがたり パート20

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく)~論語創作ものがたり パート20」だ。

諸君、神北(かんぺき)の礼法にかなう作法は、一朝一夕には身につくものではないですよね。
彼は、身分の高いそれなりに教養を身に付けた方と推測できますよね。
しかし、まったくその様子に気づかない子路(しろ)先輩であります。

「子路大先輩、先輩との約束を果しましたよ。 ご門内に入ってよろしいですか?」

「おいおい、口上と御辞儀がえらくなげえなぁ~! 待ちくたびれちまったぜ! 早く入んな! 先生も首を長くして待っておられるからな!」

「先輩、では、入らせて頂きます!」

「神北よ、お前なんか勘違いしてんじゃないかい?」

「えー、何をですか?」

「うちの先生は、レッドクリフの諸葛亮(しょかつりょう)じゃないんだぜ! おまえ、ひょっとして蜀(しょく)の劉備玄徳(りゅうびげんとく)の三顧の礼をパクッて真似ているんじゃないかい!」

「そんなことしてませんよ! でも先輩、レッドクリフは私たちの後々の時代ですよ。 子路先輩、お言葉を返すようですが天風先生は『良いことは真似なさい』とおっしゃっていますよ。」

「はぁ? 何だ、その天風とやらは?」

「今から2500年の時空を超えた後の未来の私の先生になる方でありますよ。」

「神北、おまえ、頭いかれてるぜ! 神北よ、よく聞けよ! うちの先生は、俺の紹介状があって手土産持って行きさえすれば、よっぽどの悪党か、みょうちくりんの手合いじゃなければ、門人のはしくれにしてくれるんだぜ!」

「そうなんですか、先輩?」

「そうだよ! だいたいな、おまえのやり過ぎ! 嫌味! そういうの『いんぎんぶれい』っていうんだぞ!」

諸君、子路は先ほど孔子先生に「おまえの今日の態度は慇懃無礼(いんぎんぶれい)だぞ。」と言われたばかりだったね。 
本来の意味を知らない子路でありました。
「慇懃無礼」とは、表面の態度は丁寧だが、心の中では相手を軽くみていることを言うんだね。

この物語の続きは明日また・・・。
今日一日、真我とともにあらんことを

天意天風

2010年2月11日木曜日

論語と算盤と天風哲学と電卓~論語創作ものがたり パート19

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく)~論語創作ものがたり パート19」だ。

諸君、神北(かんぺき)登場で、思わぬ展開になってきたね。
「天風さん、この創作物語、子路(しろ)の嫉妬話からいったい何を言いたいのか?」
その要旨がわからなくなっている方もおられるでありましょうが、ゆったり構えて気長に楽しんで読んで下され!
いずれわかるようになりますから。

神北、孔子塾正門にて、三回の礼を拝する。
神北曰く、「姓(せい)は京(きん)、名は田(でん)、字(あざな)は神北。 孔子先生閣下、並びに孔門関係各位に対して、三回の礼を拝したてまつる。」

「おいおい、神北よ、あまりかっこうつけんなよ! ここは、孔子神社じゃないぞ! 孔子先生もお待ちかねだ。 そこいらへんでやめとけ!」

神北、子路の言葉をカンペキに無視をする!
神北、正面を見たまま身じろぎもしない、続けて口上を述べる。
神北曰く、「第一の礼、万物の霊長たる人間として、素直な心になって、宇宙根本主体たる天の意志と天の叡智と天の力に対して、感謝と敬意の誠の礼を捧ぐ。」
神北、門前にて深々と御辞儀をする!

神北曰く、「第二の礼、万物の霊長たる人間として、素直な心になって、人倫の道に順応し同胞に対し尊敬の誠の礼を捧ぐ。」
神北、二度目の御辞儀をする!

神北曰く、「第三の礼、万物の霊長たる人間として、素直な心になって、森羅万象に現われたる万物に対して尊重の誠の礼を捧ぐ。」
神北、三度目の御辞儀をする!

意外にも、神北のとったこの礼のあり方は、ただものではない身分教養のある方に感じますね。

この物語の続きは明日また・・・。
今日一日、真我とともにあらんことを


天意天風

2010年2月10日水曜日

論語と算盤と天風哲学と電卓~論語創作ものがたり パート18

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく)~論語創作ものがたり パート18」だ。

諸君、どんなきっかけの出会いであっても、運命のいたずらであっても、人の縁(えにし)というものは、摩訶不思議なものです!
目に見えない、摩訶不思議な摩訶力が働いているんですな!

孔子塾正門前AM10:00であります。
正門門前に礼装に身をかため、髪の毛はきれいにすかれ結った男が立っていた。
まぎれもないその姿は、子路(しろ)がその到着を待ちに待っていた、昨日、居酒屋「ざ・論民(ろんたみ)」でタダ酒、タダ食いをした神北(かんぺき)であったのだ。
もっと驚いたことに、その頭(かしら)に身分官位を表す冠(かんむり)をいただいていたのだ。

「おいおい、神北、そのなりはいったいぜんたいどういうことだ! おまえ熱でもあるのかよ? 昨日『ざ・論民』で毒気のある珍味ばかりを食らったんじゃねえのか?」

「何をおっしゃっているのですか! 子路大せんせ~いせんぱい! これは、孔子君子大先生に謁見を許された、私こと神北の礼義というものです。」

「ほ~う、おまえいつからそんな真似できるようになったんだ!」

「いつからって、今日からですよ。 これも子路大先生への一飲一飯の恩義にむくいるためですよ!!」

「神北よ、人は見かけによらぬものだなぁ~!」

「何をおっしゃいますか子路先輩。 先輩に恥をかかせたくないからですよ!!」

「そうかいそうかい、うれしいこと言ってくれるじゃねぇか! ま~、入れ、入れ!」

「子路先輩、ちょっと待って下さい!! 先輩との約束を果させて下さいな!」

「ほぉ~、俺との約束? はて、なんだっけな?」

「昨日、『ざ・論民(ろんたみ)』で『明日AM10:00に正門前に立ったら、必ず三回の礼をつくすこと。 いいな!』 そう言ったのは子路様ではありませんか?」

「そうそう、そう言ったのは俺様であった。 わるい、わるい! 忘れていた! ゴメン!」

「先輩、では、さっそくに!」

この物語の続きは明日また・・・。
今日一日、真我とともにあらんことを

天意天風

2010年2月9日火曜日

論語と算盤と天風哲学と電卓~論語創作ものがたり パート17

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく)~論語創作ものがたり パート17」だ。

諸君、孔子先生は、いつもの習慣でAM8:00前に朝食をとられ、身支度をされて、AM8:30前には書院の間に入られる。
午前午後の講義録を見直されるのが日課であった。
書院の間とは、今風に言えば、居間兼書斎のことだね。

「先生、おくつろぎ中失礼します! 子路(しろ)であります。 入ってもよろしいでありますか?」

「おお、子路よ、お入りなさい!」

「先生、おはようございます。 先生におかれましてはご機嫌うるわしく存じ奉ります。」

「子路、どうした? 熱でもあるのか?」

「いいえ、いたって元気であります!」

「子路よ! よいか! 親しき仲にも礼儀ありというが、子路の今の態度は、慇懃無礼(いんぎんぶれい)というものなんだよ。」

「はぁ~、そうでありますか? 失礼いたしました。」

「ま~、それはよいとして、子路よ、私に何か伝えたい用件でもあるのかな?」

「さすがに先生、察しがよろしいですね。」

「お~お、普段の子路に戻ったね。 では、その用向きを言ってごらん!」

「はい、どうしても先生の門人門弟になりたいという者がおりまして、いきなりの今日の今日で申し訳ありませんが、是非先生にお目通りをして、門人の一人に加えて頂きたいとAM10:00にこちらにたずねてまいります。」

「ほう、そうか! それは、突然だな! 何か急ぎの訳でもあるのかな? 」

「いえいえ、そうではないと思いますが。」

「では、今日は会わなくてもよかろう。 こちらにも予定があるというものだ。 後日、日を改めてではまずいのかな?」

「はい、でももうすぐ来ちまいます!」

「そうかい! で、紹介者は誰かね?」

「はい、他でもない私なんです。」

「子路よ、君の紹介であるならば、事前に話が出来たのではないかな?」

「はぁ~、そうなんですが、個人的によんどころない差し迫った事情がありまして。」

「何を申しているのか、よくわからんが、ま~よい、子路の紹介とあっては無碍(むげ)にも出来んからな! 門人にするか、しないかは、人物を確かめてからにいたすが、よいか?」

「けっこうです! けっこうです! 先生が会って下さればそれだけでありがたいことです。」

「どうした? 子路よ。 そんなに喜んで! おまえまたよからぬたくらみでもあるのかい?」

「いえいえ、めっそうもございません。」

「子路よ、AM10:00に謁見の間で会うことにしよう。」

「はい、私が連れてまいります。 では、先生よろしくお願いいたします。(あ~、うまくいったわい、よかった~!)」

この物語の続きは明日また・・・。
今日一日、真我とともにあらんことを

天意天風

2010年2月8日月曜日

論語と算盤と天風哲学と電卓~論語創作ものがたり パート16

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく)~論語創作ものがたり パート16」だ。

諸君、居酒屋「ざ・論民(ろんたみ)」で、つくり笑顔とおべっか言って、自己正当化するための後輩の点数稼ぎの接待に追われた子路(しろ)でありましたが、門人のふりをした思いがけない男の登場で、また、子路の嫉妬劇が、新たな展開をみるんですな。
「ざ・論民(ろんたみ)」で打ち上げを終わって、孔子塾生寮に帰る道々でも、明日が来るのが待ち遠しくて、興奮さめやらない子路でありました。

「孔子先生に、明朝の8:30に先生の今日一日のスケジュールの掌握とご挨拶とご機嫌うかがいに参上して、おりをみて、神北(かんぺき)の入門の話をする。 先生、突然の話で何と言うかなぁ? 強引でも先生に会ってもらわなきゃならないからな。 まぁ~、後は、その場のなりゆきに任せよう! そんなことより、神北の野郎、ちゃんと来るかなぁ? こなきゃ、ただじゃおかねえからな! とにかく明日は明日の風が吹く。 明日はAM5:00起きだ!」


一夜明けて、早朝6:00孔子塾生寮門、通称、勝手口前。
「神北の野郎、約束の定刻になっても来やしねえ! ゆるさね~、逃げ隠れしても必ず見つけて手足の2~3本もへし折ってくれるわ!」

「せんぱ~い! 子路せんぱ~い! おはようごぜえます!」

「うるせえ~、声が大きい、静かにしろい! 寮生に聞こえるだろうが。 遅かったじゃねえか?」

「ええ、ちょっと飲みすぎちまって・・・ どうもあいすみませんです。」

「おまえ、その『せんぱ~い!』とのばすのやめろや! 『のだめカンタービレ』じゃないんだからな!」

「はぁ? 何ですか『のだめ』ってのは?」

「わからなきゃいい! 世間知らずなやつだ。 ほら、昨日話した手土産の干し肉だ。 そこに俺の紹介状が添えてあるから、受け取れ! 必ずそれを持ってAM10:00に正門に来いよ! 絶対に遅れるな。 それと、昨日俺がおまえにつけてやった、おまえの名前覚えているよな?」

「へえ、そりゃもちろん覚えておりますよ。」

「そうかい! じゃ、今言ってみろ!」

「へぇ~い! あっしの名前ですね。 へい! 姓は車、名は寅次郎。 人呼んで、フウテンの寅とはあっしでやす!」

「バカ野郎! そりゃ、『男はつらいよ~寅次郎、片思いの恋・嫉妬編』じゃねぇか!」

「子路大先生! 冗談ですがなぁ~。 へえ、ちゃんとわかっておます。 姓は京(きん)。 名は田(でん)。 字(あざな)は神北(かんぺき)、かんぺきでしょ! 子路大先生!」

「わかったわかった、いいか、孔子先生の前で俺の事、大先生と言うんじゃないぞ、いいな!」

「へぇ~! 合点しょうちのすけですよ!」

「調子に乗るな! 人目につくといかんから、さっさと帰れ! AM10:00正門でな!」

この物語の続きは明日また・・・。
今日一日、真我とともにあらんことを

天意天風

2010年2月7日日曜日

論語と算盤と天風哲学と電卓~論語創作ものがたり パート15

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく)~論語創作ものがたり パート15」だ。

諸君、孔子先生、生前の春秋(しゅんじゅう)時代の礼にかなった習わしとして、入門の時に師に贈る礼物(れいぶつ)、つまり手土産が必要だったんですな。
「なにぶんよろしくお願いします。」というときの挨拶として、手ぶらでは師に失礼ということで手土産を持参したんですね。
その当時の中国では、家臣や弟子になる時に、持っていった干し肉の束の手土産のことを「束脩(そくしゅう)」と言うんですよ。
プチうんちくですぜ!

子路(しろ)大先生、答えて曰く、
「引き受けてくれるか。 ありがとうよ。 じゃあ今から手はずを教えるから良く聞けよ、いいな。」

「何かあるんですか?」

「いいから、だまって聞きな。」

「はい。」

「神北(かんぺき)、おまえは明日から門人だ。 そこで門人になるためには規定の手続きがあるんだ。 その規定の手続きをふんでいれば、たとえおまえだろうと、神田北京ダックだろうと、ドナルドダックだろうと、相手がどんな人間でも先生は入門を拒まないんだ。 その規定の手続きはというと、同門の口添え、つまり、門人の推薦と初めて教えを請うときの手土産のことだ。 最低は、干し肉を束にしたもの1つでいいんだ。 これを手渡すから、明朝、6時に裏門に必ず来いよ。 それからAM10:00に正門の入り口で待っているから必ず、門前で3回お辞儀をして入ってこい、神北君、いいな。」

「へぇ、がってんがってんしょうちのすけ。」

「調子に乗るんじゃないぞ。 必ず手はず通りにしろよ。 明日は孔子先生に引き合わせるからな。 来ねぇとただじゃおかねえからな。 おまえと俺の話は他言無用だからな。 今日はほどほどに楽しんでくれたまえ、神北君!」

この物語の続きは明日また・・・。
今日一日、真我とともにあらんことを


天意天風

2010年2月6日土曜日

論語と算盤と天風哲学と電卓~論語創作ものがたり パート14

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく)~論語創作ものがたり パート14」だ。

諸君、子路(しろ)、顔回(がんかい)、子貢(しこう)の共通点は、本気で君子たる者になろうと真剣に目指していた。
君子とは、学識、人格ともに優れ、徳行の備わった人物を指して言う。
諸君は、そんな君子になんかなれっこないと、はなからあきらめてそう思われるでしょうかな?
孔門の門人は君子を目指しているからこそ、その日常の行いが活き活きとした人間の向上欲求とともに学ぶべき人間の教訓ドラマになっているんだね。

子路、大先生になりきって曰く、
「『君子たるものであるならえこひいきはよろしくないね。 門人に対して示しがつかなくなる。 子貢、おまえの言う通り、回のやつも先生が可愛がることをよいことに先輩を差し置いていい気になっていやがる。』 この際ここらへんで孔子門人を代表して回に百を聞いて一を知るように気づかしてやろうと思ってね。 これも後輩に対する子路大先輩の愛のムチってやつだな。」

「ほぉ~、そうでやんすか。 子路先生となるとさすがに御心労が多いですね。」

「あったぼうよ。 大勢の門人諸君をまとめていかにゃならん立場だからな。 そこでだ、貴様、名前は何といったかな?」 

「えっ? 私のことですか?」

「名前は何というと聞いておる。」

「はぁ~、何でもいいんですが・・・」

「何でもという訳にはいかんから、子路大先生が君に名前をつけてあげよう。 神田の北京ダックで略して『神北(かんぺき)』ってのはどうだい?」
 
「子路先生、『神北』っていい名ですねぇ。」

「そうかい、では、姓は京(きん)、名は田(でん)、字(あざな)は神北(かんぺき)にする。 いいな。 よく覚えておけよ。」

「へぇ、あっしはのみこみが早いほうで。 姓は京、名は田、字は神北。 よござんす。 覚えました。」

「俺も、自慢じゃないが孔門の子路様だ。 後輩門人連中に直接こんな話できないから、神北君、門人連中にまぎれこんでこの話を完璧に流してくれないか。 それとな、門人連中に顔回と口をきいてはいけない、完璧に無視するように必ず伝えるんだぞ。 いいな、神北。 引き受けてくれたら、また「ざ・論民(ろんたみ)」でご馳走するぜ。 お小遣いもあげちゃおうかな?」 

「神北、一飲一飯の恩義、喜んでやらせてもらいます。 子路大先生様。」

この物語の続きは明日また・・・。
今日一日、真我とともにあらんことを

天意天風

2010年2月5日金曜日

論語と算盤と天風哲学と電卓~論語創作ものがたり パート13

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく)~論語創作ものがたり パート13」だ。

諸君、どうやら子路(しろ)は軽率なところもあるが、なかなか政治的な人事のかけひきに優れていたところがあったようだね。

子路、居酒屋「ざ・論民(ろんたみ)」で曰く、
「実はなあ、孔子先生の門人の中でも一番二番を争うえらく頭のいい俺の後輩二人がいるんだがな。 俺様より格下で有名人じゃないがな! おまえも名前ぐらい聞いたことがあるだろう、孔子様の高弟として有名な二人なんだ。」

「へぇ~、そりゃそりゃすごい方々ですねぇ。」

「ま~そうなんだがなぁ。 この一人の子貢(しこう)というのが頭は切れて話もうまいやつだが、女の腐ったような男でな、愚痴が多いやつなんだ。 まあ先輩思いのいいところもあるんだがな。」

「ほぉ~それで?」

「孔子先生がもう一人の俺の後輩の顔回(がんかい)ばかり可愛がるもんだから子貢がひねくれちゃって顔回に嫉妬しているんだよ。 まぁ、男の焼きもちってやつだな。」 

「ほぉ~それで?」

「子貢のやつが、『子路大先輩、折り入ってご相談があるんです。』と訊ねてきたんだよ。 その相談ってのが『先生は顔回先輩ばかり可愛がってこれみよがしに身贔屓するんですよ。 確かに一つ年上の先輩ではありますが、先生の身贔屓は他の門人から見ても露骨すぎると思うんですが、門人にも顔回先輩と同じ境遇の貧乏暮らしの者がいるのに・・・。 回先輩は、三度の食事は盛りきり飯に汁一杯。 住居はっていうと路地裏のあばら家。 並みの人間なら音(ね)を上げそうな超貧乏暮らしのくせに、心情は心は錦、微動だもしない。 〈まったくもって偉い男だ。 回は偉い。 回は偉い。〉 すでに昔のことであるにも関わらず先生は口癖のように私に言うんですよ。 これは明らかに、回への身贔屓、えこひいきですよ。 同門の門人塾生でありながら、不平等ですよ。 君子たるもののとる態度でありましょうか?』と子貢が俺にぐちる!ぐちる! 本音は先生に回より上だと認められたい子貢の嫉妬なんだがね。 他ならぬ尊敬する子路大先輩に『相談にのってくれ』とお願いに来た訳なんだ。」

「ほぉ~それで、子路大先生は、何とお答えなすったんですか?」

この物語の続きは明日また・・・。
今日一日、真我とともにあらんことを


天意天風

2010年2月4日木曜日

論語と算盤と天風哲学と電卓~論語創作ものがたり 番外編―論語と鬼

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく)~論語創作ものがたり 番外編―論語と鬼」だ。

諸君、本日は立春であります。
日に日に日が伸び、春の訪れは陽気とともに暖かく心地よく感じられる。
昨日の節分は2月1日よりの3回目、鬼(おに)について話をしてきた。
諸君、論語の中にも鬼が出てくるのを御存知であろうか?
知っている人は知っているであろうが、知らない人のためにせっかくの機会であるから話をしよう。

樊遲(はんち)、知(ち)を問う。
子曰く、「民(たみ)の義(ぎ)を務(つと)め、鬼神を敬してこれを遠ざく。 知と謂(い)うべし。」
仁(じん)を問う。
曰く、「仁者(じんしゃ)は難(むずかし)きを先にして獲(う)ることを後にす。 仁と謂うべし。」

樊遲が「知」とは何かと孔子にたずねた。
「われわれは、ややもすれば万物の霊長たる人間を超えた存在に頼る気持ちをおこしがちだ。 しかし、まず万物の霊長たる人間としてやらねばならぬことは何なのかと考えること、それが本来の『知』だ。」
樊遲はさらに、「仁」についてたずねた。
「万物の霊長たる人間として正しいことは、たとえ労多くして功少なしと知っていても、あえて挑戦し実践する態度、それが仁なのだ。」
孔子先生が二千五百年前よりその当時から鬼神と述べている通り、それ以前から中国にも鬼という存在があったんだね。
また、こんな論語の論語たる有名な成句もある。
子曰く、「その鬼(き)にあらずしてこれを祭るは諂(へつら)うなり、義を見てせざるは、勇なきなり。」
祭る理由のない神々(神霊)を祭るのは、万物の霊長たる人間本来の天より与えられた主体性の尊厳の放棄である。
勇気をもって万物の霊長たる人として行うべきを断固として行うべきなのだ。

また鬼は論語以外にも出てくるんだ。
「断じて行えば、鬼神もこれを避(さ)く」史記李斯伝(しきりしでん)に出てくる有名な一節である。
この意味は強く決心して、そして断行すれば、立ちふさがって通せんぼしている鬼神も道を避け、意志どおりになることを言っている。
万物の霊長たる人間の意志の力のすごさをよく表している言葉ですな。
真理から論断してもまったくこの通りですな。

本日はこれまで。
今日一日、真我とともにあらんことを

天意天風

2010年2月3日水曜日

鬼さんの誤解をとく、鬼の目にも涙のいい訳 パート3

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「鬼さんの誤解をとく、鬼の目にも涙のいい訳 パート3」だ。

諸君、本日は立春の前日イブにあたる節分であります。
鬼さんの誤解を解く「鬼さんの誤解をとく、鬼の目にも涙のいい訳」ラストですね。
鬼神と言って荒々しい神は人の目に見えず超人的な力を持つ存在のことであるそうな。
日本古来より人間と鬼とは深く関係しているんですよ。
鬼に関する言葉が多いのもその証です。
幽界四次元とその系統系列に鬼霊界があり、数珠つなぎで、その上層に鬼神神霊界なるものが存在しているんですよ。
そして鬼を眷属(けんぞく)として束ねて司っているんだ。
特に仏教的な影響を受けた日本は古来の神道と融合して、日本各地に鬼の伝説や鬼の地名、鬼の祭りとして残っている。
江戸時代には特に大名などの大家では棟の先端に取り付ける一対の鬼瓦(おにがわら)を専属の鬼師に作らせていたんだよ。
見たことあるかな?
鬼の厳(いか)めしい形相がいかにも怖くも感じ、はたまた、建物全体から見れば鬼瓦があることでどっしりとした重厚感も感じるね。

例えば、そんな大家に雇われている専属の住み込みの鬼の一家があるとする。
今時で言う、「セコムしてますか」の警備保障会社と契約をしているようなものだ。
それが目に見えない鬼警備保障会社なんだがね。
特にその会社は鬼門と裏鬼門を警護する仕事なんだ。
おもな仕事はっていうと、悪霊、怨霊のたぐいから百鬼夜行といって妖怪、魑魅魍魎(ちみもうりょう)、幽霊と夜中に徘徊してくる者たちを鬼門や裏鬼門から勝手な侵入を防いだり、阻止して護ることが職務であり任務であるんだ。
侵入を防ぐために鬼瓦を高い所に据えてあるのは、どこから見ても分かりやすく、「すでにこの大家には専属の鬼の番人が常駐してますよ」ということを鬼等の関係各位に事前に知らしめるための目印(めじるし)であるんだ。
つまり、「セコム鬼看板」みたいなもんですな。
諸君、鬼に金棒という成句は、ご存知でしょうよ。
ただでさえ強い鬼に、金棒を持たせると、強い者がさらに恐ろしく強くなるという意味だね。
日本の警察官も警備員も腰に警棒を携帯しているね。
あれのもっと強力な金棒を持って、門に立っていられたら、正直恐いよな!
だが、反対にこんな強く怖い鬼さんが警備員として立ちはだかって護ってくれたら安心というものだね。
別の鬼さんが鬼門から侵入しようとしても、互いに鬼同士であるから
「ここは俺が雇われている大家だから、ここに侵入するのはやめてくれ!」と言えるよね。

「ここはプロの鬼警備保障のオニセコムに加入しているから、鬼警察と〈つうかあ〉何だぜ。 すぐにおまえ、捕まっちまうぜ。 オニセコムのステッカーの貼ってない家に行ってくれや。」

「そうか、赤鬼、お前はそこの会社に就職していたのか? よかったな!」

「そうだよ、よかったよ。 家族を養っていかにゃならんからな。 おまえはどうしてるんだよ?」

「俺か? この不景気で、ハローワークに行っても就職がないんだよ! アルバイトもないんだよ。 できたら俺もおまえの会社に入れてれないかな? 俺んちの鬼嫁がうるさいんだよ。 『あんた、生活どうするの? うちは鬼子が3人いるんだから、さっさと仕事見つけてきなさいよ!』 恐ろしく怖い嫁、もらっちまったぜ。」

「そうかい。 あんたもいろいろと大変なんだな。 ここで会ったよしみだ。 俺の直の上司の青鬼の中村さんに聞いてみるよ。 中村さん、仕事のオニで厳しい人だが、涙もろい慈悲の心のある鬼部長さんなんだよ。 携帯電話と住所だけ書いていってくれや。 必ず連絡するから。」

「恩にきるぜ。 よろしく頼むな。」

鬼と鬼の関係でも、人と人の関係でも同じでね、お互いにわかっていたら無用な争い事は避けたいものですよ。
まぁ~鬼様も諸君同様に鬼としての役目と役割とその職務を全うして働いているんですよ。
人間と同様に鬼一族の全員が悪いことをするということではないことを言っておきたい。
善良な鬼様も大勢いらっしゃいますよ。
せっかくの丑から寅への節分のこの機会でありますから、鬼の誤解を解くとともに、節分のこの日に知っておいて下さいな!


では、この回はこれまでに。
今日一日、真我とともにあらんことを

天意天風

2010年2月2日火曜日

鬼さんの誤解をとく、鬼の目にも涙のいい訳 パート2

諸君元気ですかい、天意天風であります。
諸君、関東はめずらしく大雪だったね。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「鬼さんの誤解をとく、鬼の目にも涙のいい訳 パート2」だ。

鬼とは醜悪(しゅうあく)な形相と恐るべき怪力をもち、人畜に害をもたらす、想像上の妖怪とされている。
牛の角を生やし、寅の皮のふんどしをつけた姿で表されている。
今時なら,ふんどしじゃわからない人がいるだろうから、寅の皮のパンツだね!
陰陽道(おんみょうどう)で丑寅(うしとら)(北東)の隅を「鬼門」と言って、鬼の集まる所と考えられたためということになっている。
昨年が丑(うし)年で、今年は寅年であるから、艮(うしとら)で鬼が大いに活躍する年となるということですかな?
こんな年回りは、恵方巻きを食べるより、鬼になりきってトラがらのパンツをはいたほうがさまになるんじゃないかな?
方位除けトラ柄トランクス、ユニクロで販売したら、買う人けっこういたりしてな。
まぁ~、これも冗談ですがね!
子供の頃、「鬼ごっこ」という遊びをしたことないですかい?
また子供のことを「餓鬼」とも、「くそ餓鬼」とも言って悪態をつきませんかい?
その親分を「餓鬼大将」ともいうよな!
鬼は子供の頃より、日常的に登場する、本当は親しみある愛すべき存在と思うがね!

秋田県男鹿半島などで、小正月に来訪神を迎える行事は知っているかな?
正月の十五日に数人の青年が大きな鬼の面をかぶり、蓑(みの)をつけ、木製の刃物、御幣(ごへい)、桶などを持って家々を訪れて祝福の言葉を述べ、酒食の饗応を受ける年中行事であり、風習だね。
子供にとっては、恐ろしく迷惑な行事であろうが、この鬼の面をかぶった「生剥(なまは)げ」は、家々を守る土着の神霊に他ならないだろうよ。
感謝こそすれ、「生剥げ」の目に豆をぶつけることはしないはずだよ!
風習が変わると鬼に対するとらえ方がずいぶんと変わるね!
鬼(おに)が云(い)うと書いて「魂(たましい)」と読むね!
ここでも鬼が出てくるんだね!
また親に似ぬ子は鬼子(おにご)というそうな!
諸君は親に似ていますかな?
この話の続きは明日また・・・。
今日一日、真我とともにあらんことを

天意天風

2010年2月1日月曜日

鬼さんの誤解をとく、鬼の目にも涙のいい訳 パート1

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「鬼さんの誤解をとく、鬼の目にも涙のいい訳 パート1」だ。

「月日は百代の過客にして、行きかふ年も又旅人也」

諸君、早いもので今日から2月です。
本日の1日から3日の節分まで、「論語創作ものがたり」は、ちょっとお休みします。
小休止です。
時節柄、テーマは「鬼さんの誤解をとく、鬼の目にも涙のいい訳」と題して、人間の自分勝手な誤解において風習化された、豆ぶつけられっぱなしの悪者役、嫌われ者役の鬼様の一部誤解をとくことにする。

節分には柊(ひいらぎ)の小枝に鰯の頭を刺して戸口にさし、炒った豆を悪疫退散、招福の行事を行う風習が昔からあったんだね。
そのことからも、「鰯(いわし)の頭(あたま)も信心から」と申しますな。
「鰯の頭のように取るに足らないものでも、信ずる気持があれば尊いものに見える。」という意味でしょうか。
まあ、昔はその時期、寒さのせいもあって、風邪やインフルエンザなどの感冒にかかりやすく、また広がりやすかったんでありましょう。

鰯じゃなくて、サンマや鯖の頭じゃだめなのかねぇ。
鰯より頭の大きいカツオやマグロならもっと効果がありそうだがね!
ま~これは、冗談です。
どちらにしても戸口に刺したんじゃ魚臭くって、人間様の方が退散してしまうんじゃないかな?

最近、巷では、太巻き寿司一本をまるごと今年の良い方位に向けて、一気食いすると今年一年恵みを得られるという「恵方巻き」なる太巻き寿司をスーパーでもコンビニでも宣伝しているとか・・・
商売とはいえ、いろいろとあの手この手と考えますなぁ・・・
数年前までは関東にそんな習慣はありませんでしたね。

ところで、鬼様は、いつから人間に嫌われるようになったんでしょうかね?
鬼様は人間に豆ぶつけられるようなどんな憎まれることをしたんでしょうかね?
「鬼」イコール「ワル」。
「鬼」イコール「退治するもの」。
そうすると、渡る世間は鬼ばかりだそうな!
諸君も、渡る世間の鬼の仲間かもしれませんぞ!
渡る世間の鬼は、誰が退治するのかねぇ?
桃太郎か、桃太郎侍でしょうかね?

この話の続きは明日また・・・。
今日一日、真我とともにあらんことを

天意天風

2010年1月31日日曜日

論語と算盤と天風哲学と電卓~論語創作ものがたり パート12

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく)~論語創作ものがたり パート12」だ。

居酒屋「ざ・論民(ろんたみ)」で子路(しろ)曰く

「おい!おい! おまえ、だれだったっけ? 見たことのない顔だな? 孔子先生の弟子はたいがい俺のとこにも挨拶にくるから顔は見知っておぼえてるんだがなぁ~。 どうもお前の顔、見覚えがないな。 おまえいつから、先生の弟子になったんだい?」

「へへへへへ、おそれいります。 実は今日からです!」

「何ぃ! 今日からか、そうか、先生から聞いていないが今日からか、そうか! ほやほやの新入りだな!」

「へ~、そうなんです。 それもちょっと前の夕方からです!」

「何~ぃ? 夕方からか?」

「へ~、さようで。」

「おかしいなぁ君は、孔子先生に門人の許しを得たのか?」

「いいえ!」

「何ぃ! 門人になりすましたのか? 事と次第によってはただではおかぬぞ!!」

「ちょっと、ちょっと、待って下さい! 子路先生!!」

「先生だぁ? 貴様に先生などと言われる筋合いはないわ!」

「いえいえ、ちょっと、聞いて下さいよ、子路大先生様!」

「大先生? 俺がかい?」

「そうですよ、子路大先生様ですよ!」

「う~ん、悪くないね もう一度言えよ!」

「はい、何度でも、子路大先生様!」

「それでどうして貴様がここにいるんだ? 訳を言え!」

「はい、ちょうどPM5:00にここの店先を通りかかりましたら、人だかりがありましたもので、何の人だかりかと思いましてね、近寄って聞いてみましたら、孔子様の第一の門弟(もんてい)の子路様が門人を集めて慰労会ということで、飲み食いタダのご招待と聞きまして、私もぜひ、今宵だけ門人の仲間にさせてもらえないかと思いまして積極的に加わった次第でございますよ!!」

「貴様、門人でもないのに、ずうずうしいやつだな! たかるつもりであったのか?」

「いえいえ、そうではございません。 子路大先生様、先生のお噂は、かねがねお聞きしております。 一度、子路大先生にお会いしたくて!」

「それは本当か?」

「へえ、本当です!」

「そうかい、そうかい。 貴様もまんざら悪い奴ではなさそうだな。 よし、わかった。 ま~、今宵かぎりの門人ということで、この子路先生が特別に許してやる。 それで、おまえ、どこの生まれだい?」

「はい、私は、出身は、北京なんですよ。」

「おお~そりゃすごいな、大都会だな。」

「はいそうなんです。」

「それで、北京のどこだい?」

「はい、北京の神田の生まれなんですよ!」

「何い、北京の神田かぁ、それじゃ、生粋の北京神田っ子じゃないか!」

「はい、実は親子三代北京の神田っ子なんですよ!」

「四代目の私がちょっと離れちゃったんですがね!」

「そうかいそうかい、貴様にもいろいろ事情があったんだな。 遠慮しねえで、食いねえ食いねえ、寿司食いねえ。 フカヒレも、北京ダックもあるでよ!」

「ありがとうございます! 遠慮なくごちになります。」

「おまえも、タダ飲みタダ食いしちまったからには一飲一飯(いっぱん)の恩を感じるよなぁ?」

「はい、そりゃもう、ありがてえっす、子路大先生!!」

「まあ、飲みねえ~。 ここで会ったよしみだ。 そのよしみでおまえに頼みがあるんだが・・・」

「何でしょう、子路大先生!!」


この物語の続きは明日また・・・。
今日一日、真我とともにあらんことを


天意天風

2010年1月30日土曜日

論語と算盤と天風哲学と電卓~論語創作ものがたり パート11

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく)~論語創作ものがたり パート11」だ。

諸君、昨日の話に〈女(おんな)の腐ったよう〉と女性をあたかも蔑視しているかのような誤解を受ける不適切な言葉を使った。
すでに死語になりつつある現代であるが、女性差別用語だと言われる方もおられるだろうから、『その当時の世相は』ということで御理解をたまわりたい。
今時の日本では、「草食男子」「肉食女子」とか言われているそうですな。
〈女の腐ったよう〉とは、今時の世相に合わせれば、〈男の腐ったよう〉と改めるべきですかな。
その意味では、ぐずぐず言って男の腐ったような態度のにえきらない、はっきりしない女をののしっていう言葉になるね。
これが今時は正解ですかな?
諸君はどう思われますかな?


さてもさても「子路(しろ)の嫉妬劇」のはじまり、はじまり~!

「門人諸君、大先輩の子路であります。 諸君らにお話がありますから、すぐに中庭に全員集合してくれたまえ。」

門人を中庭に集めて子路曰く、「孔子門人諸君、日頃、諸君らは、孔子先生について寝食を忘れてよくお勉強して頑張っておられるから、今日は子路先輩が、孔子先生にかわり、君たちにごほうびとしてごちそうするから、本日のPM7:00に居酒屋『ざ・論民(ろんたみ)』に集合されたし! 諸君、よろしいか?
それと、 顔回(がんかい―回)と子貢(しこう)は先生のお供で外出しているので、伝えなくていいから。 俺の方から話はしてあるので、余計なことは気をまわさないでくれたまえ! 諸君、よろしいか?」

「イエッサー 子路先輩!」 「はい、子路先輩!」

舞台は変わりまして、居酒屋「ざ・論民(ろんたみ)」。
時間はちょうど定刻のPM7:00。

居酒屋「ざ・論民(ろんたみ)」の店先で子路曰く「なになに『孔門御一行様 貸切御礼』 何だこれ? 水戸の黄門様一行じゃあるまいし、こんなたれ幕、店の前に下げんなよ。」

居酒屋「ざ・論民(ろんたみ)」の店内において子路曰く「おいおい、タダ酒、タダ食いとなるとずいぶん早くから集まるもんだね! 『衣食足りて礼節を知る』とは本当のことだな。」

乾杯を前にして子路曰く「諸君! 本日は、お忙しい中、よく集まってくれました。 ありがとう。 諸君の日頃の労をねぎらうためのものでありますから、先輩後輩の関係はおたがい抜きにして、本日は無礼講です。 孔子先生の門人として、この一時(ひととき)を楽しくやりましょう。 では諸君、孔子先生、諸君のますますの発展とご健勝を祈念しまして乾杯!!」 

「かんぱ~い!!」

この物語の続きは明日また・・・。
今日一日、真我とともにあらんことを


天意天風

2010年1月29日金曜日

論語と算盤と天風哲学と電卓~論語創作ものがたり パート10

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく)~論語創作ものがたり パート10」だ。

子路(しろ)激怒して曰く・・・
「なに~い、お前と先生とそんな話をしていたのか? 実にけしからん! 実におもしろくない! 実に不愉快である! 顔回(がんかい―回)も子貢(しこう)おまえも、先生も、俺だけのけものにしていたんだな!」

「子路にいさん、それは誤解だよ。」

「うるせ~、6階も7階も8階も地下1階もあるんだ。 おまえなんぞに『にいさん』なんて言われる筋合いはないわい!」

「子路にいさん、それはないよ! ああ~いや、子路大先輩が『血のつながりはないが、これからは、にいさん、おとうとよの間柄でいこうぜ。』って言ったんじゃないですか?」

「俺がかぁ~? いつそんなことを言った。 それこそ誤解ってもんだ。 もし言ったとしたら、今すぐやめだ、やめだ、やめだ~い。」

「子路あにき、また、やきもちですか? それってまちがいなく男の嫉妬ですね!」

「このやろう、それ以上言うとただじゃおかねえぞお!」

「おっと、子路あにき、そうそうにはこの子貢、油断しませんよ! 子路大先輩また嫉妬しているんですかぁ~。 孔子先生に直接真意を伺ってみてはどうですか?」

「うるせ! うるせ! うるせ~い!」

「先輩、それって世間では〈女(おんな)の腐ったよう〉って言うらしいですよ。」

「お前、少しだまっていろ。 今、頭が混乱しているんだ。」

「それはちがうでしょ。 子路先輩のその状態は、怒り心頭に発しているんじゃないですか? ズバリ、嫉妬して腹を立てている。 そしておさまりがつかない。 そうでしょ?」

「そうだよ、そうだよ、そのとおりだよ。 この事は先生にも回にも誰にも言うなよ。 いいな、子貢」

「わかってますよ、先生にも回先輩にも誰にも言いませんよ!」

「きっとだな!」

「きっとですよ!」

「約束だぞ!」

「ええ、約束します!」

…………………

ここから舞台は別の場所に移りますぞ。
ここは子路行きつけの居酒屋「ざ・論民(ろんたみ)」で、うさ晴らしに一人で飲んでいる子路であります…

「え~、いまいましい。 子貢のやろうも俺様をばかにしくさって! 顔回と子貢に俺様をのけものにするとどんなことになるか思い知らせてやるわ! 今に見ておれ…」


諸君、この続きは明日また・・・では。
今日一日、真我とともにあらんことを

天意天風
女(おんな)の腐ったよう―ぐずぐず言って態度のはっきりしない男をののしっていう言葉。

2010年1月28日木曜日

論語と算盤と天風哲学と電卓~論語創作ものがたり パート9

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく)~論語創作ものがたり パート9」だ。

諸君、諸君の中で、「論語」に興味のない方々は、話はおもしろくないですな!
ついていけてないかもしれないが、「論語」というお題目を、決まり切った一視点のみで見るのではなく、上下、左右あらゆる角度視点から取り上げてみると、人の価値観は千差万別(せんさばんべつ)であることがわかる。
そして、自己を写す浄玻璃(じょうはり)の鏡として、自身が、時を超えて、現代の「論語人間ドラマ」を、今時のトレンディードラマの主人公を演じていると決めて、役柄になりきってみると意外と自分の今まで見えなかった、自分の別の一面に気づくかもしれない。
こんな自分もあったんだと、老若男女かかわりなく、個人の素直な感情として新鮮な感慨とともに新しい自分を発見されるだろう。
「不思議新しき自己発見!」
どうでしょう? 楽しみだね!

諸君も御存知のことかもしれないが、孔子先生には次の四つの欠点が無かったと言われている。
①自我の主観だけで憶測すること。
②自分の考えを正当化して無理に押し通すこと。
③一つの判断のみに固執して、融通がきかぬこと。
④自分の立場や都合しか考えぬこと。

これは論語の中の子罕(しかん)偏にある。
「子、四を絶つ。 意なく、必なく、固なく、我なし。」である。
これが、孔子先生の人間としての長所であるんですよ。
これ総合して、何と言うかと言うと、孔子先生、理屈っぽいと受け取る方もいるであろうが、私こと天風と同じく、案外、素直な心の人だということですよ。
この素直さがとても大切だと私は正直に思いますよ。
この素直さの大切さってね。
自己の天命の天分の自分を知る端緒(たんしょ)になるからですよ。
端緒って言うのは、糸口。
つまりきっかけになるんですよ。
ここらへんがわかると、ほんとのこと、正しい霊道が拓かれて、正しい霊感が自ずと受け取れるんですがね・・・

明日は、「論語創作ものがたり」の続きです。
今日一日、真我とともにあらんことを

天意天風

浄玻璃(じょうはり)の鏡
―(仏)地獄の閻魔王庁にあって、亡者の生前のすべてのおこないを残りなく映し出すという鏡。

2010年1月27日水曜日

論語と算盤と天風哲学と電卓~論語創作ものがたり パート8

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく)~論語創作ものがたり パート8」だ。

諸君、子路(しろ)と子貢(しこう)は年の差が21歳離れているんだね。
昔でいえば親子ほど年の離れた義兄弟という関係だね。
孔子先生と子貢は31歳離れているらしいからもう親子だね。
顔回(がんかい―回)とは子貢がわずかに1歳年下なんだね。
子貢にとっては先輩でありながら互いにいい意味でライバル同士というわけだね。

子路曰く、「おいおい、それで孔子先生は何と返答したんだ!」

「先生の意外な返答にとても驚いたんです。 思いもしなかった言葉を聞いたんですよ。 とてもうれしかったんです。」と子貢は答えた。

「おい、子貢よ、一人で悦に入ってんじゃないよ。 もったいぶらないで先生は何と言ったんだよ~。 早く言えよ、言わないと、ただじゃおかねえぞ、このやろう!!」

「子路あに…… 息! 息!ができませんよ。 苦し~い!」

「わるいわるい、ちょっと腹が立ってな、力が入っちまった。」

「子路にいさん! 殺されるかと思いましたよ。 いきなり首をしめるんだから・・・むちゃしないで下さいよ。 兄弟同士じゃなかったんですか?」

「そうだったな、それで先生は何と言ったんだよ。」

「『子貢よ、うん、そのとおりだ。 実は私も、お前同様なのだよ。』 『え~、先生も私と同じでせいぜい一を聞いて二を知る程度だとおっしゃるんですか?』 『そうだ、そのとおりだ。 何も私が先生とはいえ、回(かい)より人間ができているということではないんだよ。』 『先生、そうなんですか。』 『そうだよ、子貢よ、だからこうして一緒に共に学んでいるんじゃないか。』 『先生ぇ~え。 ありがとうございます。』 思わずじ~んときて、うれしくて涙がとめどもなく流れたんですよ。 こらえきれなかったんですよ、子路にいさん!」

諸君、この「論語創作ものがたり」の続きは明日また・・・では。
今日一日、真我とともにあらんことを

天意天風

2010年1月26日火曜日

論語と算盤と天風哲学と電卓~論語創作ものがたり パート7

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく)~論語創作ものがたり パート7」だ。

諸君、孔子先生が子貢(しこう)と〈仁〉について問うた、その後の孔子先生のお話からだったね。
「『子貢よ、そうすることにより相手の考えが自ずと見えてくるんだよ! 見えてくるというのは、相手が何を欲しているのか、また、本音と立前、真心と二心等が見えてくる。 相手を知って、相手の望むものがわかれば、相手にこびへつらうことなく、ことさら迎合する必要はないが、無用の争いを避けることも出来うる。 子貢よ、〈仁〉の道とは、万物の霊長たる人間としての歩むべき誠と愛とその調和の道だ。 時代性の変遷(へんせん)とともに人間の価値観も移り変る。 然(さ)れど人の本質は変らぬ。 〈仁〉の道とは、人格の生長および形成に最も大切な徳行の道でもあるんだよ。 子貢よ、回(かい)はその徳の道に至りつつあり、かなっているんだよ。 私はそう感じている。 子貢よ、お前は、回と自分とを比べてみて、徳の道を行くにおいて、どちらが上だと思うかね。 どうだろうよ?』と孔子先生に問われたんですよ。」

「それでそれで、おとうとよ、おまえ、何と答えたんだよ。」

「『はい、先生、私などは回先輩には、とても及びもつきません。 彼は一を聞いて十を知る人です。』 『そうかい、では、子貢よ、おまえは率直に自己分析して、どの程度だと思っているかい?』 『はい、先生、私は回先輩と比べれば、せいぜい一を聞いて二を知る程度です。』と答えたんですよ。」

諸君、この「論語創作ものがたり」の続きは明日また・・・では。
今日一日、真我とともにあらんことを


天意天風
      
二心(にしん、ふたごころ)-①敵対したり謀反したりする心。 ②疑いの心

2010年1月25日月曜日

論語と算盤と天風哲学と電卓~論語創作ものがたり パート6

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく)~論語創作ものがたり パート6」だ。

「なあ、子貢(しこう)おとうとよ!!」


「なんですか、子路(しろ)にいさん。」

「おとうとよ!! おまえ実のところ孔子先生に何と言われたんだい!! この間、ずいぶんと落ち込んでいたじゃないか?」

「ああ、そのことですか? あれは、顔回(がんかい)先輩のことですよ。」

「顔回のことって何だよ?」

「孔子先生に問われたんですよ。」

「何をだよ? まどろこしいなぁ~、子貢、はっきり言っちまえよ!」

「にいさん、そう、むきにならないで下さいよ! 孔子先生と私、私と先生、二人で世間話をしていたんですよ。 先生が『子貢よ、〈仁〉について子貢の存念を述べてごらんなさい。』と言われたものですから、ここぞとばかりに、私のいつも心に思っている〈仁〉の心の在り方、考えを述べたんですよ。」

「ほ~、それでおとうとよ、おまえ何と言ったんだよ!」

「私、子貢の存念は政事を為す者としての立場からの〈仁〉であります。」

「なるほど、子貢よ、君は、為政者の立場としての立脚点に立ってということでの〈仁〉ということだね!」
「はい、そうです。 『本来の君子を目指しての為政者としての在り方の命題がテーマであります。』と先生に申し上げたんです。」

「それでそれで、おまえ孔子先生に何と言ったんだよ。」

「はい、人民を貧窮から救い、生活を安定させることができたら、どうでしょう、これこそ〈仁〉ではありませんか?」

「それで、先生は何と答えんたんだ?」

「子貢よ、そこまでいけば、それはもう〈仁〉どころではない! 堯(ぎょう)、舜(しゅん)でさえそれを成就できなくて悩んだんだ。 〈仁〉はこの世に生ある人としてなすべき尊い道でもあるんだ。 子貢のいうところの為政者の立場から見たならば、君子は自分の名誉を大切に思うなら、他人の名誉を重んずるべきだ。 天は人間をして創造の自由を本性において与えられているのが人間なんだ。 自分が自由でありたければ、まず他人の自由を重んずる。 こうして自分を常に為政者と限定することなく、本来の万物の霊長たる人間として、他者の立場として客観的において考察し、まず天より与えられた人間本来の自由性を認め、自分が認めてもらいたいのであれば、まず他人の自由性を重んじること。 こうして、自分を常に他人の立場に置いてみること。 子貢よ、それが〈仁〉の道なのだよ。 何故それが〈仁〉の道なのか? そうすることにより相手の考えが自ずと見えてくるんだよ!」

諸君、この「論語創作ものがたり」の続きは明日また・・・では。
今日一日、真我とともにあらんことを


天意天風

為政者(いせいしゃ) ―政治を行う人。

2010年1月24日日曜日

論語と算盤と天風哲学と電卓~論語創作ものがたり パート5

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく)~論語創作ものがたり パート5」だ。

「なあ、子貢(しこう)よ、孔子先生だいたい言っていることがおかしいぜ。 『回(かい)を見習え、回を見習え』って言われても、顔回(がんかい)みたいなやつがこの世の中に何人いるんだよ。 だいたい〈一を聞いて十を知る〉ことができるのは、孔子先生か天風先生か、シャカかキリストか、カリアッパ大聖者か、石塊(いしころ)みたいに、そうそうごろごろころがっているものじゃないぜ。 やつはある意味〈玉(ぎょく)〉、天才だよ。 そんなやつ見習えったってなれるもんじゃないぜ。 いちいち回と比較されるんじゃ、アホらしくてやってられないぜ。 おまえ、孔子先生にこの前なんか言われたんだってな。 子貢よ、おまえなんて言われたんだよ。 俺は口がかたいから安心して正直にはいちまえよ!!」

「子路(しろ)先輩、お言葉ですが、先輩が一番信用できないんですが・・・」

「なにぃ! おまえ、何言ってんだ!! アホヌカセ!! 俺はこう見えても信用第一義が信条なんだ。」

「お言葉をかえすようですが、でも、そう言いながら、孔子先生と顔回に不平不満&嫉妬して、グチっているようでは、私のことを他の塾生にも必ず『子貢はグチってた』って言いふらしますよ。 お~こわい! あぶない!あぶない! くわばら!くわばら!」

「なに~い、俺は〈孔子先生、命!〉なんだ。 おまえ言って良いことと悪いことがあるんだぞ! そんな孔子先生に対して不平不満があるわけないだろうよ。 だいたいだな、俺は〈孔子先生、命!〉だからいいとしても、君子たるもの、塾生に対しては、皆、わけへだてなく平等に扱わなければ君子とは言えないじゃないかい? 子貢さんよ、貴殿はどう思われるかな?」

子貢答えて曰く「多少の矛盾もなくもないですが、そりゃそうだねえ。 子路先輩、たまにはいいこと言うじゃないですか! 見直しましたよ。」

「おいおい、『たまには』はないだろう! じゃあいつもは、バカなこと言ってるみてえじゃないかよ! まぁ~、そんなことはどうでもいいぜ。 おまえと俺との仲だよ、先輩後輩抜きにして、この際『子路にいさん、子貢おとうとよ』でいこうぜ!! どうだい!!」

「なんかピンとこないですが、子路にいさん、今後ともよろしくお願いします。」

「まかしておけ、子貢おとうとよ!!」

諸君、この「
論語創作ものがたり」の続きは明日また・・・では。
今日一日、真我とともにあらんことを

天意天風

2010年1月23日土曜日

論語と算盤と天風哲学と電卓~論語創作ものがたり パート4

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく)~論語創作ものがたり パート4」だ。

諸君、大勢門人がいると好き嫌い、妬(ねた) み、嫉(そね)み等、様々な感情がうずまくね。
「男も女も人間だものなあ!」
そう言いたくなる諸君もいやしませんかい?
そう言えば、相田みつお氏の言葉を借りて、言い訳にしている人、けっこう多いいね!
諸君も、何か都合が悪くなると「人間だもの」を言い訳にしていませんかな?
「だって人間だもの、嫉妬の一つや二つくらいしたってしょうがないじゃない。 それが人間だもの!」なんてね。
他人のトイレの中をのぞき見してるわけじゃないんだがね、何故か相田氏の名言集は、トイレの中にかけてあるのをちょくちょく見かけるんだがねぇ!
私の生前の言葉てぇのは、天風ファンの諸君はトイレにかけないねぇ?
何故だろうかな?
「意識的に肛門をしめて、同時に肩から力を抜いて、丹田に力を入れよ! クンバハ法 積極的に!」なんて書いてあったら、出るものも出にくいよなぁ・・・
あたり前だ、肛門しめてんだからね。

まぁー、男の嫉妬もあるということですな。
〈孔子様、命!〉の子路が、「回よ!回よ!」といって顔回ばかり可愛がるものだから、心中実に面白くない。

「俺なんか自慢じゃないが、先生のこと大好き、大!大!大好き!愛しているって思っているのに、先生に喜んでもらおうとすればするほど、『子路よ、お前は思慮にかける。 物事を慎重によくよく考えてから行動しなさい!』こればかりだよ。 『回は一を聞いたら十を知る。 子路よ、おまえも回を見習ってツメのあかでも煎じて飲みなさい。』じょうだんじゃないぜ! 『子路よ、お前の勇(ゆう)は、真の勇気ではないぞ。 おまえの勇気は思慮分別のない、浅はかな勇気だ。』 子路よ思慮がない―しゃれにもならないぜ。」

孔子先生が何を語っているかの真意がわからない、愚痴をこぼしてばかりの子路でありました。
諸君、この「論語創作ものがたり」の続きは明日また・・・では。
今日一日、真我とともにあらんことを

天意天風

2010年1月22日金曜日

論語と算盤と天風哲学と電卓~論語創作ものがたり パート3

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく)~論語創作ものがたり パート3」だ。

孔子先生の直接の薫陶(くんとう)を受けれた門下生は大勢おられたであろう。
しかし、三千人もの孔門の弟子が、一箇所に寝食を共にしていたとは無理がある。
しかし、かなり大勢の者が、学んでいたことであろう。
であるからして、孔子先生の回りには、門人同士の中で、先輩、後輩の関係や、年功序列や、成績の順の序列、役割等の序列があったでありましょう。
ここでは、論語から学ぶ「男の嫉妬」の逸話創作物語であります。
タイトルは「男の嫉妬 一を聞いて十を知る! 百を聞いて一を知る」だ。
どうしてまあ、「嫉妬」という字は、女偏がダブルで合わさっているのかいね~?
男子は嫉妬しないのかいな?

「いつも上司に可愛がられて、あいつはいいなぁ~。 俺ときたらいつも怒鳴られたり、怒られてばかりいる。 上司ときたらあいつばかりほめて、身贔屓(みびいき)しやがって、その前で『君も彼を見習いたまえ』なんて言いやがる。 仕事じゃ俺の方が出来るのに、どうしてなんだい。 あいつは要領がいいものなぁ~。 しかし、上司とあいつの顔見るとほんとむかつくぜ!」

こんな心のつぶやき、過去においても、今現在においても、男性諸君は、なかったですかい?
これってひょっとして「やきもち」、これってひょっとして「男の嫉妬」ですかい?
もしこれ嫉妬であったら、嫉妬は女性特有のものではありませんな。
ということであれば、嫉妬も二通りつくらないと不公平でいけませんな。
男女平等です。
あえて、男(おとこ)偏をこしらえて、男二つで「男のしっと」と読む!
どうですかな?
え~え、私は中間! そうかい!そうかい!
男女中間なんだね。
半分半分なんだね。
男女どちらの気持ちもわかるから、それはそれで中立でよろしい!
そんな方は男半分、女半分にして書いてくれたまえ!
諸君、この「論語創作ものがたり」の続きは明日また・・・では。
今日一日、真我とともにあらんことを

天意天風

2010年1月21日木曜日

論語と算盤と天風哲学と電卓~論語創作ものがたり パート2

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく)~論語創作ものがたり パート2」だ。

諸君、ここで最も重要な登場人物である回(かい)こと顔回(がんかい)と子路(しろ)こと季路(きろ)のプロフィールを紹介しておこう。

この回は、顔回(がんかい)という方のことだが、孔門十哲の第一番目にあげられる、孔子門下第一の優等生なんだ。
孔子が最もかわいがったと言われている。
若くして亡くなったものであるから、非常に孔子様は嘆かれたと言われている方だね。
孔子様は、自分亡き後、後継ぎにしようと考えておられた方のようだね。
孔子様にとっては頼りにしている期待の人物であったんだね。
もう一人ここで重要な登場人物がいるんだ。
子路といって孔門十哲の一人。
姓は仲、名は由、子路は字(あざな)。
勇を好んだとされている方だ。
孔子様にぞっこん惚れていたんだね。
孔子様のためなら、命の一つや二つや三つは捧げても惜しくない覚悟の献身的な方だったんだね。
そんな反面、かなりの乱暴者で、無鉄砲なやんちゃな性分だったようだね。
参考までに孔子門下の選りすぐりの十人をご紹介しよう。
「孔門の十哲」と言われる方々だ。
徳行に優れた顔淵(がんえん、顔回)、同じく閔子騫(びんしけん)、同じく冉伯牛(ぜんはくぎゅう)、同じく仲弓(ちゅうきゅう)。
言語弁舌に優れた宰我(さいが)、同じく子貢。
政事に優れた冉有(ぜんゆう)、季路(きろ、子路)。
文学に優れた子游(しゆう)、同じく子夏(しか)の十人である。
その当時、孔子門下は三千人とも言われているらしいが、それ以上とも言われてもいる。
本当のところはわからないから、ここでは孔門三千人位の弟子がすでにいたという設定にしておこう。
その孔門三千の中の十人ですから、たいしたものだね。
諸君、この「論語創作ものがたり」の続きは明日また・・・では。
今日一日、真我とともにあらんことを

天意天風

2010年1月20日水曜日

論語と算盤と天風哲学と電卓~論語創作ものがたり パート1

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく) ~論語創作ものがたり パート1」だ。

諸君、本日は「論語」について小難しいし、固い話をしてきたので、諸君も肩もこってきたであろう。
肩の力を抜いてリラックスして話を聞いて頂きたい!
よろしいであろうか?
「天風講釈師見て来たように言う」という言葉もあるかも。


孔子様と弟子の子貢(しこう)との会話のやりとりなんだね。
この子貢さんは孔子の弟子の中でも古参で、側近中の側近の方の一人だったんだろうね。
孔門十哲の一人にあげられているんです。
姓は端木(たんぼく)、名は賜(し)、子貢(しこう)は字(あざな)。
弁舌、政治力に優れ、斉が魯(ろ)を攻撃しようとした時、諸国を遊説し、これを救った。
また貨殖の才もあったと伝えられている。


せっかくだからキャストを決めようか!
ここでは天風が孔子先生の役、諸君が子貢役だと決めて、子貢 になりきって聞いて下されや!
題して「論語創作ものがたり」だ。
あと、ここで最も重要な登場人物がある。
回(かい)こと顔回(がんかい)と子路(しろ)こと季路(きろ)である。

これは第五編公冶長(こうやちょう)に出てくる有名な問答なんだ。
諸君も御存知であろう。

「子、子貢に謂(い)いて曰(いわ)く、『なんじと回といずれか愈(まさ)れる。』 対(こた)えて曰く、『賜(し)やなんぞあえて回を望まん。 回や一を聞いてもって十を知る。 賜(し)や一を聞いてもって二を知る。』 子曰く、『しかざるなり。 われとなんじとしかざるなり。』」

孔子様が子貢に問いかけた。
「お前は、回と自分とをくらべてみて、どちらが上だと思うね。 どうだろうよ?」
「先生、私など回(顔回 がんかい)には、とてもおよびもつきません。 彼は一を聞いて十を知る人です。 私はせいぜい一を聞いて二を知る程度です。」
「うん、そのとおりだ。 実は私も、お前と同様なのだ。」

この物語の続きは明日また・・・では。
今日一日、真我とともにあらんことを



天意天風

2010年1月19日火曜日

論語と算盤と天風哲学と電卓 パート15

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく) パート15」だ。

諸君、「論語」に
「己に克って礼に復(かえ)るを仁となす。一日己に克ち礼に復(かえ)れば天下仁に帰す。仁をなすは己に由(よ)りて人に由(よ)らんや」とある。

ここで言う「己」とは、天風の言うところの本来の自己、自我の本質ではない。
「自心という己の心」のことである。
「己に克つ」とは、つまり「克己心(こっきしん)」のことである。
「仁の心」は、自分がしようとしてできるもので、決して他人の力に頼ったり依存するものではない。
「天は自ら助くるものを助く」という諺がある。
本来の克己心とは、この言葉の裏がえしでもある。
「天は自らの心に克つものを助く」とも換言できうる。
両方の言葉からも、人生他力のみをあてにしては断然だめであるということを、合点せしめてくれていると言わねばならない。

渋沢哲学いわく、
「己が物我の己であるとすれば、克己心とは自分だけの主観に勝つ心である。 物我の己を制して常に本然の性-正常な客観の立場に立ち返らせるのである。 こうしてみると克己に最も必要なものは強固な意志の力であり、この力を善用すれば、常に克己は出来る。」

言うに及ばず、これについては何の異論もない。
天風哲学でいうと、克己心とは、
「正心誠意を以って、為されざる事柄というものは、たとえそれがいかに立派そうに見えても、断然人の世のためになるという尊い結果を作為しない。 況(いわん)や、人々の共同幸福のために努力しようとするには、崇高なる克己心というもの・・・すなわち自己に打ち克つ心が、これもまた何より必要である。」
この話の続きは明日また・・・では。
今日一日、真我とともにあらんことを


天意天風

2010年1月18日月曜日

論語と算盤と天風哲学と電卓 パート14

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく) パート14」だ。

諸君、「論語」は学而(がくじ)第一から堯曰(ぎょうえつ)第二十までの二十篇からなるもので、いちいちここでは、これ全てを渋沢哲学と天風哲学とに照らして解釈しているわけにもいかないので、重要な根幹になるものだけを述べさせて頂いた。
渋沢哲学のいう「論語」を、余計なものを、余計な固定観念を捨てて、そのまま読み、自身に活かすことを勧めている。
時代の変遷とともに、儒家と称する者たちの固定観念から解放されて論語をそのままを開くと、そこには、いきいきとした、今の今もいきいきとした、血の通う人間集団の人生ドラマが展開している。
渋沢人生哲学もしかり、天風人生哲学もしかりである。
「人間とは何か? いかなるものか? 真の人間らしさとは何か? 真人生に生きるとは何か?」
という命題をよくよく考えさせてくれるものに相違ない。
これこそ、「論語」が長い生命を持ち続け、現代人にとっても共感を覚えさせてくれる理由ではないだろうか?
渋沢哲学しかり、天風哲学しかりである。
根幹に流れているものは、宇宙の天の摂理であり、人間真理であるからだ。
そこには「論語」の中の「仁」「義」「礼」「智」「信」などの徳目が、その教訓として、戒めとして語られているが、天風哲学では「誠と愛を持って一切に応接する」ということを、生前より終生一貫して述べてきたんだ。
私に言わせれば、「仁の心」とは、「誠と愛の心」ということになる。
その至上なるものが、「本心・良心に基づく人の心の思いと行為の真心の状態」をさして「誠心誠意」と言ってきたんですよ。
真心を持って一切の物事に応接するということはね、心身統一された一つの状態にあるんですよ。
この話の続きは明日また・・・では。
今日一日、真我とともにあらんことを

天意天風

2010年1月17日日曜日

論語と算盤と天風哲学と電卓 パート13

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく) パート13」だ。

諸君、私の代筆をしてくれている黒子君は、これからの二十一世紀において必要不可欠とされる天風哲学を今の時代に換言して、「真我の要諦」を主題として、『天真爛漫自分塾』を一念発起して二カ年ほど前よりはじめたんですよ。
「天真爛漫」とは、ご存知であろうが、あえて説明するならば
『純真で心の中が素直に表れていること。 無邪気でこだわることがないこと。 またそのさま。』と一般的に訳されていますね。

そこでだ! 渋沢さんは、ほぼ私と同じ意見であるのであるが、その言葉をあえて掲載することにする。

「無邪気について一言しておきたい。
世の中を見渡すと、どうも知恵の優れた人物には無邪気の者が少ないように思われる。
ややもすれば知恵の力を借りて心にもない意見を吐いてみたりして、何事でも知恵で人を押さえ込まなければ、知者として、また学者としての本分が立たないと考えているものが少なくないらしい。
したがって知恵を働かす者の多くは、もともと有邪気(ゆうじゃき)に傾きやすいことになる。
しかし知恵があり学問があるからといって、必ずしもその人が無邪気になれないことはないだろうと思う。
無邪気という言葉について考えてみると、邪念のない素直な天真爛漫な性情である。
痴呆(ちほう)とか愚鈍(ぐどん)とかいう意味とは全然違う。
痴呆だ愚鈍だと言われたら恥辱だが、無邪気だと呼ばれても誹謗(ひぼう)の要素は少しも含まれないはずだ。
知恵の働き、学問の積み重ねが十分あって、それで天真爛漫の態度を維持し、知恵や学問を活用していくならば、その人格は実に立派である。
知力や学問の力を悪用して有邪気に働かせるから多くの弊害が起こるので、それと反対の態度で無邪気に活用させる人ならば、そここそ真の世の中の宝である。
知恵があり学問があればあるほど、いっそう無邪気であることを願うべきではないだろうか。
そういう性格の青年が私の好む人物だが、現代の社会もみなこのような青年を歓迎すると思う。
実業界に志すか否かにかかわらず、今日の青年はできればそういう性格を養うことを希望する。」

以上、私に限らず誰しも、もちろんこれに異存はないでしょうよ。
本日はこれまで。
この話の続きは明日また・・・では。
今日一日、真我とともにあらんことを
天意天風

2010年1月16日土曜日

論語と算盤と天風哲学と電卓 パート12

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく) パート12」だ。

諸君、手前事なんだが、生前の中村天風は明治九年(1876)7月30日、今現在の東京北区王子に生まれたんですよ。
本人はおぼえてませんがね!
渋沢さんの邸宅がJR京浜東北線の王子駅の坂上の飛鳥山にあるね。
父は中村祐興(すけおき)、母テウの三男坊で生前の私の本名は中村三郎です。
私の著書等で、ご存知でありましょうが、父中村祐興は九州福岡の柳川藩主の立花家につながる出身で、渋沢栄一氏が退官した後に同じ大蔵省の役人になったんだね。
ここで渋沢哲学と天風哲学の共通点をあげて述べてみたい。
今回のテーマは、「論語と算盤と天風哲学と電卓」というテーマになっているね。
この電卓は、天風の生前中に開発されたものなんですぞ。
電子式卓上計算機の略でね、1964年(昭和39年)に商品化した製品としてはシャープが開発した日本初の電卓なんだね。
カシオが「答え一ぱつカシオミニ」なんて電卓のTVコマーシャルがあったね。
その後に日本や世界に電卓は普及していくことになったんですな。

今では、カシオも世界最先端の時計メーカーの一つになったものな。
もちろんシャープやカシオも電子辞書やハイテク機器メーカーでもあるがね。
シャープさんなんかはソーラーカンパニーをうたい文句にしているね。
ご存知の通りですよ。
諸君の携帯電話にも電卓機能が当たり前に入っているね。
そろばんじゃないよな。
時代の変遷によって、生成発展してきているんですな。
日々新たなりだね。
私は明治生まれ、渋沢さんは江戸天保の生まれだが、お互い90歳を超えての長寿であった。
ちなみに孔子様は73歳で他界しているとされているのだが、その当時の時代では長命だね。
今どきなら、90歳位に匹敵するのだろうかねぇ?
お互い両人とも、個人的にはエポックメーキングとなった画期的な新しいものが好きなんだね!
この話の続きは明日また・・・では。
今日一日、真我とともにあらんことを



天意天風

2010年1月15日金曜日

論語と算盤と天風哲学と電卓 パート11

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく) パート11」だ。

諸君、昨日は「六十にして魂(たましい)の声に心の耳をそばだてるようによく聞くようになった」と述べました。
この次は、齢(よわい)「七十にして、心の欲するところに従えども、矩(のり)を超(こ)えず。」、この天風哲学的解釈は、人間の「心」はこの世に生きゆくための不可欠な要具である。
この要具である心が働くと思ったり考えたりする思考になるんだね。
心の働きはてぇっと、思ったり考えたりすることが仕事なんだ。
心が何にも思考していない時は、表向き心の要具は働いていないんですな。
そんなことは当り前だね。
その心の働いている状態をさして〈意識〉と言っているんですよね。

好きで好きでたまらない、愛しい人に片思い!
なかなか相手に直接言葉にして、告白出来ない。
諸君も経験ありますかい?
これって、片思いなんだから、相手のこと思ったり考えたりしている、心が働いている状態ですよね。
つまり、意識しているということだね。

孔子様は、長い月日の間に、意識しようとしまいとに関わらず、〈習慣は第二の天性〉と言われるように、潜在意識に心の天器が出来上がっていたものですから、無意識下であっても常に天に通じる心の状態になっていたんだね。
そして、矩(のり)は、宇宙の真理、宇宙法則のことです。
自我の心で思ったり考えたりすること、そして行為すべてが、宇宙の真理、宇宙の法則に自然とかなっている状態になったんだね。
孔子七十歳にして「思ったり考えたりする意識する習慣と実践行動が一つとなり、宇宙真理である生生化育進化向上に順応する私になりました・・・」 という大悟の心境だったんだろうね。
これが天風哲学でいうところの心身統一状態だね。
「論語」に表された、孔子様とその弟子達との生き様をとおして、天理に則した「天道」「地道」「人道」を天の導きを得て〈徳の道〉として表したんだね。
私はそのように解釈している。
天風に言わせれば、これが「王道」だね!
これが人生のロイヤルロードなんですよ。
これを知り、行うことが本来の「道徳」と感得している。
本日はこれまで、この話の続きは明日また。
今日一日、真我とともにあらんことを

天意天風

2010年1月14日木曜日

論語と算盤と天風哲学と電卓 パート10

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく) パート10」だ。

諸君、五十で天命を知った孔子様だが、次の「六十にして耳順(したが)う。」までには、十年の歳月を費やしているね。
天風解釈では、この耳順うという意味は、顔の横についている耳ではありませんぞ。
「心の耳」のことなんだ。
「心耳-しんじ」。
つまり、心を耳にすることだね。
孔子の弟子や様々な多様な人間の意見にも素直に耳を傾けられるようになったんじゃないんだ。
自己の〈本然の自性〉、自我の本質である〈真我の扉〉が完全にオープンするのに十年の歳月がかかったんですよ。

天風さん、一体何のこと言っているんですか? 理解できませんよ!

ま~、そうでしょうな!
頭で、理屈で考えるとわかりませんぜ。
孔子様が四十までは、「いよいよ学んで、いよいよ苦しみ、いよいよ極めて、いよいよ迷う」と言ってます。
幼いころから学問して、様々な物事から知識を得てきた。
学べば学ぶほど、知れば知るほど、苦しくなる。
かえって何も知らないほうが余計なこと考えずにすんだのに!
突きつめれば、つめるほど迷い苦しくなってくるんだね。
はなから、知らなきゃ考えないね。
知らなければ、思いはしませんよ。
そうでしょう。
知らないことを考えるという人間はいやしません。
しかし、孔子様は人生かけて、命がけで、真我の霊門の扉をあきらめずに叩き続けたんだね。
「叩けよ、さらば開かれん」だね。
六十になって、真我を通じて、天の啓示なるものを心耳でよく聞き、天啓の示唆に素直に順うようになったんだね。
本日はこれまで、この話の続きは明日また。
今日一日、真我とともにあらんことを


天意天風

2010年1月13日水曜日

論語と算盤と天風哲学と電卓 パート9

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく) パート9」だ。

諸君、孔子様が自身の天命をどこから知ったのか?
天風哲学にあえて照らし合わせてみると「本来の自己」「本然の自性」と呼んでいる「真の我」を通して、「天の啓示」を受けたんですよ。
何も言葉で「もしもし天ですが孔子さんですね。」「はいはい孔子です。」なんて電話で話をしたんじゃないでしょうがね?
天との回線が開通したんでしょうな。

大変な学問してるからって、心頭で考えて気づいたんじゃないですよ。
孔子様あてに、天命という名の天からの業務連絡があったんですな。
天からの業務連絡を天啓といいます。
孔子様の霊魂(スピリッツ)が第一番に受け取り、孔子様の心に伝達したんですな。
齢(よわい)五十でもうすでに天の啓示を受ける受け皿が大きく出来あがっていたものですから、天から甘露(かんろ)の法雨が彼目掛けて堰(せき)を切ったようにどんどん降り注いだんですな。
きっと、きっと、きっとね。
こうなると、理屈抜きで天の道理を知っちゃったんですよ。
「ああ~、なるほどそうなんだ!」
これって、天風哲学では自然承認(しぜんしょうにん)すると言っております。
自我小我の心と真我本心良心の心と天の意志たる心と一つながりになっちゃったんだね。
その刹那瞬間に天命という使命に気づかされたんだろうね。
ここで言っている天命はだね・・・
世間一般の通念概念で言われていることでなくして、刹那であろうと一瞬の「大我の大悟」であったんだ。
換言すれば、天意(あい)を知ったんだね。
私はそう確信する。
諸君はどう思われるかね?
この話の続きは明日また。
では・・・
今日一日、真我とともにあらんことを


天意天風

2010年1月12日火曜日

論語と算盤と天風哲学と電卓 パート8

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく) パート8」だ。

諸君、いよいよ天命を知るにいたった孔子様のエピソードの原点だね。
昨日、お話をしたように、心と体は、この物理次元の人間世界の表現に不可欠の要具なんだと述べました。
諸君、わかっちまえば、そう難しいことではないんですよ。
わかっちまえば、「なぁーんだ、そんな簡単なことか、ずいぶんと、難しく考えていたが、心一つ素直になれば、実に単純なことだ。」と、自覚される時が訪れるんです。
自身の人生の体験、経験を通して、理屈抜きで、「なるほどなー、そうだなー、うん!うん!そうだ!そうだ!」って、勝手にうなずくようになっちまうんですよ。
諸君、ご存知の通り、諸君の本質である、真の自己は英語で言えば「Spiritsスピリッツ」、日本語で言えば「霊魂」ですよ。
この霊魂の意識を、霊性意識と呼んでいます。
みなさんの思ったり考えたりする心の働きである「自我の意識」と分けて、「真我の意識」とも呼んでいます。
諸君、霊魂たる真我が諸君の本来の自己なんです。
わかっている諸君は、もう常識ですね!
天風哲学では、「本然の自性」とか、「自我の本質」と呼んでおります。
肩の力を抜いて、「ああそういう考え方もあるんだ。」ぐらいに、受け入れて下されば結構ですよ。
そう、素直な心になってね!
この話の続きは明日また。
では・・・
今日一日、真我とともにあらんことを

天意天風

2010年1月11日月曜日

論語と算盤と天風哲学と電卓 パート7

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく) パート7」だ。

諸君、「孔子様は、『天命を知る』は、どこから知ったのか? どうして知ることが出来たのか?」という疑問に答える前に、諸君の心や肉体が、「人間=自己」に対してどんな関係にあるかについて説明しよう。
心や肉体が人間そのもののように多くの人は認識されているが、本当のところは、ズバリ実はそうではないんですよ。
人間がこの世に活きるのに必要ないろいろな方便(ほうべん)を行うための道具という関係にあるんですよ。
哲学的にいえば、心や肉体は人間の個体生命の存在と生活とを確保存続させるに必要な不可分的生命付属物なんですな。
故に、心や肉体は、「人=自己」ではなく、ましてそれが「人=自己」本体ではないのであります。
諸君、これは人間創造真理でもあり、「本然の自性」と呼んでいる天風哲学の真骨頂であります。
そして、天風哲学の基本中の基盤、土台中の一番基礎になっている「真我の要諦」の要素の一つであります。
小難しくなってきましたので、背伸びでもして、長く、ゆったり深呼吸して、頭と体をほぐして下さいな。
この話の続きは明日また。
では・・・
今日一日、真我とともにあらんことを

天意天風

2010年1月10日日曜日

論語と算盤と天風哲学と電卓 パート6

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく) パート6」だ。

諸君、諸君の中にも生前の私の著書を手にとって読まれた方もおられるでしょう。
天風哲学の真骨頂は「人間は万物の霊長である。」という根幹に流れている絶対の真実である。
ここが一番大事なことであるが、特に忘れてはならないことは、万物の中でも人間は、宇宙根本の創造エネルギーの分派分量を最も多く頂戴しているということだ。
ヨガ哲学では「先天の一気」と呼んでいるんですよ。
人間以外の生命が真似(まね)することのできないほど、まことに多くの分量をいただいている。
故にこのことが、人間が自然物の中で霊長といわれる所以があるんです。
けっして人間のおごりでそう言っているんじゃないんですぞ。
天風哲学は、造物主が人間を万物の霊長として創造された、人間本来の面目とは何かを、私の生涯かけての体験経験から問うて、探究して、導き出した実践哲学なんですよ。
その目的は、万物の霊長たる本来の人間に立ちかえること。
そして、本来の人間として生きることなんですよ。
生前はこのことを真人間として真人生を生きることを天の導きを得てお伝えしていたんですよ。

「天風哲学は、本来儒教や仏教、神道などをはじめ、多様な宗教や哲学を『打って一丸』としたものであり、日々に自ら実践し、行うものであり、人生という社会生活の現場に活かしてこそ意味がある。 単なる知識だけの修得では、『論語読みの論語知らず』と同じことで意味がない。」

これは私の生前に述べた言葉なんですぞ。
この話の続きは明日また。
では・・・
今日一日、真我とともにあらんことを


天意天風

2010年1月9日土曜日

論語と算盤と天風哲学と電卓 パート5

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく) パート5」だ。

諸君、「論語」、為政(いせい)篇四章をかみくだく前に、御参考までに一般的に、このように訳されているんですよ。

「私は十五歳の時に学問によって身を立てようと決心した。」
「三十歳で自分の立場ができた。」
「四十歳で自分の方向に確信を持った。」
「五十歳で天から与えられた使命を自覚した。」
「六十歳で誰の意見にも素直に耳を傾けられるようになった。」
「そして七十歳になると、自分でおさえる努力をしないでも調和が保てる自在な境地に達した。」

「論語」は、約二千五百年前の孔子(孔丘 こうきゅう)を中心とする人間集団のエピソードの対話記録であるからして、孔子の言行を主とし、弟子たちとの対話、弟子たち自身の言行などを孔子の没後、編集したものであるから、長い歴史の変遷を経ながら、様々な方々に、様々な解釈をされてきたんですよ。
解釈する方のとらえかた、考え方に、またその方の時代の背景や、境遇、おかれた立場において、多少意味合いが、表現が異なっているんですな。
「論語」は、長きの間、人間倫理道徳の規範として未だに使われている以上、人間真理を表現しているからこそであり、人間くさいが故、生きていく指針、実践とするうえでは、分かりがよかったんでしょうがね。
諸君もそのことをふまえて、私の話をよく聞いて、自分のものとして、よく咀嚼(そしゃく)して頂ければ結構だ。
諸君の心一つのとらえどころ、考えどころですからな。

五十歳にして天命を知るに及んだ孔子様だが、自身の天命をどこから知ったのかというのが、疑問で知りたいところだね。
自分に置きかえれば、諸君も
「私の、俺の天命ってなんだろうか?」
知りたいと思いますでしょうよ。
天風に言わせれば、解釈一つでそのヒントが隠されているんですよ。
ましてやこれから立って行こうとする方であれば当然であろうよ!
それは「五十歳で天命を知る。」「六十にして耳順(みみしたが)う。」
ここなんだ!
ここを注目の的にしたんだね!
この順番とその解釈で、まったく意味が異なるんですよ。
諸君、ここで言う天風流「論語」解釈の中心基軸になるものがあるからなんだ。
この話の続きは明日また。
では・・・
今日一日、真我とともにあらんことを

天意天風

2010年1月8日金曜日

論語と算盤と天風哲学と電卓 パート4

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく) パート4」だ。

諸君、「論語」の中によく、引用される有名な一説がある。
孔子先生、辞世(じせい)を詠(よ)んでの弟子との会話だとされているものです。

子曰く、
「十五にして学を志す 三十にして立ち 四十にして惑(まど)わず 五十にして天命を知り 六十にして耳順(みみしたが)う 七十にして心の欲(ほっ)する処(ところ)に従(したが)えども矩(のり)を超(こ)えず」

諸君も、どこかで読んだり、聞いたことがあるでしょうよ。
天風流に解釈すると、孔子先生が言われるには、
十五歳で学問で身を立てていこうと志(こころざ)した。
三十歳になって学問のあるおかげで重用(ちょうよう)され、立身出世した。
四十歳になって己(おのれ)のなすことに信念がもてるようになり、心が迷わなくなった。
五十歳にして天から与えられた天分の自分の使命に気づいた。
六十歳にして自我の心の耳が我が内なる真の自己を通じて、内なる声、天の声、天の啓示の声に素直に心の耳をかたむけてよく聞くようになった。
七十歳にして自我の心の働きである思ったり考えたりする意識のままに行動しようとも天の摂理(せつり)に自ずと沿うようになった。

孔子七十歳を超えての大悟の気づきであると天風は解釈している。
明日は、上記の内容をかみくだいて話をすることにする。
では・・・。
今日一日、真我とともにあらんことを


天意天風

2010年1月7日木曜日

論語と算盤と天風哲学と電卓 パート3

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく) パート3」だ。

諸君、「論語」は、孔子と弟子の対話による言行録であることは、今さら偉そうに言うまでもありませんな。
その「論語」を通して、孔子と弟子のやりとりで、孔子の処世術や孔子の性格やその意味を、渋沢哲学と天風哲学に照らし合わせて考察してみたい。
また、渋沢哲学と天風哲学は、真理を表現している一つの側面として、そのプリンシプルとなる柱(はしら)は、相通じるものがある。
ここでは、諸君に天風の「論語」観を少しずつ述べてゆきたいと考えている。
天風さん、何を言いたいんだいと問われれば?
天風流「論語」観を中心基軸にして、論語を解釈するとどんなとらえ方、考え方になるかということだね!!
わかりにくいかい?
つまり、天風流のものさしやスケールでの新説「論語」解釈ですよ。
まず、渋沢さんと天風の相通じる共通の側面は、渋沢さんが生前にこのように述べているんだよ。

「世に生まれ出たのは、直接には父母の恵みであるが、本源は、造物主であって、何事かやるべき使命を与えて、自分をこの世に出したのだから、使命を全うするのは人間の義務である。
才能がある者はあるだけ、また少ない者も少ないだけの才能を用いてそれぞれ力を尽くすのが、人としてこの世に対する義務であると私は確信している。
私自身、ここに人生の方針の基準を置いている。
これは必ずしも『論語』から得たものでもなければ、仏教や神道に学んだわけでもない。
ましてやキリスト教によるはずもないから、ただ私の性格から自然にこのように信じるよりほかない。
もっとも論語には天の使命に関することが説いてある。
孔子は、『怪力乱神(かいりきらんしん)を語らず』と言って、仏教のように三世(さんぜ)を説かないが、論語一編を通読すると、孔子も自分以外に自分を導くものがあることを信じていたようだ。
孔子自身もまたその一生を天の命じるところに捧げたのだろうと思う。
私はこの世に生まれた人は、いずれも天の使命を帯びていると信じているから、自分もまた社会のこと、公共のことには出来るだけの貢献をし、その使命を果たしたいと考えている。
単に実業家として一身の利益を図り栄達(えいたつ)を望むのなら、他に財産を蓄える方法があるかもしれないが、これは私の主義でない。
また死んでいくこの身が巨万を蓄え、これを子孫に遺すということもやりたくない。
ふだん私が公共のことに心がけて、一般の実業家とやり方をやや異にしているのも、要するにこの信念からきたものである。」

諸君、この続きは、明日また・・・では。
今日一日、真我とともにあらんことを


天意天風

2010年1月6日水曜日

論語と算盤と天風哲学と電卓 パート2

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく) パート2」だ。

諸君、何故か今「論語」ブームなんだとか?
一昨年8月、北京オリンピックがありましたね。
その8月8日の開会式のセレモニーに、孔子先生が中国の長い歴史の中の、思想的な象徴として、上手に表現されていましたな。
ご記憶に残っておりますでしょうかねぇ~。
そんなことまったく興味がないという方もおおぜいおられるでしょう。
「論語読みの論語知らず」こんな成句は聞いたことありませんかね?
この文句なら知ってますかいな?
この成句の一般的解釈はね、書物の内容を頭で理解するだけで、それを社会生活の中でどのように実践すべきかに思い至らないことの例えとの意味なんだね。
渋沢栄一翁は、論語を人生哲学とし、さらに実践経営哲学に換言したんです。
つまり置きかえて渋沢流に作り上げたんだね。
算盤(そろばん)は実質的経済活動の象徴なんですな。
ズバリ! もうかるか? もうからないか? の算盤勘定のことだね。
渋沢さんは独自の、「道徳経済合一説」という理念を打ち出したんだ。
その目的はと言うと、「経世済民」(けいせいさいみん)なんだ。
ご存知の通り「経済」という言葉のもとになったものだね。
民のために、経済を発展させることによって、世を治め、民の苦しみを救うことの意味なんだがね。
早い話が、国民の生活を経済において豊かにしようというのがその主旨、本旨なんですよ。
幼少期に学んだ「論語」を拠り所に、人として守るべき道、つまり道徳と利益の両立を掲げ、経済を発展させ、利益を独占するのではなく、国益と国全体を豊かにするために、富は全体で共有するものとして社会に還元することを説くと同時に自身にも心がけた偉い人なんだ。
儒学と陽明学と経済をかけ合わせた、渋沢の独特の経営哲学を通して、基幹産業やそれに付随する多種多様な企業の設立に関わった方なんだ。
今日はこれまで、この話の続きは、明日また・・・では。
今日一日、真我とともにあらんことを


天意天風

2010年1月5日火曜日

論語と算盤と天風哲学と電卓 パート1

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「論語(ろんご)と算盤(そろばん)と天風哲学(てんぷうてつがく)と電卓(でんたく) パート1」だ。

諸君、毎年恒例の年中行事となった正月の2日と3日に行われている箱根駅伝はTVなどで御存知のことでありましょう。
ATAGO日記の1月3日のブログを見ていただければ、復路ゴールになっている読売新聞本社前までのアンカーのラストスパートの写真とともに感動の様子が書かれてありますよ。
私こと天風のブログと合わせて見てやって下さいな!
写真に写っている石の橋は「常盤橋」と言って、東京駅の日本橋口から日本銀行へ向かう途中にある橋なんですよ。
そこに小さな公園があるんです。
その公園の中央上段に「日本資本主義の父」と呼ばれる渋沢栄一・青淵翁(しぶさわえいいち・せいえんおう)の立像があるんですよ。
別に立像や像はここだけではありませんが、知る人ぞ知る偉人でありますよ。
渋沢栄一翁故人においては、「日本資本主義の父」という尊号は非常にいやがっておりましたがね。
私の個人ごとですが「哲人天風」、これは非常に気に入っていますよ。
鉄人28号じゃありませんぞ。
黒子君がその公園近くをよく通るものですから、必ずその立像に向かってあいさつをしているんですよ。
それがいつの間にか黒子君の習慣となっているんだね。
その立像になった渋沢栄一氏だが、天保11年2月13日(1840年3月16日)生まれの私の大先輩にあたるんだがね。
この人は、私が好きなプリンシプルのある積極的な大人物なんですよ。
諸君も御存知の現在のみずほ銀行の創設者なんですがね、もっと諸君になじみあるのは必ずと言っていいほどTV等でCMを見ておられるだろう、かのキリンビール、そして、サッポロビールの創設者の一人なんですぞ。
この方がいなかったら、キリンビールやサッポロビールは無かったかもしれませんな。
別の名前のラベル名になっていたのかもしれないですぞ。
諸君知っておられましたかな?
ビール会社はいずれはできたとしても、なじみのキリンビールじゃない!ライオンビールとか白クマビール、ぞうさんビール、ドラゴンビール、ジャイアンツビールとかね?
サッポロビールは、箱根ビール、大黒(だいこく)ビールかもね?
どちらにしても、渋沢さんほど精力的にいろいろな事業を企業化した人はいないんですよ。
この話の続きは、明日また・・・
今日一日、真我とともにあらんことを


天意天風

2010年1月4日月曜日

善いことは徹底してまねる パート16

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「善いことは徹底してまねる パート16」だ。

諸君、本日より仕事初めの方もいらっしゃるでしょう。
初仕事ですな。
洗面所の鏡に向かって、ニコッと笑って、溌剌颯爽と気を入れて、気を引き締めて行きましょう!!
本日で「善いことは徹底してまねる」のテーマは一応のシメとします。
「善いことはなんでもいいから真似しろ、悪いことはうそにもかりそめにも真似するな」
この言葉を「らしく」で置きかえてみる。
「善いことはなんでもいいか『らしく』真似しろ!」
この言葉をさらに置きかえますよ。
「善いことはなんでもいいから真実そうなった『ごとく』徹底して真似る」
実際、模倣が極度に到達すると真実と寸分の相違のないようになるものなのである。
諸君、いずれにしても自己を完全に啓発し、自己を真実に向上させ人の世のために真に役立つという真人となろうためには、ひたすらこうした心がけで何でも善いことを「らしく」「ごとく」模倣することに専念するべきである。
そして、悪いということは、特に人の迷惑になるようなことは嘘でも「らしく」、それから「ごとく」真似をしないことだよ。
「オレ!オレ!詐欺(さぎ)」なんていうのは、悪いということの「らしく」「ごとく」の典型だね!
え~え、決して真似しちゃいけません。
いちいち私がくどく言わなくとも諸君は、すでにおわかりのはずだ。
このテーマで話してきました真理に鑑(かんが)みられて、自分以外の人の善きところや、自分でここのこれは良いことだと思うことは、進んで極力熱心に模倣されたい。
模倣の極致は本物です。
いずれ、諸君が本物になるからです。
そして、本物は、善き見本、お手本として諸君を見習うようになっちまうんですよ。
では、明日また・・・
今日一日、真我とともにあらんことを

天意天風

2010年1月3日日曜日

善いことは徹底してまねる パート15

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「善いことは徹底してまねる パート15」だ。

諸君、正月の三箇日(さんがにち)の三日目ですね。
もう初詣には行かれましたか?
さすがに新年はにぎやかでしょうな!
このときばかりお賽銭をなげ入れて、二礼二拍手一礼をする。
心の中はていうと、願いの叶わぬことでも、この際お願いできることは、神頼みでも仏頼みでも何でもかまいやしない。
この不景気もう切羽詰まっているから形振(なりふ)りかまってられない。
願えるだけ願ってお願いしちまおうって、ま~そんなところしょうかね?

京都栂尾(とがのお)の明恵上人(みょうえしょうにん)が檀家(だんか)の信者に向かって言った。
「七日七夜のあいだ、茶断ち、塩断ちしてござれ。」
昔の人は、茶断ち、塩断ちが、六根清浄のはじまり、序の口のおきまりだったのかねえ?

明恵上人はいつごろの人かというと、鎌倉初期(1173~1232)の僧で、紀伊の人。
辞典に出てるプロフィールです。
華厳宗の中興の祖。
諱(いみな)は高弁。
高雄山の文覚に師事し、のち紀伊白上の峰で修行した。
後鳥羽上皇から栂尾山を賜り、高山寺を創建して、華厳宗興隆の中心道場とした。
戒律を重んじ、著書「摧邪輪」で法然を批判。
また、宋から将来した茶を栂尾山で栽培した。

とある。
そして七日七夜のあいだ茶断ち、塩断ちして、やっと安心立命のおさとしを受けることができると思って、喜びいさんでお寺へ来ると、明恵上人さん、「本堂にござれ。 ご本尊の前でおさとしをお聞かせしよう。」
ここは「盛大な人生」に述べてある通りだね!!
それで明恵上人は、自分の持っている大上人(だいしょうにん)の位の僧服を身につけられて、本道に出られて、須弥壇(しゅみだん)の上から、「よく承(うけたまわ)れ」
「ハハッ」と手をついて檀家(だんか)の信者がひれ伏すと、「安心立命の大義というのは難しいことではござらん。 ただ一言(ひとこと)ですむ。 ようく耳をそばだてて聞きめされれや。 安心立命の大義はのう『らしく』しなされ。 『らしく』生きなされ。 これだけじゃ。」と、こう言った。
聞いた信者はびっくらこいちゃった。
どういう難しい、尊いことを言ってくれるかと思ったら、「らしくしろ、らしくしろ」。
これはとりもなおさず、模倣なるものは、言いかえると真似事というものは、「らしく」する。
それから先は「ごとく」する。
善いことは真実となった「ごとく」徹底して真似る。
その極致に到達すると真実と同様になるぞよ。
これがあらゆることにも通ずる極意でもある。
この話の続きは明日また。
今日一日、真我とともにあらんことを

天意天風

2010年1月2日土曜日

善いことは徹底してまねる パート14

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「善いことは徹底してまねる パート14」だ。

諸君、初夢は見ましたかな?

一度も経験したことのないことが、いつかどこかですでに経験したことであるかのように感じられることをフランス語で〔deja-vu〕デジャビュと言いますね。
日本語では既視感と言います。
これは霊性意識からのインスピレーションですね。
つまり霊魂の意識からの示唆とも言えます。
夢を見ることもその一つの示唆やメッセージでもあるわけですね!
すべてとは言いませんが、心の中のゴミや垢(あか)の掃除がきれいに出来てきますと、自ずと、霊感とか霊能といちいち言わなくとも、閃きや、インスピレーション、直感、第六勘と言われているものが、自ずと発露するもんなんですよ。
ただ、それに気がつかないか、自覚していないだけなんです。
〈特別にこの世ならざる力が働いて突然霊感が働いて霊能者になった〉、そのような方もおられるでしょう。
しかし、人間は良い意味で、誰一人もれおつことなく、先天的に霊能力者なんですよ。
私はそう思う。
このごろは見えざるものが見える、聞こえざるものが聞こえるという方は、もう珍しくもありませんね。
霊感・霊能と言っておりますが、人間の本質は永遠不滅の霊魂なんですよ。
これは、いまさら言うまでもない真実であります。
「らしく」すれば霊感が出てくるのはしごく当たり前、当然のことなんですよ。
人間本来に生きるには、人間本来の面目のプリンシプル(原理・原則)に合わせて、「らしく」生きることですよ。
人間本来の面目とは、自分の本来の姿であり、真実の自己である諸君の霊魂のことですよ。
これが、真我と呼んでいる真実の自己のことです。
自我の心、小我の心が真実の自己に気づいて、積極的によくそれに合わせていくことが、私が言っている、「らしく」生きる生き方、考え方です。

「万物の霊長たる人間として生まれたんだから、生んでくれたんだから、そのことを自覚して、感謝して、まず、『万物の霊長たる人間らしく』生きましょうよ」

という新年にあたっての天風から諸君への提案であります。

本日はこれまで。
この続きは明日また。
今日一日、真我とともにあらんことを


天意天風

2010年1月1日金曜日

2010年、平成22年の新年のごあいさつ

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「2010年、平成22年の新年のごあいさつ」であります。

諸君、新年明けましておめでとうございます。
一年(いちねん)の計(けい)は元旦(がんたん)にありと言いますね。
今年の計画は元旦に立てるということだね。
2010年、平成22年の1年365日は本日より初一日、初一歩が初まるんですね。
諸君の初一年、初一念の計画を立ててみてはいかがでしょうかね。
一日の計、一年の計、一生の計、一家(いっか)の計を四計と言いますね。
今年一年は、私こと天風は、
「積極一貫銘心堅固(せっきょくいっかんめいしんけんご)」
でいきますよ!
積極とは「尊い心」「強い心」「正しい心」「清い心」を合わせての意味ですね。
銘心堅固とは、心に刻みつけ、しっかり定めて動かないことの意味ですよ。

『積極の真意の尊く、強く、正しく、清くを心に刻みこんで、しっかり定めて不動の心としましょう!』
ということです。

この言葉をそえて、諸君が、宇宙真理に順応し、正々堂々健康と運命の勝利者としての現実を自身のものとして、ますます発揮されんことを心中真心より祷(いの)りまして、天意天風の新年のごあいさつといたします。
今年一年、真我とともにありますように!

天意天風

2009年12月31日木曜日

善いことは徹底してまねる パート13

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「善いことは徹底してまねる パート13」だ。

諸君、もう一つ寝るとお正月だね。
え~え、本日はジョヤノカネとともに、1月1日の元旦を祝うお祝いのカネとしましょうね。
私は、世間が狭いものですから、煩悩をはらうというより諸君のことや日本のことや世界の人々や人間の真我のことが、気になるんですよ。
本音を言えば、色々な目に見えないことや既成概念的に影響を受けている諸君に、本来、万物の霊長としての貴重なことをバンバン言っていきたいのだけれど、今は言えないんだが、生前、天風哲学なんて、この世の肉体を持っていることに限定をせざるおえない時代であったものだから、そんなこの世、こんなあの世、なんて限定しちまって、ちっちぇえ世界だなって錯覚していましたよ。
生前にね、肉体を持っているときに限定していたこの世の一生は一生だとしたんだが、それは純粋に鑑みれば、矛盾でした。
真理は、この世もあの世も真理です。
この世の人間真理は、宇宙真理ゆえ、あの世にもはたらく真理に他ならないんですよ。
私は、新たな人類の人間の真理はこの世のあの世を分け隔てなく、人間真理、宇宙真理として同時に当然のこと考えても受け入れられる次元を超越した世界でもある。
特に2013年以降の節目にやっとのぞむように訪れる時がくるんですね。
除夜の108つの鐘の煩悩を去り、その時代の機会を得て、この時勢の勢いをかりて、元気いっぱいガンガンいきますよ。
諸君、覚悟はよろしいですかいな。
よっしゃ、いくぞ!
心のゴミや垢を取り去り、心新たにきれいにして颯爽溌剌たる新鮮な元気で日々更新し、日々新たなりの気持ちで大晦日から新年を迎えるカウントダウンをしようよ!!
いいですかい!!
諸君、元気よく積極的に新年をお迎えいたしましょう!
すべてを新たにしてみんなみんな真心より感謝と愛している!!と大声でゆく年くる年の時の境で宣言して叫びましょうよ!! ね!!
紅組のトリはDREAMS COME TRUE だね。
いいかい!! いくぞ!!
カウントダウン 3・2・1・0!
諸君、明けましておめでとうございます。
諸君のかけがえのない命を大切にしてください。
今年一年幸多かれと心中より感謝し、祈っております。

天意天風より

2009年12月30日水曜日

善いことは徹底してまねる パート12

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「善いことは徹底してまねる パート12」だ。

諸君、「朱(しゅ)に交(まじ)われば赤くなる」という成句がありますが、お耳にしたことあるでしょうよ。
人は交わる友、または環境によって、良くも悪くもなるという意味ですな。
レインボーカラーに交わればレインボーカラーになるのかな?
どうだろうかね。
生前の私の著書「盛大な人生」の中に「十牛訓」(じゅうぎゅうくん)という禅の教えでね、つまり修行の段階と心の階梯とその境地というものを説いた、禅のほうでいうと非常に厳しい教えを天風流に人生真理に照らし合わせて説いたんだね。
よろしかったら「盛大な人生」を読まれると出てくる話です。
京都栂尾(とがのお)の明恵上人(みょうえしょうにん)という人が、安心立命(あんじんりゅうみょう)の大義を檀家(だんか)の信者に説いた話に、「らしくせよ」というのがあるんですよ。
「らしくせよ」です。
ねえ、人間で生まれてきたのにね、人間でなくなっちゃった。
よくいうでしょ、「私らしくしたわ!」この「らしく」だね。
ある檀家の信者が、「毎度のお説教で、もうすっかり私の心の中のよごれや垢は取れたように考えますけれども、ただ一つこのごろヒョイと自身の心をのぞいてみますると、死んだ後(のち)がどうなるだろうか? このまま一体どんな人間になるであろうか? この家の商売の行く末はどうなるであろうか? ということを考えましてな。 おっしゃるとおりの安心立命というような気持になれませんでございます。 もうとる年でございますので、お迎えを待つだけではござりまするけれども、まだ悟りが足らないと思いますので、どうぞ、そこをひとつおさとしをお願いたいものでございます。」
そうしたらね、明恵上人「それはいとやすきことながらのう、人間、今生(こんじょう)の御大事(おんだいじ)じゃ。 心も身も清めてござれ。 『六根清浄(ろっこんしょうじょう)』してからおさとしいたそう。」と、さももったいぶって言ったんだろうね。
「六根清浄」というのは、仏教の用語でね。
感覚や意識をつかさどる六つの器官とその能力を表現したもので、すなわち、眼根(げんこん)、耳根(にこん)、鼻根(びこん)、舌根(ぜつこん)、身根(しんこん)、意根(いこん)の六つの根からなる総称で、六根の執着を断ち、清浄な精神を所有し霊妙な術を修得することにあるとされている。
はやいはなし、霊妙な術とは一言でいえば「霊感」のことなんだがね。 
この話の続きは明日また・・・では。
今日一日、真我とともにあらんことを

天意天風

2009年12月29日火曜日

善いことは徹底してまねる パート11

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「善いことは徹底してまねる パート11」だ。

諸君、昨日の話の引き続きですな。
話があちこちとんでしまったがね。
昨日は私の恩師 頭山満(とうやまみつる)翁(おう)の話をちょっとだけしました。
大辞林の辞典には、私の名前は出てこないんですが、頭山先生は載っていますな。
知らない方のために大辞林に記載されているプロフィールをまずは御紹介しましょう。

〈頭山 満〉(1855-1944)
国家主義者。 福岡県生まれ。
萩の乱に参加して入獄後、自由民権運動に参加。
のち玄洋社を結社。
国家主義に転じた。
大アジア主義を唱えて大陸進出に暗躍し、黒竜会・大陸浪人などを支配する右翼の巨頭的存在となった。

とまあ、こんな解説ですな。
私の生前の著書をお読みになれば、頭山恩師の人となりは、多少とも御理解いただけるでしょうかな?
「天真は流露」を地で行く生き方をされた、胆の太い腹の据(すわ)った人物でしたよ。
「真理のひびき」に述べたとおりでありますがね、あらためてここで掲載させて頂くこととしますよ。
明治35年、私が26歳のときでしたね。
陸軍参謀本部諜報部員として厳しい特殊訓練を受けたあと、満蒙の地に潜入して、諜報活動をすることに従事することになったんですよ。
つまり任務は、「ロシア軍の情報収集と偵察せよ!」だったんだ。
今どきのHISかJTBで中国奥地に観光旅行ツアーに行くんじゃないんですからね。
生きて帰れるかわからない、否、生きて帰れないことは必定!
仕事柄、「靖国であい見(まみ)えよう」がお互いのあいさつになっていたんですよ。
さりとて、お互いにわかっちゃいるが、仕事が仕事ですから「何しにいくか?」「ああで、こうで」なんてね、明かしちゃいけないんですよ。
軍の機密ですからして・・・
もともと恩師は余計なことは聞きも言いもしません。
そんな方でしたよ!
実は、これが最後になるとの覚悟の〝いとまごい〟に参上したときの恩師の言葉ですよ。
「できるだけ善かことは、極力真似することばい。 そして人に迷惑かくるような悪かことは決して真似するでなかぞ」と懇(ねんご)ろに言われたんですよ。
後からよく考えてみれば、これから死にに行く人にこんなこと言いやしませんよ!
「おはんは必ず成長して生きて帰ってこんしゃい。 じゃどん、今、ひとときの別ればい!」との励ましとはなむけの言葉だったんだな。
うれしいね!
私に対する真心からの恩師の思いやりの言葉でしたよ。
諸君、この話の続きは明日また・・・では。
今日一日、真我とともにあらんことを


天意天風

2009年12月28日月曜日

善いことは徹底してまねる パート10

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「善いことは徹底してまねる パート10」だ。

諸君、「善いことは徹底してまねる」というテーマで語ってきました。
「善いこと」を徹底してまねるということの「善いこと」の真意は、なへんにあるか。
ここらへんの大切なことを御理解されないと、何でもまねすりゃいいんだと、単なるうわっらだけのサルまね、人まねになって、「仏の像の形だけつくって中身の魂(たましい)入れず」ということになりかねんからな。
往々にしてあるというよりほとんどがこれだ。

御存知かもしれんが、私の恩師、頭山満(とうやまみつる)翁(おう)の居室に、西郷隆盛がこよなく好まれた言葉「敬天愛人」と書かれた額が掲げてあったのを、あるとき野田大塊(のだたいかい)が見て、「こりゃ偽物たい」と言うと、ニコニコしながら、「偽物でも何でも文句が善かけん、おいどんは本物だと思うて朝夕有りがたく心の鏡として見とるよ」と、こともなげに言われた。

どんな言葉でも人間真理を表した言葉は、とらえる人間および、とらえ方において、含蓄の深い意味がこめられているのもだ。
頭山恩師は西郷南洲翁をこよなく尊敬されていた。
書が本物かということよりも、書かれている言葉に西郷さんを良師とし、良師が指針とされていた言葉は、師の言葉として、また心の鏡として、また至心としていたんだ。
私は二人のやりとりの一部始終を傍らで耳にした。
なるほど模倣に対する結局は、その心の思い方、考え方で、それが人生観となり、心のとらえ方、受け方となって、何事においても、ひょんな出来ごとでも、何気なしの出来ごとであっても対人態度、交人態度、自身の人生態度になってあらわれ出てくるものなんだとつくづくその言葉から計り知れない尊いものを直感したものである。
今日はこれまで。
この話の続きは明日また・・・では。
今日一日、真我とともにあらんことを


天意天風

2009年12月27日日曜日

善いことは徹底してまねる パート9

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「善いことは徹底してまねる パート9」だ。

諸君、昨日の話の引き続きですな。
五両と言えば大金だ!
傍らにいた泥舟が、「よせよ、全然覚えのない明らかに偽物なんか買うなよ。」といさめるように言うと、鉄太郎の言い草がこれがまたふるっているんだ。
「当然、偽物ということは、誰よりも一目(ひとめ)で分かる。 が、とても見事な筆跡だ。 それに書いてある文章がとてもよい言葉だから、俺はこれを手本にしてみるつもりだ。」と言って常に床の間にかけて生涯大事にしていたという。
真似も極致にけば、本物となるエピソードである。
いまどきの時代は、ブランドバックのコピーが出回っているね。
本物とそっくりで見分けがつきにくい。
バックを入れる箱や紙袋まで、何もかもそっくりのコピーで徹底してるね!! 本当にルイジヴィトンだね!!
しかしこの話はな、同じ徹底してまねることであってもルイ・ヴィトンのコピーとは全然異なるんだが、そのへんの真意のほどの違いはお分かりになるでしょうよ!
「ちょっと!ちょっと! 天風先生! 突然でありますが、黒子(くろこ)の代筆者であります。 一つお伺いしてもよろしいでしょうか?」
黒子は黒子に徹しなさいよ!
「はっ、そうでありますが、是非、この際にお聞きしたいことがありまして・・・」
何だ、言ってごらんな!
「はっ、はい、ありがとう存じます。 おそれおおくもかしこくも天風先生にあらせられましては大変ぶしつけで失礼とは存じ上げますが・・・」
もったいつけるな、内輪だ、はっきり言いなさい!
言っとくが、私は明治天皇じゃないんだぞ!!
「はっ、それでは、高橋泥舟先生と山岡鉄舟先生の話をお伺いします。 天風先生は実際にそこにはいなかったんですよね。 ずいぶんとその場に立ち会っているような臨場感があるんですが、この話、本当の実話なんですか?」
何を言っているんだ、黒子君!!
私がそこにいるわけないだろうよ!
泥舟と鉄舟の二人の本人が語ったことを、アレンジを加えたエピソードだと前置きでお断りしただろうが。
「はぁ~、それはそうですけども、この話、天風先生の生前からの話ですよね。」
『講釈師 見て来たことのように言う』と、そんな言葉もあるんだぜ。
ただし、天風が述べているのは、本当にまねるでも、善くまねて下さいな! 善くですぞ!歴史小説家は見てきたように書くだけではおもしろくないよな。
おもしろくよく書くことが天基なんだよ。
いい意味で、インスピレーションをいただいて書いているんですよ。
諸君らもいいかい?
善くまねるんですぞ!
心得ておいてくれよ!!
「天風先生! 先生は司馬遼太郎もどき歴史小説家なんですか?」
黒子君!! 自慢じゃないが、東郷さんに、天風哲人と呼ばしめた男だぞ!
中村家の墓の仕切りの内側に『天風哲人』と石に刻んであっただろうよ。
東郷平八郎元帥も、秋山真之海軍大将も、山本英輔海軍大将とも、本物実物に会って話をしているんですぞ!! いいかね!
生前に本人と話を交わしているんだから、私の場合は「坂の上の雲」じゃない、「坂の下の雲」だよ!!
日露戦争で共に戦って生き残った戦友です!!
ドラマの登場人物の一人に加えてもらってもいいくらいですよ!
小説じゃない体験経験なんだ。
わかってるのか?
天意天風の「坂の下の雲」は、いずれかの機会に話をすることにしよう!
こう御期待だね!

『箴言二十 模倣も極致に到達すると真実と同様になる。 またそこに人に対しての善意がくわわり、此の真理に則(のっと)って、人様にとって、大いに役に立ち、人に須(すべか)らく善いということは、極力、模倣に専念すべきである。』

賢明な諸君でありますから、上記の真意を多少なりとも御理解を賜れていることと信ずる。
この話の続きは明日また・・・では。
今日一日、真我とともにあらんことを

天意天風

2009年12月26日土曜日

善いことは徹底してまねる パート8

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「善いことは徹底してまねる パート8」だ。

諸君、昨日の話の引き続きです。
因(ちな)みに山岡鉄舟は、身長六尺二寸(188センチ)、体重二十八貫(105キロ)という堂々とした大柄な体格なんだよ。
その当時では、見た目だけでも威圧感はすごかったんだろうね!!
今時でいやあ、プロレスラーか野球選手で元ジャイアンツの清原選手バリのガッチリした体格だったんだろうねえ。

「本物かね?」と聞くと、「真筆に間違いありません」と言い切る。
そこで、鉄舟は主人に「お前は山岡という人を知っているのか?」と言うと、「ええ、よく存じ上げていますとも」と当の本人の鉄舟を本人とも知らずに平然と言うので、実は俺が正真正銘の山岡だと言おうと思ったが、あまりにもその掛物の字が見事(みごと)なので、「ずいぶんうまく書けているね」と言うと、店の主人がこう言った。
「これは、山岡大先生の傑作中の傑作なんです。 実は故あってありがたいことに手に入りましたものです。 めったにない掘り出し物ですから、いかがですか、お求めになられては・・・」
「この山岡大先生のこの書軸は因(ちな)みにいくらだね?」と訊ねると、「本当は十両と申し上げたいのですが、今夜の初めてのお目が高いお客様ですから、清水の舞台から飛びおりたつもりで、喜んで半値の五両にさせていただきます。」と言う。
鉄舟は笑いをこらえてはいたが、あまりにも主人の堂々とした振る舞いに、こらえきれずに思わず「アハハハハー、アハハハハハー、アハハハハー。 実に愉快だ。 知らなかったこととは故、鉄舟の名をかたられるほど俺も有名になったものだ。 偽物とはいえ、ずいぶんと値打が出たものよ。 これ主人よ、山岡大先生の書軸とあれば、これは値打もの! 主人の言い値で求めてつかわすぞ」と即座にそれを買い求めたので、そのやりとりの一部始終を傍らで見ていた泥舟が、「よせよせ、全然覚えのない偽物なんか五両で買うなよ!」と鉄太郎をいさめるように言った。
この話の続きは明日また・・・では。
今日一日、真我とともにあらんことを


天意天風

2009年12月25日金曜日

善いことは徹底してまねる パート7

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「善いことは徹底してまねる パート7」だ。

諸君、日本橋の丸善に寄って、その帰りに、家内や家族に頼まれた銀座木村家のあんパンを箱に入れてもらって、もちろん買って帰る。
あんパンだけじゃなくジャムパンも好評だったね。
おつかいものにも大変喜ばれたんだね。
山岡鉄舟も木村家のあんパンが大好物で、毎日あんパン食っていたという逸話もあるくらいだ。
明治天皇の侍従をしていたおりに、天皇様に下下(しもじも)の巷(ちまた)の世間の話をしていたおりのことであろう?
「ありえる話だ」ぐらいに聞いて下され。
「山岡!下下(しもじも)で何か面白い話はないか? 巷で流行(はや)っているものはないか?」
「はっ!陛下におわされましては、御機嫌うるわしく存じ申し上げます!」
「山岡、内輪じゃ! もったいぶるな!」
「はっ、実は先ごろ銀座に和菓子と洋菓子を合わせた、あんパンと称する饅頭らしきものが大変な評判
であります。」
「ほ~そうか! その饅頭らしきあんパンと称するものを其方(そち)は食(しょく)したであるか?」
「はっ!食(しょく)してございます。」
「山岡、それはどうであった?」
「はっ、どうであったとは?」
「どんな味がしたかときいておる!」
「はっ、どんな味と申せば、食べてみなければ、わからない味かと」
「山岡、其方(そち)はうまかったのか?まずかったのか?どちらであるのか?正直に申せよ!」
「はっ、陛下、これがこたえられない美味でございます!」
「『ます!』とは引き続き食しておるのか?」
「はっ、御意にございます。」
「ほ~お、そうであるか。 朕(ちん)も一度食べてみたいものよのお~、山岡!」
「はっ、さっそく御意の通りにいたしまする。」
こんな会話のやりとりがあったかどうかわかりませんがね。
明治8年、明治天皇の水戸家の行幸(みゆき)の折、侍従山岡鉄舟より酒種桜あんパンが献上され、ご試食の栄を賜る。
天皇様もお気に召し、皇后様は特に愛され、引き続き上納の栄を賜ることになったそうな。
その山岡鉄舟と高橋泥舟の二人は泥舟の妹の英子の夫が鉄舟なもので、親戚でもあり、年齢もほぼ同じで、とにかく兄弟のように仲が良かったんだな。
「おう~、鉄太郎、どうだいたまには銀ぶらでもしようぜ!」
「おうよ!いいねぇ!でいにい、行こうぜ!」と
二人のいきが合って、夜店が出てにぎやかになってくる宵の口から、二人で銀座に繰り出した。
そのとき泥舟が一軒の古道具屋に掛けてあった軸物を指して、「おい、鉄太郎、貴様の筆だという掛軸が売りものに出てるぞ」というので、「そうか」と言って鉄舟がよく見ると、全然自分の書いた覚えのない字なので、「おい、その掛物は誰が書いたものかね」と古道具屋の主人に訊ねた。
ニヤニヤしながら「ここに添え書してあるとおり山岡鉄舟大先生の書かれたものです」とさもさも得意気に言うので、「本物かね?」と聞くと、間髪入れず「真筆(しんぴつ)に間違いありません」と自信たっぷりに言った。
諸君、面白くなってきただろう?
この話の続きは明日また・・・では。
今日一日、真我とともにあらんことを

天意天風

2009年12月24日木曜日

善いことは徹底してまねる パート6

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「善いことは徹底してまねる パート6」だ。

諸君、昨日は内輪の実話!実話!週刊実話の裏話をしてしまった。
裏話を聞かされて興醒めされなかったであろうか?
なんとも、あの世とこの世のいりまじった複雑怪奇!否複雑快気!
あの世とこの世の不思議ファンタスティック、ファンタジックな話だろうね。
これからも十分あり得るので諸君の寛容な愛の心で受け入れて下さいな!
本日はクリスマス・イブでありますから、愛のある、あったかい気持で家族や恋人や友人とともにすごして下さいな!
一人ですごす方はロバート・ゼメキス監督の「クリスマス・キャロル」の映画でも見るもよし、山下達郎さん、稲垣潤一さんのクリスマスソングを聞くもよしですよ!!

前置きが長くなってしまったね。
昨日の続きだったね。
「天風もこの丸善と銀座木村家(屋)のアンパンには思い出があるんですよ。」の話からさせた頂くね。
私こと、天風は1876年(明治9)7月30日東京府豊島郡王子村(現 東京都北区王子)で父祐興(おきすけ)、母テウの三男として生まれたんだね。
本名は中村三郎です。
私の生まれる7~8年前には、丸善も木村家(屋)も開業していたんですよ!
「丸善」は明治2年(1869)、書籍、薬品を商う丸屋として出発し、その後多角的な商売を始めることとなった。
日本橋丸善は明治3年(1870年)3月にオープンしたんですな。
丸善の創業者は知る人ぞ知る、かくれた有名人である早矢仕有的(はやしゆうてき)氏である。
何故かくれた有名人であるのか?
日本全国的に知らない人はいないであろう、かの「ハヤシライス」の考案者なんですよ。
諸君は「ハヤシライス」食べたことありますかい?
あの「早矢仕(はやし)さんのライス」で、「ハヤシライス」となった。
知っている人は知っている、うそのような本当の話ですよ。
インターネットで検索すれば本当だとすぐわかりますよ。
同じく「銀座木村家」も明治2年に、木村安兵衛が東京芝日陰町に「文英堂」を開業したんだ。
開業が同じ明治2年だったんだね。
「文英堂」は明治3年に京橋区尾張町に移り、屋号を「木村家」と改称した。
明治7年に銀座四丁目に木村家の店舗がオープンしたんですな。
このときから、木村安兵衛が酒種あんぱんを考案し日本で初めて第一号のあんぱんが発売され産声をあげたんですよ。
「銀座木村家」の屋号の大看板を揮毫(きごう)したのが、天風が敬愛する山岡鉄舟先生なんですよ。
この続きは明日また・・・では。
今日一日、真我とともにあらんことを


天意天風

2009年12月23日水曜日

善いことは徹底してまねる パート5

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「善いことは徹底してまねる パート5」だ。

諸君、「善いことは徹底してまねる」ということに関しての生前私の述べた逸話があります。
知っている方もおられるでしょうが、諸君のご参考になると思うので、話にアレンジとエピソードを加えながら述べていくことにする。
これは「真理のひびき」の中の箴言(しんげん)二十として書きおろしたものだ。
「模倣も極致に到達すると真実と同様になる 此の真理に則(のっと)って善いという事は極力 模倣に専念すべきである。」
この箴言にあった付随する逸話は、明治維新の直後、王政復古となったとき、ある宵、山岡鉄舟(やまおかてっしゅう)が仲よしの高橋泥舟(たかはしでいしゅう)と銀座を連れだって散歩しているところから始まる。
二人とも知る人ぞ知る有名人であるので、通り一ぺんではあるが、辞典に記載されているプロフィールをご紹介しよう。

高橋泥舟先生が少し先輩であるので、高橋先生からご紹介する。
高橋泥舟(たかはしでいしゅう)(1835-1903)
幕末の幕臣。 名は政晃。
槍術に優れる。 講武所教授。
鳥羽伏見の戦い後は、恭順謹慎を唱え、徳川慶喜の身辺警固にあたった。
勝海舟・山岡鉄舟とともに幕末三舟といわれる。

山岡鉄舟(やまおかてっしゅう)(1836-1888)
幕末・明治の政治家、剣術家。 江戸の人。
通称、鉄太郎。 千葉周作の門人、無刀流を創始。
戊辰戦争の時、勝海舟の使者として、勝と西郷隆盛の会談を周旋、江戸開城に尽力。
維新後、明治天皇の侍従となる。

今日(40年以上も前の生前の「今」のことです)と違って当時の銀座は、夜店といってもさまざまな品物を売る露店が今の京橋までの両側に、にぎやかにずらりとばかりに宵の口から夜更けまでも店を張っていたものである。
諸君は日本橋二丁目の高島屋百貨店まあ高島屋デパートは知っているよな。
マルに「高」の文字のマークのデパートですよ。
その高島屋の道路をはさんで向こう正面にある老舗の本屋があるんだ。
これもマルに「M」の文字のマークの本屋でね、丸善というんだがね。
すぐ京橋で銀座通りに面しているんだ。
今ね、私こと天風の話を代筆してくれている彼はお人好しだがかなり慎重なやつなんだな。
俺はね、俺っていうのは、生前の中村天風という名前の男が、この丸善で本を買ったことがある。
護国寺によく行ってましたからな、銀座ぐらいすぐ近くですからして、よく行きましたよ。
天風もこの丸善と銀座木村家(屋)のアンパンには想い出があるんですよ。
それで、俺は銀座木村家(屋)のアンパンが好きだと言ったら、こいつ「本当ですか? 何かの間違いじゃないですか」と言いやがる。
「先生は女好きとうかがっていますが? アンパンもお好きですか? ホーオ、ヘェー?」
アホヌカセ、食いものは食いものでも、食えねえ食いものと腹の足しになる食いものの違いがあらあーな。

平成二十年八月二十五日、降ってはやみ、やんでは降る雨の一日だったな。
「ご挨拶をかねて、一度くらいお墓参りに行ったほうがよろしいんじゃないですか」と友人に言われて、その気になって、友人二人と三人で連れだって来たんだ。
私の墓参りにな!
こいつ護国寺の本堂のうらの中村家の墓の前で、木村家(屋)のアンパンを人に買わせて、焼みそおむすびとお茶を持ってきやがった。
「天風先生の好物の木村家(屋)のアンパンです。 どうぞ遠慮しないで召し上がって下さい! お茶もどうぞ。」
持ってきたのはいいんだが、死んじまったんじゃ食えねえのをいいことに、「遠慮せずにどうぞ!どうぞ! ご一緒にどうぞ!」と言いながら「うまいうまい、木村家(屋)のアンパンはうまいですね!」と言いながら食っちまったんだな!
俺じゃねえよ。
代筆しているこやつがうまそうに、うれしそうに食ったんだ。
「天風先生、死人に口なし! そう言えば先生は死んでからも口は達者ですよね~。 死人に腹なしですかね~。 先生の代わりにおいしくいただきました。 ごちそうさま! 天風先生、本当に銀座木村家(屋)のアンパンが好きだったんですか? ヤマザキのアンパンじゃだめなんですか?」
平成二十一年十二月二十三日現在、「先生、この話、ブログにのせてもいいんですか?  先生の生前の知り合いの方々、まだまだ御存命ですから、うそだとしたら困っちゃいますよね!」
「なにをゴチャゴチャ言ってやがるんだ。 俺が好きだと言っているんだから好きなんだ、ごたくならべてねえで、そのままブログに書け!!」と言ってやったんだね。
この話の続きは明日また・・・では。
今日一日、真我とともにあらんことを


天意天風

2009年12月22日火曜日

善いことは徹底してまねる パート4

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「善いことは徹底してまねる パート4」だ。

諸君、このテーマのパート1で、「諸君の子供の頃の憧れの的は、憧れていたものは何でしたかね?」と諸君等に問いましたな。
憧れを抱くということは、憧れている存在のようになりたい! 憧れの存在に近づきたい!なれるような存在じゃなくとも夢や勇気や強さ、正義、誠や愛、理由(わけ)は、わかんないけどワクワクしてくる、何故か心引かれる。
白黒テレビの時代から始まった「鉄腕アトム」「鉄人28号」。
カラーテレビに変わったカラーアニメ「機動戦士ガンダム」、毛色の一風変わったところで「ゲゲゲの鬼太郎」、映画アニメ「宇宙戦艦ヤマト」などなど、いろいろあるね。
人の情味をよく表現している映画「ALWAYS三丁目の夕日」は昭和三十年代の東京を舞台にした東京タワーがだんだんに立ち上がっていくところに高度経済成長をあらわしているとともに「月光仮面」に代表される勧善懲悪マンガや劇画がはやっていたね。
今でも人気があるのかな?
女の子には「魔法使いサリー」「ひみつのアッコちゃん」、ちょっと前までは「美少女戦士セーラームーン」などなど人気があったね。
もちろん「ディズニーアニメ映画」や「スタジオジブ
リ映画」も人気だね。
劇画では「五人組の勇士戦士が活躍する戦隊ヒーローもの」「仮面ライダーシリーズ」「ウルトラマンシリーズ」などなど、今も人気がおとろえないね。
昨今は、大人買いというのかな、子供の頃、欲しかったけれど買えなかった、買ってもらえなかったおもちゃなどを、金を稼ぐようになって子供の頃の満たせない欲求を満たすために買っているね。
鉄道のミニチュアや自動車のミニチュアが欲しくてしょうがなかったが、生活がやっとでそんなもの買ってもらえる境遇じゃなかった。
そんな子供時代の満たされない衝動に駆られて、収集狂のコレクトマニアになっている方もいるよな。
いい意味でとらえれば、子供の頃の潜在意識に刻印された強い憧れのイメージの欲求がそうさせているんだね。
別にアニメに限らず「青春のアイドル」や「芸能スター」や「伝記の偉人」も憧れの的にあたるでしょうな。
とにかく、憧れの的は時代の変遷によってその価値観も対象も変わるでしょうが、その中に流れている夢や大志、希望、愛の心、誠の心、正義、友情、恋する心、未知なるものへの冒険心、そして恐れずに立ち向かう勇気、自信を持つこと、やりとおす信念などなどのコンセプトは、変わっていない。
変わらない。
そのことをわかりやすくはっきり表現してくれる、または、なりたい自分を演じてくれるヒーローやヒロインに憧れをもったんですね。
幼い子供心に、お母さんに読んでもらった絵本の中の童話の世界に出てくる「おとぎ話」や「日本むかし話」や「世界の寓話」の中のいましめや教訓がいつまでも忘れられずに心に残っているんですな。

「憧れ」という文字は「童」(わらべ)の「心」と書いて「憧」(あこが)れなんですな!
天風がいう「憧れ」とはね。
幼子(おさなご)の心でいる状態が「憧れ」なんだな。
成長して大人になってもいつまでも忘れないで、捨てないで抱いていたい「憧れの心」は、いつまでも若々しくいられる秘訣でもあるんですぜ。
知ってましたか諸君?
いくつになっても、「憧れの心」の状態は不思議と細胞が生き生きと活性化するんですぞ。
私、天風が言うところの「幼子(おさなご)にかえる。」「童心にかえる。」とは、

「忘れてしまった憧れの心とともに、『無邪気な素直な心』『純真な心』に立ち返ってみようよ。
立ち返って、今一度、諸君の人生に対する考え方思い方を振り返り、自己省察して見直してみる。」

ということだ。
「素直な心」、「純真な心」こそ「本然の自性」、あるがままであるからなんですよ。
本日はこれまで。
この続きは明日また・・・では。
今日一日、真我とともにあらんことを


天意天風

2009年12月21日月曜日

善いことは徹底してまねる パート3

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「善いことは徹底してまねる パート3」だ。

諸君、昨日の引き続きですな。
「何故、目を半分開いているんですか?」の疑問についての天風なりの返答をしよう。
修養が進み、菩薩の心境境地にある状態は、「本然の自性」がそのままあらわれた状態なんだ。
自分の自我に偏見や執着、雑念、妄念、邪念もちろん悪念がある状態じゃないんだ。
一切の曇りがない、澄みわたった心境に他ならないんだ。
本来の自己、霊魂そのまんまの本然の自性がはっきり煥発されたものが「あるがまま」というんだよ。
一切の衆生はみな我と同じ。
またその理(ことわり)そのままが当然の自然のあるがままだから、そんなことすら考えも無い「空」の心の状態だね。
その心境の状態は自ずとある兆候や現象が出てくるんですよ。
本当の人間の本体はね、肉体でもまた心でもないんですよ。
人間の本体はね、絶対の不変にして不朽・不滅なる霊魂なんですな。
信じても、信じなくともけっこうですよ。
信じる信じないに関わらず、これは人間真理なんですな。
人間の心が理屈抜きの菩薩の境地であると、霊魂の中に、この世のすべてのものを正しく理解し得る、偉大なる「光」が発露すんですよ。
この「光」は、この世に在る唯一(ただひとつ)の絶対たる造物主(宇宙霊、神、仏etc.)が、人間の霊魂の中に与えられた造物主の慈悲の光の一雫(ひとしずく)が、輝くように内面から溢れ出てくるんですよ。
勝手に光がもれ出てくる。
肉眼で、この世の外界の光を見ているんじゃないんだよ。
心眼で見ているため自己の内面より光り輝く慈悲の光が、目を閉じていても真昼の太陽の陽の光のようにあふれ出て来るから、まぶしすぎて目を閉じていられないんだな。
そのため目を半分開いているんだ。
その半眼から、慈悲の光が溢れ出ているんですよ。
これも、修養が進むと、諸君らも目を閉じていても、光が感得されることがあるかもしれないね。
これって心眼が開いてきている兆候だな。
これは、目の病(やまい)じゃないですよ。
心が洗われて、曇りが払拭して、取り除かれて、お日様と青窓があらわれたんだね。
当然、心も肉体も内面から照らされ、明るくなるんですよ。
陽気が満ち満ちているんだね!
これを説明しようとすれば無理がある。
「筆舌(ひつぜつ)に尽くし難(がた)い」が、本当のところですよ!

私の観点からものを申すと、仏像の半眼は菩薩のその目から神仏の慈悲の光が溢れ出ている。
半眼の状態をとらえて、表現しているんですよ。
私はそのように感得しております。
日々菩薩の心境で過ごしたいものですな!
諸君、ままならないこの世でありますが、菩薩の心がけとして、その一端でも善きことは大いにまねていきましょうよ!
極論すれば天風の本物の究極のものまねは、菩薩の心境を丸ごとまねるということなんですよ。
以上でこの質疑の返答とさせて頂く。
では、明日また・・・
今日一日、真我とともにあらんことを


天意天風

2009年12月20日日曜日

善いことは徹底してまねる パート2

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「善いことは徹底してまねる パート2」だ。

諸君、今回のこのテーマの話にちょっとずれるところがあるかもしれませんのであらかじめご了承下さいな。
前回の「和顔平気パート4」でのご質問がありましたので、天風なりの解答と解釈をいたすことにする。

その質問は、
「アルカイックスマイルと呼ばれている仏像のことなんだよ。 その顔の特徴は、唇の両端がやや上向きになり、つまり口角がほどよく上がっているんだ。 そして目は静かに半眼に開いている。その顔が微笑みを浮かべたようにみえる。 『和顔』の最たるイメージだ。旧(むかし)から口角を上げることは、人に対して良いイメージを与えているということなんだね!」の話の中で、

「口角をほどよく上げることはよくわかります。 何故その仏像は目を半分開いているんですか?」という純粋な疑問の問い合わせでありました。

私に聞いて頂くより、作った方に聞いて頂くのが一番だろうが、そうもいかんでしょうから、私、天風の思うところでしたら、という条件付きで、述べたいと思うがいいでしょうかな?
「ま~よい」という御返答として話をさせていただきましょうかね!

私は生前に自分で木彫りの観音様を拵(こしら)えたことがあるんだね。
観世音菩薩の菩薩の心が好きでね。
それはね、生前にねえ、私ね、真理の在(あ)り様(よう)にいろいろと気づいてね、ま~その過程なんだがね、

救わないではいられないから救おうと。
見るに見かねちまうからね。
教えずにいられないから教えるんだという気持ちでやりだした。
そうするとね、救わずにはいられないから救おうと思ってやっても、救えない場合、教えずにいられないからと思って教えてもわからない人間がいると、もうどうにもたまらない悶(もだ)えを感じたもんだ。

「何を説いたらいいか、本当に難しいなあ、もう駄目だ。 いっくら努力して説いても、本当にうなずいてくれる人がいないなんて、ずいぶんだ。」って。

それが、いつとはなしに、今は『ただあるがまま』になったけど。
ただあるがまま、正しいこと言ってさえすりゃいい。
そうすれは、正しいことに共鳴した者がくっついてくるんだから。

救わずにいられないとか、教えずにいられないという心は、まだ『とらわれ』であります。
ただあるがまま。

これはね、仏教の『菩薩たる責務』というのをいっぺん読んでから、ああ、そうかと私、思った。
菩薩というのは大悟(だいご)達成、大事貫徹の人のことを言うんだが、諸君(あなた方)だって修養を貫徹してごらん。
救ってあげようと思わなくても、救っちまうから。
この人に教えてやろうと思わなくとも、わかっちまうから。
これは天風の生前の境地を述べたものですよ。
そのあるがままの境地を人々に一目見(ひとめみ)てわかるようにあらわしたものが、仏師の魂を持つ者達の手によって作られた仏や如来、観世音菩薩や各諸菩薩の似姿をあらわしている像と思う。
調和のとれたその姿は、ただただ美しい!
私はそう感じている。
話が長くなったので、この続きは明日させて頂くことにする。
では・・・
今日一日、真我とともにあらんことを


天意天風

2009年12月19日土曜日

善いことは徹底してまねる パート1

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「善いことは徹底してまねる パート1」だ。
諸君、子供の頃に、学校に行かなきゃならぬ朝は眠いもので、母親か家族のものに「いつまで寝てんだ、学校だ起きろ!」なんてどなられていなかったですかい?
眠い目をこすりこすり、「言われなくたって、わかってるよ〜も〜う」ちびまる子ちゃんみたいに、グチの一つでも言って、「あ、おくれちゃうよ!」「もっと早く起こしてくれればいいのに!」なんて、あわててランドセルせおって、「いってきま〜す!」と飛び出していったおぼえはありませんかな?
ところが、日曜日になると一変する。
日曜の朝7時になると母親、家族のものに起こされなくともバッチリ目が覚める。
どうしてかって、それは諸君も経験あるでしょうよ。
TVを見るためだね。
見逃しちゃならないと、はじまる30分前から待機していたなんてことないですかな?
子供は子供の世界があって、友達同士のコミュニケーションには欠かせない話のネタなんだよな。
テレビ人気ドラマや人気アニメや人気マンガの話題は大人になってもしてるでしょうよ。
そうそう、土曜日の夜8時のTVも話のネタの一つだから見逃せなかったね!
諸君はどうですかな?
劇画やアニメーションのヒーロー&ヒロインにあこがれて同じファッションをしたくって、お年玉や、お小遣いためて、おもちゃのベルトや魔法のステッキ、その他、身につけるグッズやプラモデルや人形がほしくてほしくて買ったり、買ってもらったり、おねだりしたことなかったですかな?
ヒーロー&ヒロインになりきって、友達と「変身ごっこ」などなどしたことないですかな?
同じようなファッションをして、お気に入りのおもちゃのベルトや魔法のステッキ持って、髪にかわいい帽子やリボンなどの髪飾りをつけて、主人公になりきって決めポーズをまねたことありませんかな?
諸君の子供の頃、記憶の中で憧れの的、憧れの象徴、憧れていたものはなかったですかな?
それぞれ各人が忘れていた憧れのヒーロー、ヒロインを思いだしてみてはいかがですかな。 
本日はこれまで。 この続きは明日また・・・では。
今日一日、真我とともにあらんことを

天意天風

2009年12月18日金曜日

和顔平気(わげんへいき) パート6

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「和顔平気(わげんへいき) パート6 ラスト」だ。

古(いにしえ)の聖賢の格言に、「良師は以ってすべからく宝と為すべし、良友は以ってすべからく鑑(かがみ)と為すべし。」というのがある。
先日、伊藤博文公の話をしましたな。
読まれていない諸君はパート1からの関連の流であるので初めから読んで下さいな。
伊藤公があれまでになったのも、良師にめぐまれたからこそですな。
かように言う私も例外ではありませんがね。
諸君はご存知のことでありましょう。
伊藤公の良師はご存知ですかい?
松下村塾の吉田松陰先生だね。
知らない諸君もおいでになるでしょうから、松陰先生の通り一ぺんのプロフィールをご紹介しましょう。

吉田松陰(1830~1859)
幕末の尊王論者、思想家。 長州藩士。
名は矩方(のりかた)、通称は寅次郎。
兵法を学び、長崎、江戸に遊学。
佐久間象山に師事した。
ペリー再来の時、密航を企てて、下獄。
後に、萩の自邸内に松下村塾を開き、高杉晋作、久坂玄瑞、伊藤博文ら維新の指導者を育成。
安政の大獄に連座、刑死した。

伊藤博文公にあっては、吉田松陰先生は人生の恩師であり良師であったんだね。
判断に迷ったとき、決断に苦しんだときなどは、気持ちを楽にして、静かに目を閉じる。
わずか十三才に満たない少年だった頃に出合った恩師の和顔平気の姿が鮮明にまぶたにやきついている。
恩師松陰先生はいつもにっこりとおだやかにほほえみかけてくる。
「利助、孟子についていっしょに学んだとおりにすることです。」
「利助、人の上に立つものは、高潔で誠実で正直であらねばならない。」
「利助、私心(わたくしごころ)をさり、公儀の為に至誠を尽くす。これすなわち為政者・公人としての弁(わきまえ)である。」
松陰先生の一点の曇りのないすんだ魂からの声が聞こえてくる。
松下村塾で学んだのは、わずか二年足らずであったが、自己を省みるときに、師の後ろ姿がまぶたにうかぶ。
我が人生の師、松陰先生ならどう判断し、どう決断するか?
それが伊藤博文公の正しい判断とする独自の「ものさし」であったんだ。
諸君は本物の良師を以っておりますかな?
このテーマはこれで終わることにする。
次回は新テーマで明日またお会いしましょう。
今日一日、真我とともにあらんことを


天意天風

2009年12月17日木曜日

和顔平気(わげんへいき) パート5

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「和顔平気(わげんへいき) パート5」です。

日本のトップリーダーの諸君、天風であります。
諸君らは常に責任を担っているが故に、正しい判断をしなければならない。
当然と言われれば当然である。
それも的確で完全に客観的で、なおかつ公明正大でなければならない。
リーダーにとって判断に迷い、決断に苦しむことは、その立場ゆえ、それが生きてる証で、生き甲斐ぐらいに決心し、決断しておくべきだ。
それが指導的リーダーとしての職務であるからだ。
それがいやなら、受けるべくもなく、やるべくもない。
すべては自業自得であると積極的に意志決定し考えるべきだ。
そのほうが、当然のことリーダーとしての余計な迷いがおこらないですむんだよ。
リーダーが判断に迷い、決断に苦しみすぎると、意志の力が、すこぶる弱っちまう。
それとともに、企業力、組織力も弱っちまう。
大変な損失なんですよ。
トップリーダーの生き抜く力が弱っちまうと、それに呼応して企業の生き抜いていく力も弱っちまうんです。
トップが消極的で弱っちまうと社員の不安の集合意識が世間の不安想念を集め、さらに不安要因を引き寄せてしまう。
負のスパイラルの渦に入っちまうんだ。
個人と同じく、企業も人間と考えれば同じことがいえる。
弱り目に祟り目とはよく言ったもんで、一つの解決をみないうちに、次から次へと困ったときに、さらに困ったことが起こってくる。
天風は生前に企業のトップやトップになる人間に、よくよく言ってきた。

「どんなに事業方針が確立していようと、また経営方針が完備していようと、一番のトップに立っている人々のパーソナリティに多少なりとも欠陥があったらどうなるだろうか。
健康、それから運命に対する扱いがしっかりできる人間でなかったら、どんな肩書をつけようと、それぞれの名前だけにすぎない。
それがために、自身もふくめて、どこまでも人間を積極的につくっておきなさいよ!
それからが経営である。
それから先が事業である。」

本日はこれまで・・・
この続きは明日にまた・・・では。
今日一日、真我とともにあらんことを


天意天風

2009年12月16日水曜日

和顔平気(わげんへいき) パート4

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「和顔平気(わげんへいき) パート4」だ。

諸君、心の動きは、そのまま顔に表れてしまうね。
日々の思考の習慣が、そのまま顔に表れてしまうということだ。
「和顔」であるから、和(なご)む顔なんだね。
その人の顔を見ただけで、ホッとしたり、気持ちが穏やかになったり、何故かしら、いつもの変わらぬ微笑みに出会うと安心できる。
御歳暮のサラダオイルギフトのTVコマーシャルにこんなのあったね!
「変わらぬ笑顔を見たいから、暮の元気な御あいさつ~~セット!」
見たこと、聞いたことないですかい?
よく出来た決まり文句だね!
でも何かうれしくなるね。
そして、「平気」とは、「落ち着いた平静な気持ち」のことだね。
心が物事に動じないでいて、平素と気持ちや態度が変わらないこと。
いつも変わらない穏やかな心の在り様は、そのまま和顔となってあらわれてくるということだな。
その代表的な顔がね、日本の飛鳥時代の仏像に見られるんですぞ。
アルカイックスマイルと呼ばれている仏像のことなんだよ。
その顔の特徴は、唇の両端がやや上向きになり、つまり口角がほどよく上がっているんだ。
そして、目は静かに半眼に開いている。
その顔が微笑みを浮かべたように見える。
「和顔」の最たるイメージだ。
旧(むかし)から口角を上げることは、人に対して良いイメージを与えているということなんだね!
いまさらのことじゃないんだな。
「和顔平気」、何事があるときもなきときも、常にこの心持ちで微笑(ほほえ)んでいたいものですな!
まちがいなく人相は良くなるね!
この続きは明日にまた・・・では。
今日一日、真我とともにあらんことを


天意天風

2009年12月15日火曜日

和顔平気(わげんへいき) パート3

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「和顔平気(わげんへいき) パート3」だ。

伊藤さんが首相の当時、明治三十三年十二月帝国議会、第十五議会に提出すべき法律案件になかなか決断を下せないでいた。
それは台湾総督府が提出してきた案件の承認であった。
その当時、日本が統治していた台湾の公債を外国で売り出そうという案件で、秘書官が議会に提出しようと伊藤首相に署名捺印を迫るが、なかなか判子を押そうとしない。
台湾総督からの依頼で、「日本帝国の国益に供与するものであるのに、何故に御承認なさらないのですか?」首相と秘書官の是非に関して、「即決する!」「しない」との押し問答が続いた。
その日は結局、判を押さなかった。
その翌日もまた翌々日も頑として押さなかった。
そうこうしてるうちに、年を越して新年を迎えてしまった。
明治三十四年のことである。
伊藤首相が、この案に反対であり、及び腰であると知って、陸軍大将を経て、陸軍大学校長となり、その当時は、台湾総督であった児玉源太郎が説得に乗り出してきた。
そして、首相と児玉総督の論争の末、承諾し、伊藤首相は判子を押すことになった。
その時、催促を続けていた秘書官を呼んで、伊藤首相はこう聞いた。
「世間では、自分のことを一国の宰相でありながら、優柔不断だといっているそうだな」
「はい、その通りであります。」と秘書官は答えた。
伊藤首相は、和顔平気の態度で言った。
「よく聞けよ。この案件では、君とも随分論争したが、今日私はこれを承認することにする。だがな、私は軽々しく決裁を与えないのは、陛下から多大な信任を頂いているからなのだ。万一不注意不備があっては、誠に畏れ多い。だから私(わたくし)の場合は不断(優柔不断)にあらず、容易に断ぜざるのみである。君にも、この心掛けで日常の事務をやってもらいたい。」
伊藤首相の言葉を聞いて、秘書官はびっしょり汗をかいたという逸話である。
不用意な発言をすれば、マスコミは真意のほどは別として、揚げ足を取ろうとするだろうよ。
何にも言わなければ、優柔不断、卑怯、グズ、ノロマだと評価されるであろうよ。
ゆずれない信念があるのならば、評価を恐れて、安易に容易に走るより、無理矢理決断することが、国民のため、国益となるいい結果になるとは、言い難い。
この続きは明日にまた・・・では。
今日一日、真我とともにあらんことを


天意天風

2009年12月14日月曜日

和顔平気(わげんへいき) パート2

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「和顔平気(わげんへいき) パート2」だ。

「不断にあらず、容易に断ぜざるなり」伊藤博文公のこの言葉の経緯(いきさつ)は御存知の方もおられるでありましょうよ。
私の大先輩である方ですがね!!
諸君の中で知らない方もいらっしゃるでしょうから、伊藤さんの辞典に書かれてある通り一ぺんのプロフィールを紹介しましょう。

伊藤博文(1841~1909)政治家。 長州の人。 初名は俊輔。
中村俊輔ではありませんぞ。ま~いいか!
松下村塾に学び、討幕運動に活躍。
明治政府にあって、帝国憲法の制定、天皇制の確立に尽力。
初代首相、枢密院議長、立憲政友会総裁などを歴任。
組閣四度に及び、その間、日清戦争を遂行。
1905年(明治38)、初代韓国統監。
ハルビンで安重根に暗殺された。

これが辞典に出てくる、客観的プロフィールだね。
こんなもんで人生は、語られてしまうんだね!
それはそれとして・・・

その当時の天風こと私の印象であるが、「百聞は一見にしかず」とも、言えますかな。
近年の政治家のイメージがあるからして、見る側の諸子からして、一様の勝手なレッテルをはってしまう先入固定観念があるでしょうよ。
そうじゃありませんかい?
自分に置きかえてみると、私(わたくし)の考えと、はたの自分に関しての見方、とらえ方はずいぶんとギャップや思いちがいもあるもんじゃないですかい?
諸君も自己に照らして客観視してみればうなずけるでしょうよ。
いかがですかい?
伊藤さんは政治家というより、政治家に余儀なくされた。
そのように促されたんですな?
「時代の趨勢(すうせい)」ともいいましょうかね。
ある意味では、宿命づけられていたということですかな!
諸君は、ひとむかし前の政治家というと雄弁で話上手、ワンマンで強引!
脂ぎっていて、精力的で、金権がらみで、きたない、そして、どぎつい、インパクトがあるでしょうよ。
これって言いすぎですかねえ~?
ま~、すべてとはいいません。
政治家としては必要な条件の一つでもありましょうよ。
日本国初代の首相で、歴史上の人物で、さぞかし、切れ者!剛腕のイメージがあるかもしれないね?
ところがそうでもないですよ。
この伊藤さんは、実践的でありながら思慮深い方なんですよ。
そして、話上手より、聞き上手なんですよ。
とにかく黙ってまず人の話をよく聞く方だったね!
処世術でもあったんだろうが、実のところはそうでもないんだな。
私の察するところはね。
まあ、この話の続きは明日にしますかね・・・では。
今日一日、真我とともにあらんことを


天意天風

2009年12月13日日曜日

和顔平気(わげんへいき) パート1

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「和顔平気(わげんへいき) パート1」だ。

諸君、今年一年、総括されてどんな一年でありましたかな?
今年一年、日本国民の集合想念および集合意識の総和は、おしなべて陰気な暗い気の重いものであったでありましょう。
積年の国民感情は、「このままではいけない、これではいけない」という反発反動作用も手伝って風向きも「新」与党に追い風になりましたな。
政権交代し、「新」政権が大きくクローズアップされた年でもありました。
そのかわり、新与党にマニュフェストで宣言した公約の期待もかかっているね。
ところが、その中心であり旗頭の「新」総理の鳩山氏の顔がくもっているとか?
顔が暗いとか、覇気がない、ハトちゃんこのごろ人相が悪くなったなどと言われているらしいね?
当然のこと、一国の総理ともなれば、唯一一人であるということだね。
何人もいるわけじゃないんだよな。
言い難い重責を担っているのは、はなからわかっていることでしょうよ。
米軍普天間基地移設問題、予算カット配分の問題、切りがない、つきない課題が山積でありましょうよ。
あちらが立てば、こちらが立たず!と日本丸の舵取りも容易ではないことは、いまさら言うまでありませんな!
是非にね、鳩山総理にね、天風がサンタになって、クリスマスプレゼントとして、はげましのエールをおくりましょうぞ。
もと国民の一人として、おくらせて下さいな!
死んじまってるから、私心などもうとうございません。
かく語る天風が生前に幾度か言葉を交わした方がおります。
名前ぐらいは聞いたことがあるでしょう。
日本国初代の首相で、旧(むかし)は千円札の顔でしたね!! 伊藤博文公なんですよ。
私が若い頃、縁あって話をしたことがあります。
伊藤さんの苦渋の決断をせまられた時の、彼の言った言葉なんだ。
これを今の総理にあえておくりたい!
「不断にあらず、容易に断ぜざるなり」
御本人は痛いほどおわかりになるでしょうよ。
国のトップでしかわかりようのない言葉かもしれませんがね。
本日は、これまで。
この続きは明日また・・・では。
今日一日、真我とともにあらんことを


天意天風

2009年12月12日土曜日

必要とされている存在であることを忘れるな パート9

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「必要とされている存在であることを忘れるな パート9 シメククリ」だ。
「必要とされている尊い貴重な存在であることを忘れるな」をテーマに述べさせて頂いた。
この回でこのテーマは一応のシメとさせて頂くことにした。

では、改めて、諸君、「初心(しょしん)忘るべからず」の成句も御存知でありましょう。
あえて説明するまでもありませんな。
何事もスタートが肝心だとも言えるということでありますね。
初めの一歩がどういう理想を描き、初心を忘れない、初心を失わない、しっかりと心にとどめおくために、自己存在理念を必要とするんですよ。
つまり「私は必要とされている尊い貴重な存在である」、この断定が存在理念にあたるんですよ。
え~え、これとても大切なんですよ。
この確固たる自己存在理念に基づき、理念の真意にズレることなく、理想を現実化する。
そのために、日々の正しい観念、つまり本心・良心に基づく思考でズレを修正していく、内省検討が必要不可欠になるんですよ。
これについてもいずれ逐次話をしていこうと考えております。
本心・良心に基づく正しい思考を、仏教の方では正思惟(しょうしゆい)と言っていますね。
その思考のもとに、具体的実践行為を作為する。
後は御実行でありますね。
理想を想像し、あるべく姿として、明瞭であれば、初一念その動機がいかに重要であるかは賢い諸君でありますから自明の理として、おわかりになられるはずであります。
ましてや人生の長途の旅路であれば、必ず何らかの目的がなくては行く先がないのと一緒ですよ。
そして、目的によっては諸君の人生観も変わってくるに違いないことでありましょうぞ。
ロケットの打ち上げ角度が1度でもズレれば、たどり着く先は、大きくズレてくるのは、必然であります。
軌道のズレを途中途中で気づけば脇道にそれたものを、本道に戻すこともできるが、初めから行く先が、誤って決まっている。
初動機がミステイクであった。
初一念から間違った立志、誤った計画、そのことすらまったく考えなかった無自覚観念からスタートしてしまった。
初一念のズレに、気づいたのであれば、当然目的地への軌道の修正は必要不可欠なはずだね。
とりかえしのつくうちにプログラムを一からやり直すか、白紙撤回して、一から出直すでしょうよ。
本心・良心にもとる行為でも、ズレていようといまいと、いまさらそんなことは、どうでもよいと思って突き進む方もいるだろうね!
また、今日一日刹那!刹那!「楽しければ、いいじゃん! いちいち言われる筋合いないもんね!」なんて方もいるだろうね!
その日その日のなりゆきまかせ風まかせ、風の流れるままに、行き当たりばったりのドリフターズ。
「どこへ向かっているのか皆目わからない。人生なんてそんなものよ!」と決めている方もいるだろうね!
人生の羅針盤を持たない漂流者ですな。
それも好きにしてかまわないけれども・・・
他の船に衝突して御迷惑をかけないで下さいな!
「本人が、心の中で、自分はダメ人間だ。何をやってもダメなんだ。ダメ!ダメ!ダメな存在なんだと勝手に決めつけて、泣き言言って、日々を何げなしに歩んでいるならば、そんな方は、錨をおろしたまま、停泊してばかりいる進まない船だね!
自己否定して、何もしないことを言い訳にしているんだね。
しかし、行きつく先は、潜在意識の希望通りのところに行きつくね。
こんなはずではなかったなんて、後から後悔しても、「あとの祭り」ですよ。
決して言い訳を言ってももう無駄ですな。
真理は峻厳侵すべからざるものなんですよ。
何故なら、人間真理の法則に合わせて、ゆくゆくは諸君の望むようになっていくからだよ。
よりよき明るい新年を迎えるにあたって自分のために他がために「自分の心の態度は、積極的or消極的かのどちらにあるのか?」自己省察してみることをおすすめします!
明日また・・・では。
今日一日、真我とともにあらんことを


天意天風

2009年12月11日金曜日

必要とされている存在であることを忘れるな パート8

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「必要とされている存在であることを忘れるな パート8」だ。

諸君、天風はどこへ向かって歩いていたのか?
只今も歩いていますがね!
その道は、我が人間人生ドラマを通しての、宇宙の進化と向上に順応すべく、かく歩く道を、あるがままに、天真は流露そのまんまの道に至る道すがらを表現し、指し示すことにありました。
その消息たる天の計らいなど知ってか識らずか、ただ心を強く、ただただ強く、更に強くしたい!という動機に始まって、只ひたすらに、ひたむきに、一途に、積極一貫銘心堅固にして、歩いた来たんですよ。
気づいてみれば、その目的は、大悟による真理の探究徹底と、済民救世を意図する天の慈雨(じう)の法雨(ほうう)の人間真理人生真理を表現する具体的実践的伝達にありました。
只今もまさに同じことをしているのでありますよ。
またそのプロセスにあるんです。
本日はこれまで。
明日また・・・では。
今日一日、真我とともにあらんことを


天意天風

2009年12月10日木曜日

必要とされている存在であることを忘れるな パート7

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「必要とされている存在であることを忘れるな パート7」だ。

諸君、昨日は「苦労」を「試練」に置きかえる。
「自己」を前に付けて「自己試練」とする。
それから、「私は、必要とされている尊い貴重な存在である。」を心に刻む!
という話でしたな。

まずは、「自己試練」。
これもね、言葉を置きかえるんですよ。
耳慣れない言葉でありましょうがね、「自己陶冶(じことうや)」と生前は言っていました。
乗りこえていくべき「試練」というものは、自己の生まれついた性質、性能をね、鍛えて練り上げてくれる材料なんですよ!
ではその目的はと言うとね、価値高い真人生をきずくための真人格をつくることなんですよ。
「そもそも、人格の完成は、人類当然の責務にして、ただ一途(いちず)、自己を陶冶することによってのみその目的を達成す。」
これを総称して、自己を陶冶すると語っていたんですな。
先哲、先達いわくね、人生を旅としたり、道としたり、川の流れとして、たとえたりもしていますな。
人生を旅路として慮れば、乗り越えていく「試練」の道も、有意義のある、生き甲斐のある人生を演出してくれる、絶好絶妙の天の計(はから)いでもあるんですぜ。
その旅路の初一歩は、私からすれば、万物の霊長たる人間として生まれたという厳粛な事実のことですよ。
諸君も同じですよ。
生まれた時、ところ、境遇は異なっても、えーえ、これは、共通してるんですよ。
人間として生まれたことです。
諸君が、知る識らざるにかかわらず、生れた以上は、誰しも初一歩をすでにスタートしているんです。
えーえ、何人(なんびと)も人間として生まれて、生きているのであれば、みな、只今も歩いているんです。
諸君は、どこへ向かって歩いていますかな?
本日はこれまで。
この続きは、明日また・・・では。
今日一日、真我とともにあらんことを


天意天風

2009年12月9日水曜日

必要とされている存在であることを忘れるな パート6

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「必要とされている存在であることを忘れるな パート6」だ。

諸君、油断も隙も無い人間世界に生きているんですから、ディフェンスをしておくことですよ。
では、どのようにディフェンスしたらよいのか?
昨日の引き続きです。

それには、何と言っても自分の口から出す言葉というものを、積極的精神態度で有意注意して使うことですよ。
例えば、「苦労」という言葉を「試練」という言葉に置きかえるんですよ。
「苦労」という言葉自体がネガティブなんですな。
おわかりになりますかい?
「苦労」はすべて「試練」にかえちまうんですよ。
それから「試練」という言葉の前に「自己」という言葉を付けるんです。
つまり「自己試練」だね。
人生どんなときでも「心一つの置きどころ! 積極的精神で、乗り越えるために『自己試練』は用意されているんだ」と己の心に決めるんです。
自覚決心するんです。
よろしいですか!
それでもって、次の言葉を自心に対して厳命するんです!
「私は、必要とされている尊い貴重な存在である。」
念には念を入れて、忘れないために、彫刻刀でもって心に刻みこんでおくんですぞ!
この確信決定が、ディフェンスとなり、必ず生きてきますぞ。
この続きは、明日また・・・では。
今日一日、真我とともにあらんことを

天意天風

2009年12月8日火曜日

必要とされている存在であることを忘れるな パート5

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「必要とされている存在であることを忘れるな パート5」だ。

諸君、「若い頃の苦労は買ってでもしろ!」この言葉聞いたことないですかい?
また、こんなニュアンスで言われた方いませんかい?
今時は、この言葉は使いませんでしょうねぇ~。
この言葉の本来の意味は、「若い時の苦労は後々に役立つであろうから買ってでもせよ!その方が得になるぞ。」ということでしょうよ。
私の知ってる限り、そう言った本人が、苦労と称するものを喜んで金出して買ったという奇特な人は知らないですよ。
もちろん「苦労売ります!」なんて商売もありませんでしたよ。
諸君の周囲にもないでしょう?
諸君は、神仏の御利益があるなら多少の御賽銭出してもいいとお考えになるでしょうよ。
年末ジャンボ宝くじ3億円当たるなら、多生の金銭なら神仏を買収したいですよね!
そうじゃないですかい?
取り越し苦労バラエティーセット定価100万円を本日は年末スペシャル価格50%offでご提供しますよ。
年に一回の大安売りですよ。
買わなきゃ損ですぞ。
貧乏神苦労セット50万円、疫病神インフルエンザ苦労セット50万円も合わせてどうぞ。
どうだい、諸君は、喜んで買うかい?
好き好んで御苦労買うなどとは、私に言わせれば、気違い沙汰だね。
そうでなくとも、本人が望まなくともだまってでも向こうの方から勝手にやって来るんだものな。
ただし、諸君は、いつやって来るかわかりません。
サンタクロースがプレゼント持って来てくれんじゃないですぞ!
油断(ゆだん)も隙(すき)も無い人間世界に生きているんですから、ディフェンスをしておくことですよ。
つまり自己防衛ですよ。
では、どのようにディフェンスしたらよいのか?
この続きは、明日また・・・では。
今日一日、真我とともにあらんことを


天意天風

2009年12月7日月曜日

必要とされている存在であることを忘れるな パート4

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「必要とされている存在であることを忘れるな パート4」だ。

諸君、天風は、陽気で明るく楽しい笑顔酒の推進派であります。
ことさら酒を飲むことを勧めているわけではありませんぞ。
これはね、「平素人生に活きる時に、つとめて明るく朗らかに活き活きと勇ましく、活きる努力を実行すべきである。」というのが私のモットーの一つでしたよ。
もちろん只今もそうですよ!
それはね、日々の苦労するという観念を、心ひとつで切りかえて、つとめて明るく朗らかなものにしていこうよ。
苦を楽にスイッチしていこうよという心機の転換の意味なんだ。
苦労を喜びに、楽しみに切りかえる場に変えなさいな!と提案しているんですぞ‼
別に諸君に、どうしてもそうしなさいと強要しているんじゃありませんから、それは諸君、御自由にして下さい。
平素とは、酒飲んでいるときもそうですよ。
これも平素の人生に活きる時なんですよ。
酒飲んでいるときは別、パチンコやっているときは別、なんてことはないんですよ。
これも人生の生活の一部でありますよ。
いくどとなく、繰り返しているのなら、立派な生活習慣ですぞ。
何故に苦労厳禁かというとね、知る識らざるとを問うことなく、「俺は心労が絶えないんだ。」と口にするという心もちを自身の心にもたせると、判断力、断行力、さらに精神力というものが、どんどん委縮減退するんですよ。
何故って、さらなる余計な苦労想念エネルギーを呼び込んでしまうからなんですよ。
日頃のたまったストレスのはけグチ(愚痴)が、酒の力をかりることで神経もゆるむことにより、苦労話も出やすくなることは、ご納得されていることでしょう。
苦労話に限らず、どんな言葉も、自分で話したことを自分の耳が聞き、また自分の口がしゃべっているんですよ。
当り前だね!
当り前のことでしょうけれども、これって、知る識らざるにかかわらず、自己の潜在意識層に、自己暗示をかけているんですよ。
本日はこれまで。
この続きは、明日また・・・では。
今日一日、真我とともにあらんことを


天意天風

2009年12月6日日曜日

必要とされている存在であることを忘れるな パート3

諸君元気ですかい、天意天風であります。
本日の一日一話。
天風人語のテーマは「必要とされている存在であることを忘れるな パート3」だ。

諸君は、会社or個人で、何回くらい、忘年会するかね?
2~3回位かい?
多い人でも5~6回位かねえ。
どうだろう。
一年間の苦労をため込んで、2~3回の忘年会で、すべて忘れろというんじゃ、いささか無理がないかいな?
諸君は、毎日、毎日、あきずに飲んだり、食べたりしているんだろう。
日に2~3度は、めし食ってんだろうよ。
一年365日毎日繰り返しているんだね。
中には、プチ断食している人もいるだろうから、毎日じゃないだろうけども、たいがいの人は飲んじゃ、食っちゃ、出しちゃしているんだろう。
どんなに、仕事が忙しいやつでも、一年分を一回で飲みだめ、食いだめは出来ないでしょうよ。
出来る人いるかい?
いるんなら手を上げてくれ!
ましてや、一年に一回の排便、排尿なんて考えられるかい?
願わくば、一日一回のお通じがある方が望ましいよなぁ。
ましてや、小便の方は日に5~6回はしないと体によくないぜ。
がまんなんかしなくていい。
旧(むかし)から、出ものはれものところ嫌わずと言っているだろう!
遠慮するな!
キリスト様が言ったか、お弟子様が言ったかわかりませんが、「今日の苦労は一日で足れり!」新訳聖書マタイ伝に出てくるお馴染みの聖句であります。
ご存知でありましょうや。
今日一日の苦労は一日で十分だということだがね。
天風に言わせりゃ「今日一日の苦労という名の、くそ、小便は、ためとくと心と体に毒だから、ためとかないで、今日一日のうちに、出してスッキリしなさいよ。きれいサッパリ水に流しなさいよ!いいね!」という、ためてもためになる、うんちくとなる話ですよ。
諸君なら、賢いから、きっとおわかりになるはずです。
この続きは、明日また・・・では。
今日一日、真我とともにあらんことを


天意天風